毒牙に咲かれ.上


※オリキャラ注意



「あっ、あっ、」

赤い少女が私を視ていた。

寝台のランプの届かない部屋の隅、何をするのでもなく、ただ。細い体のあちこちに痣をつくり、手足を力なく垂らした、幽鬼のような風体で。(しん)と。手入れのされていない艶を忘れた髪と、高官の制服より煌びやかな服飾が、あべこべに映っている。

だらりと前に後ろに垂らした赤い髪の隙間から、昏い瞳で私を視ていた。







「ああ、それはきっと皇女ね。第二皇女」
「皇女……?」

その言葉に驚く。あの死んでいるのか生きているのか分からないような女児がこの国の王族だなんて。

第二皇女──ということは、王弟の娘か姪。いいえ、この宮にいるのだからおそらく娘でしょう。実の娘に閨事を見せていたのね、あの王弟は。とんだ毒親。とんだ姦賊。虫唾が走る。

「それにしても羨ましいわ。女官である貴女が紅徳様に気に入られるなんて」

考え事をしていた私にねっとりとした視線が注がれる。心から羨んでいるのならその口元はどうして歪んでいるのかしら。

「きっとその髪のお陰ね。老婆のような白い髪、私には魅力がわからないけれど」
「そこまで仰るなら代わってさしあげましょうか?」

貼り付けた笑顔を彼女は鉄の瞳で見下ろした。対抗するように笑窪を広げる。しかしどうしてなのか、どうにも視線が交わらない。

「……!」

彼女が何を見ているのかやっと気付いた私は、咄嗟に着物の併せを反対の手で引っ張った。金属を擦り合わせるような高笑いが鼓膜を劈く。

「随分お気に入りらしいので遠慮させて頂くわ。お勤め頑張ってね。もしかすると待遇も上がるかもしれませんしね」

扇情的な服から覗く真っ白な背中を見せつけるようにして彼女は去っていった。未だひりつく胸元の痣に爪を立てる。こんなもの、好きで付けているわけがない。貴女もいつか私と同じ目に合えばいいのに。せめて呪いが届きますように。







苛立ちながら服を脱ぎ捨てた王弟を見ればその後は簡単に予想できてしまう。

案にたがわず、吐け口にされた私の体には立ち上がる力も残っていなかった。王弟はそんな私を鬱陶しそうに見下ろして扉の向こうに声をかける。後始末の手間を増やしたのは他ならぬ貴方なのに、どうしてそうして態度で私を責め立てるのか。こちらの方が舌打ちをしたいところだわ。

「はあい」

廊下からひょっこり顔を出したのはあの皇女だった。真白なシーツをぐるぐると私の体に巻きつけ、うんとこしょ、どっこいしょ、と白い株でも引っこ抜くが如く私をベッドから引っ張り下ろす。膝を床にぶつけそうになったが皇女の足が間に入って無事だった。

「お父様、あとでなでなでしてしてほしいなあ」

甘えるような声音で言って、私を肩に抱える。もちろん子供の体で大人を背負えば半身は絨毯に置き去りにされるのだけれど、彼女は絨毯を擦るシーツを気にもしてない様子で、ずるずると私を物のように引きずって扉の外へ運んだ。護衛兵から怪訝な視線が飛んでこないあたりいつものことなのかしら。

彼女は私を背負ったまま廊下を歩き出す。部屋とは違って磨き上げられた床だから足が当たって少し痛い。小さな体でどこまで行くの、と考えているうちに階段に差し掛かった。後宮へ続く下の階へ降りず段を登り始めたので、つい声をかけてしまう。

「逆、です……」

返事はなかった。息を切らしてそれどころではないのかもしれないけれど。

その後、彼女は何度も休憩を挟んでその部屋へたどり着く。汚れた私を一寸の躊躇いなく豪奢なベッドに転がせると、息も整えないままぱたぱたと慌ただしく隣の部屋へと入っていった。

私は暫くもぞもぞとベッドからはみ出た足を移動させたり、シーツを剥がす作業に徹した。しかしすぐに諦めて、仰向けになって大人しく布団に沈んでいく。すると温かい室温に導かれて眠気がやってきた。

「あー! まだ寝ちゃだめ!」

どうにか瞼を押し上げる。戻ってきた少女の腕には湯気を立てる桶があった。彼女は桶を床に置き、シーツを解いて蛹のような私を取り出していく。浮いていた両足をベッドに押し上げるときには、よっこいせ、とやはり似合わない掛け声が上がった。お湯の中から布を出してぎゅっと絞る。あんなに皮の薄そうな手で触れて、熱くはないのかしら。

