01

「なんだってのよ、あの男」

 女が呟いたのは、来店から優に数十分が過ぎた頃だった。ルージュの引かれた唇を尖らせ、頬杖をついて前だけを見据える目は店に入ったときから据わっている。虫の居所が悪いらしい常連客の様子に馴染みのバーテンダーは苦笑を一つ零しただけだった。休日にこれの相手をしなければならないと思うと辟易するが、切って捨てるには彼女との友人関係は短くない。文句は小さく溜息を吐くに留めてどうせいつものあれだろうと話を聞いてやれば、どうやら今回は少し違ったようだ。
 彼女の機嫌が悪いのはよくある事だった。彼女は大変良い見目をしている。愛らしいと言うよりかは美人と言ったほうがそれらしいが、純粋に容姿がいいのだ。 
 ウェーブのかかった金髪に釣り気味の涼しげな目元、すっと通った鼻筋、薄く形の良い唇。姿勢もいいのでスラリとした足でヒールを鳴らしながら歩けばそれなりに視線を集めるだろう。上げるならばこれくらいだろうか。反対に、彼女の欠点を上げるとするなら、それは些か気の強いところだろう。まず表情がよくない。基本的に眉間にはシワが寄っているし、そうでなくても無表情だ。愛想笑いの一つも浮かべやしない。いや、必要な場所では最低限の振る舞いをするだろうが。女性にしては口調が強いところもいけない。融通が利く方でもないし、悪いことには悪いと言って、気にいらないことにも気にいらないと言う。もちろん強い口調で。
 普段からそんな風だから、彼女はその容姿のおかげでモテることにはモテるが、長続きしないのだ。性格がきついと言われていても、告白される機会はそう少なくない。そうして何人かの男性と付き合って、結局最後には言われるのだ。君とはやっていけそうにない。
 いくら気が強いと言っても彼女だって女性だ。色恋には人並みに興味があるし、愛されたいとも思う。ならば少しくらい愛想を振り撒けばいいのに、それではダメなのだと言う。曰く「嘘の私が愛されて何になるの? それは私じゃないわ」
 確かに、と思ってしまったし、気持ちもわかってしまったので、それ以上は何も言えなかった。
 だから彼女は、そういうことがあると大抵このバーに来る。決まってカウンターの端の席に座って、苛立たしいのを隠しもせずに酒を煽るのだ。もちろん純粋に酒を楽しみに来ることもある。
 しかし、不機嫌な美人が勢い良く酒を飲むさまは注目を浴びるものだ。こじんまりとしたバーなら尚更その視線は顕著だった。なんだいなんだい、どうしたの?そうやって声をかけるやつも少なくない。その度、馬鹿正直に男にフラレたのだと叫ぶ女はもはやこの店じゃ恒例だ。殆ど常連客しかいないようなバーで、しかもどいつもこいつも酔っ払いばかりなのだから仕方がない。
 この店で彼女に声をかけるやつはほとんどが酔っているので、フラレたと言っても笑って次があるさと慰めてまた酒を飲み、連れとの会話を楽しんで酒を仰いで笑っての繰り返しだ。そもそも素面じゃ話しかけない。なんたって、眉間にシワの寄った美人はどこからどう見ても怖いからだ。普段ならそこまででもないだろうが、不機嫌を顕に酒を飲んでいる彼女の眉間はいつもよりシワが多いし、貧乏ゆすりは止まらないしで、殊の外怖い。まあ先述した通りこの店は常連客しか来ないようなところなので、そんな彼女を見てもああまたかと苦笑して関わらないやつと、ゲラゲラ笑って一言二言なにか言い放つやつしかいない。
 かくいう俺はといえば、機嫌が最高に悪い様子の彼女に声をかけてしまったやつの一人である。他と違うところがあったとすれば、その時あまり酔いが回っていなかったくらいか。彼女があんまりにも良い飲みっぷりだったものだから、つい声に出てしまったのだ。

 「…何か?」
 「いや、失礼。あまりにも良い飲みっぷりだったものだから、つい」


 それから何度か言葉を交わすうちに、彼女の愚痴を聞くようになった。
 「また早々に別れを切り出されたわ、告白してきたのはそっちのくせに! やっていけそうにないですって? たった2週間で未来が分かるほど人生は簡単じゃないわよ!」
 彼女が男性と付き合った期間、最長は一ヶ月である。