「痛かったら言ってね」

最初に顔を、次に首を拭いて、上から丁寧に清められていく。痛、と声をあげたら、がまんしてね、と言われてしまった。前言はなんだったのか。

小さな手で辿々しく介抱する様子にはらはらさせられているうち、眠気はどこかへいってしまった。コップになみなみと注がれた水を飲んだ頃には声も粗方出るようになっている。

彼女が再度汲んできてくれたコップを受け取りながら、私はやっと礼を告げた。

「ありがとう存じます。皇女様……で、合っていますか?」
「うん! なまえっていうの。よろしくね、麗良」
「あら、私の名前、どうして……」

へへ、と笑って誤魔化されてしまう。後宮の名簿まで把握していらっしゃるのかしら。私なんて妃嬪でもない女官だというのに。だからこそ王に咎められることもなく王弟が好き勝手できる存在なのだけれど。

「ああ、すみません。私なまえ様を置いてベッドを、いま退きますので」
「いいよいいよ。使ってよ」
「ですが……」
「シーツかえれば寝れるもん」
「そういうことでは、」

……シーツを替えれば、寝れる? 今この子、「寝る」と仰ったわ。このベッドで。

「あ、あの、もしかしてこの部屋……」
「いいセンスでしょ」

痛々しい青痣の付いた顔で無邪気に笑う。確かに、普通の部屋にしては豪華すぎると思ったけれど、後宮と比較しても珍しいと言える広さではないし、王宮内なら当然と思うじゃない。まさか皇女が白濁の液体に塗れた後宮の女を自室に運び込むなんて、思わないじゃない。……私は一体誰に言い訳しているのかしら。

「見て、この行灯! 火を灯すと和紙に龍の絵が浮かびあがるの!」
「あ、はい。かっこいいですね」
「むこうの部屋につづく鴨居の上、欄間彫刻なの。ね、かわいいでしょ?」
「ええ、ええ、とても素敵です。見事な細工で、匠の技を感じさせます」

渋い。皇女様、渋いわ。

「麗良は? 麗良の部屋には何かおきにいりはないの?」
「そんな、なまえ様が喜びそうなものは何もございませんよ」
「貴女がよろこぶものを教えてよ」
「ええと……」

困ったわ。本当に何もないのに。幼女のおめめのきらきらを浴びながら私は頭を捻った。

「……ちょ、ちょうぼ」
「ちょうぼ?」
「莫商会の帳簿です。私の家は商人(あきんど)なので」
「帳簿! それが麗良のおきにいりなんだ!」
「すみません、面白味のない答えで」

見目の珍しさ故に後宮へ上がる前、生活用品が揃っているここに唯一持ってきた私物がそれだった。特に思い入れがあるわけではない。昔から何かを手に入れることより物や金を動かすのが好きな子供だった。宝石も服も必要な誰かに手放し続けた私の、唯一手元に残っていたものが、それだったというだけのこと。

「いいなあ。こんど見せてよ」
「え?」
「だめ?」
「いえ、構いませんが……」
「やったあ!」
「文字と数字が並んでいるだけですよ?」
「それがたのしいんだよね?」

うきうきと体を揺らす彼女に私は感心した。よく分かっていらっしゃるようで。幼子であっても流石は王族ということでしょうか。ああ、駄目な方の王族もいるけれど。

「じゃあ、いつでもいらっしゃいな。おきにいりを忘れずにね」

少し背伸びした口調で言って、ベッドの傍の引出しの二段目と四段目を開く。二段目の奥に手を伸ばすと、かた、と音がして四段目の引出しが外れる。その一連の動作といったら驚く間もなかった。彼女は箱と化した四段目を退かして、引出しの奥から何かを引っ張り出した。

「鍵はわたしておくね」
「鍵!?」
「やや、心配しないで、それは合鍵だから」
「そこはあまり心配しておりませんでしたが、ええ、鍵? この部屋の鍵ですか?」
「あったりまえじゃんよ」
「いえ、当たり前ではないです」
「信じてるよ、麗良」
「いえ、そんな無条件で信じられても困惑するのですが」

この皇女、自分の地位に自覚がなさすぎではないかしら……? 髪は伸ばし放題の垂らしっぱなしだし、よく見ると服も袖が余っているし。

「あの、不敬と分かってはいますが、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「かた苦しくしないでよ。お願いだから」
「なまえ様はどうして、その……父君様に、あのような扱いを受けているのでしょう」
「さあ。私が目障りだからじゃない?」

こてりと首をかしげる仕草に苦々しい気持ちになる。なんでもないことのように言うけれど、辛くないわけがないでしょうに。こんな環境でこの子はまともに育つのかしら。いえ、もうまともではないのかもしれない。


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