 今回も似たような話だと思ったら、どうやら違ったらしい。そういえば彼女にしては長く続いていたようで、前回店で会った時はどこでデートをしただとか、手を繋いだだとか、珍しく怒り以外の感情で頬を僅かに赤らめながら言っていたのを思い出した。その際、そういう表情をもっと表に出せばいいのに、と思ってため息を吐いて、彼女の機嫌を損ねてしまったことも思い出した。
 しかし、それがどうだ。彼女は今、今回の経緯を話しながら鼻を啜って、最終的に言葉を詰まらせて俯いてしまった。何度も自棄になって酒を飲んでも、前だけを睨み付けて俯きもしなかった彼女が、彼氏に浮気されて。
 彼女がこうなるのも、まあ当然だろうなと思う。あれだけ付き合って、フラレてを繰り返したあとに漸く上手くいきそうな相手と巡り合ったと思ったら、その相手が浮気していたなんて。
 その浮気も質の悪いもので、相手の男性にはそもそも交際相手がいたのだという。そうなってしまうと、実質浮気相手は彼女の方になる。当然向こうの女性は怒り狂って、というか、何度めかのデート中に奇襲を仕掛けられて頬に平手を食らったのだそうだ。呆然とする彼女を他所に、男女は女性が優勢の痴話喧嘩を繰り広げ、最終的に女性が男性にも平手を打って去っていったという。呆気にとられながら辛うじて拾えた男女の口論から、なるほど自分は騙されていたのだということに気がついたらしい。当時の彼女は怒りを通り越して呆れて物も言えなかったらしく、とりあえず男を一発殴ってから捨て台詞を吐いてそのままこの店に来たのだそうだ。お疲れ様としか言えない。なんて濃い一日だ、通りで頬が赤いはずだ。離れた場所にいたバーテンダーに氷を頼んで、少し遅くなったが彼女に頬を冷やすように言う。上げさせた顔は涙で酷いものだったが、彼女は素直に従ってくれた。
 「お前、そういうところをもっと表に出せばいいんだよ」
 「……」
 「泣かない強さも立派だけど、素直になることも大切だと思うぜ。嬉しいときは笑ったり、男にフラレて泣いたり、もっと素直になれば?」
 「それが、それが出来たら苦労しないわよ!」
 私がもっと素直だったらこんなに振られないしもっと上手く人と付き合えることくらいわかってる。そう叫んで、彼女はわんわんと泣き出した。眉尻を下げて、これでもかというほど涙を流しながら、それでも彼女は顔を上げて泣いている。平手を食らったらしい頬は痛々しいくらい赤いし、時折鼻を啜って、なりふり構わず泣いている。これでは美人も形無しだ。
 俺は大きくため息を吐いて、彼女の頭を撫でてやる。少しの同情と、労いを込めて。だって、どう考えたって二股をかけた男が悪いし、弁明もなく頬を平手で打たれたのは可哀想としか言えなかった。それでも一言の捨て台詞と拳一発で済ませてやったのだから、彼女は偉い。俺がその場に居たら、きっともう数発殴っていただろう。そんな言葉を掛けながら頭を撫でているが、聞いているのかいないのかはわからなかった。彼女は涙を流しながらうう、うう、と唸っている。
 バーテンダーはそんな彼女を見ても苦笑を零すだけで、他の常連客もいつもと変わらない。笑って、酒を飲んでを繰り返す人。時折心配げに彼女を見ている人。けれど今日は、泣きわめく彼女の頭を撫でたり、帰り際には励ますように肩を叩いて、振り向いた彼女に手を降って帰るやつが何人かいる。その度に彼女はきょとんとしてから手を振り返して、小さく縮こまるのだ。繰り返すうちに、どうやら怒りと悲しみよりも羞恥の方が勝ったらしい。涙は止まっていて、ああやってしまった、と言わんばかりに微妙な顔をしている。口元を抑えて笑えば、恨めしげに睨まれたので咳払いをしてから口を開いた。
 「いや、失礼、微笑ましい光景を見たものだから、つい」
 「ああそうですか!」
 やはり恥ずかしさが勝つのか、僅かに頬を紅潮させて彼女は吠えた。紳士の皮を被るくせにあなたってちっとも優しくないわよね。そんなありがたい言葉を添えて。
 「優しくないって、どこが。泣いてしまった可愛い友人の頭を撫でてやったのに?」
 努めて心底わけが分からないという顔をしてやれば、そういうところだと返ってくる。
 「優しい友人は、その涙を拭ってあげるものよ」
 「いや違うね、それをやるのは友人の役目じゃないだろ」
 「……ついさっきその役目を持った人が居なくなった私に、そういうこと言うの」
 「おっと、これは失礼」
 「そういうところ、そういうところが優しくない。そんなんじゃモテないわよ」
 「生憎モテなくも困らないので」
 「……その歳で、案外枯れてるのね」
 「おい! 失礼なこと言うな!」
 「私に散々失礼な事言ってきたのはそっちじゃない!」



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