正直者


※名前設定カタカナ推奨



「……あ?」

普通がどうだか知らないが、少なくとも俺にとってのそれは天啓や雷のような衝撃といったものではなかった。猫が毛玉を転がして糸が広がるように。探していたものが数日後ひょっこり机の引き出しから出てくるように。水切りをしようと放った石が水面下に吸い込まれていくように。偶然と成り行きによってあっけなく転がり込んできた記憶は、白い首筋に振り下ろそうとしていたナイフの切っ先を阻んだ。

緩い風に揺れる花々、白く清廉な宮殿。自然に囲まれたアリエスの離宮。ブリタニア宮殿のような豪華絢爛とは程遠い装いではあったけれども、他のどの宮より広大な庭園を持ついい所だった。逞しいメイドがたんまりと積んだ洗濯物を運んでいて。いつおどかそうかと企む少年が笑って、それを嗜める少女の顔も綻んでいる。子供達を窓から眺める主人の目が和らいで。昼先に出向くと彼女と子供達はメイドと一緒に庭園のベンチでランチセットを広げていたりして。曇天の日も木枯らしの吹く日も、いつだってあそこは陽だまりのように暖かかった。暖かくて、大切で、ずっと守りたいと思っていたのに。

「…おい」
「うるさい。今お前に構ってる暇はない」
「うるさい…!?」

足の下で細い腕がたじろぐように動いた。花の香りが工場の寂れた匂いに変わる。心地よい夢から薄汚い現実に目覚める感覚。すかさずナイフを彼の首にあてがえば、刃が皮を食いちぎってぷくりと赤い血が滲む。無機質に見える彼も人間だったらしい。

「動いたら刺さるぞ」と言うと、酷く恨めしそうに睨まれた、気がする。シールドに阻まれてよく見えない。たぶん彼の方からもガスマスクを装着した俺の表情はわからないだろう。そんな装いの俺が言うのもどうかと思うが、そのフルフェイスヘルメットのような仮面はちょっとどうなんだろう。率直に言ってダサい。そのマントもダサい。美的感覚が狂っているとしか思えない。俺なら今すぐ装束を脱いで石と一緒に圧縮袋に詰め込んで海に放り投げて自分も海に飛び込みたいくらいだ。幾度となくブリタニア軍を翻弄しクロヴィス王子を殺した天才にも欠点はあるということか、ふむ。それに正義を盾に振りかざす狡猾な人間と聞いていたけれど、思っていたよりずっと子供っぽいな。やはり書面の情報だけで現実は推し量れない。少し挑発してみるか。

「は、自意識過剰だな」
「なに…?」
「メディアは大袈裟に取り立てているが、俺たちにとって『ゼロ』は脅威ではない。キョウトや中華連邦の動向の方がよっぽど重要だ」
「ふん、虚勢だな。クロヴィス皇子の殺害やナリタ連山での戦い……ブリタニアにとっては相当痛手だったはずだ」
「そして今回日本解放戦線を救いに来たゼロは、こうして無様に捕まっているわけだが」

申し開きくらい聞いてやらないこともないが? と続けようとして、脳内に電流が走る。まさしく衝撃。記憶を取り戻したときより強い衝撃とはどういうものかというと、記憶の中の離宮で駆け回っていた少年が、最近学校で賭け将棋を指して大敗させられた学友(後輩)と気づいたのだ。なんて運命だ粋なことしてくれるじゃねぇか神様よォ……ちなみに賭けの内容は負けた方が一日勝った方の下僕となることだった。なんだって。彼の下僕なんて願ったり叶ったりじゃないか。食事を用意しろでも妹ナナリーの為に服を作れでも彼を国から追い出した憎き皇帝シャルルを暗殺しろでも彼の命令ならなんだって聞いてやる。いや、まずは素顔を見せろと言われるだろうか。学校でもフードとマスク常備で彼に素顔を晒したことがない。俺の顔を見たら彼は驚くだろうか、笑うだろうか、なぜ今まで言わなかったと怒るだろうか。そもそも俺のことなんて覚えてないかもしれない、それでもいい。一方通行でもいい。彼が俺を忘れても、俺が彼を覚えている。本当に思い出せてよかった。一日と言わず一生を捧げて仕えたい。

「ふ、俺もとんだ阿呆に捕まったものだ。正体不明の敵を捕まえたなら殺すよりも情報を吐かせるのが優先だろう。貴様は、」
「黙って…」

浮浪児の俺を拾い面倒を見てくれたルルーシュ様。きれいな毛布と温かい食事をくれたマリアンヌ様。天使のおててで頭を撫でてくれたナナリー様。そして誰より優しくて母親想いで重度のシスコンで身分や権力を振りかざさず誰にだって笑顔を見せてくれるルルーシュ様。俺の敬愛するルルーシュ様。彼のことを忘れていたなんてあるまじき失態だ。騎士失格。自称騎士だけども。それも幼少の頃に行った騎士の誓約なんて所詮ままごとだろうけども。俺はルルーシュの騎士でいたい、その想いはずっと変わらずここにある。……待てよ?

「だ、黙ってだと……。おい、人の上に乗って刃物で脅しておいてその態度はなんだ」

俺ってそもそもなんで記憶無くしてたんだ? まさか皇帝とV.Vの陰謀……?
えっと、ルルーシュ様とナナリー様が日本に連れて行かれて、追いかけさせて貰えないからカッとなって皇帝を殺そうとしたけど、案の定捕らえられて、牢から逃げ出して塔の上まで追い詰められて、窓の外から地面に茂みが見えたから………ワンチャン……ダイブ…………俺ってもしかしてバカ……? 記憶を無くした後はギアス教団でV.Vにギアスを埋められて、いい感じに発動したからルルーシュ様のことを忘れたまま皇帝とV.Vに仕え……オエェェ吐き気がしてきたよおルルーシュ様助けて……!

「まさか貴様、ゼロの正体に興味はないのか」

「うるせえこっちは殿下のことで頭が一杯なんだよ!!!!」

寧ろそれにしか割きたくねえ!!! 今まであんなくるくるパーマに忠誠を誓ってた舌を引っこ抜きてえ!!

勢いで振り翳した手がゼロの仮面に当たってそれを吹き飛ばした。現れたのは長い黒髪。見立て通りヘルメットのように硬かったようで手の甲がじんと痛む。もうブリタニアとか知ったこっちゃないしゼロも逃がしてやろうと思っていたが、折角だからレアな顔を拝んでやろ、……う…………

「る、るるるるるるるる」
「クソッ」

そ、そうか……! だからゼロはブリタニアを……! ショックで動けない間にゼロが思いっきり上半身を起こして俺の体を投げ飛ばす。そのまま逃げるかと思いきや、ナイフを掴む方の手首を捕まえて俺のガスマスクに手をかけるではないか。やばい。やばいやばいやばい。両手でガスマスクを押さえ付けた。今彼に顔を見られれば人が一人死ぬ。嬉しいのとやばいのとでとにかくいろいろやばい。

「くっ、手を退かせ!」
「イエs……イエァ! そんなことはできないゼ!!!」
「眼さえ見れば記憶ごと……!」

あっぶねえイエスユアハイネスするとこだった……!
黒い手袋が渾身の力でガスマスクをはがそうとしてくる。そうはいかない。ルルーシュ様――ルルーシュは完全頭脳派で体力が皆無! 俺も体術を習得している割に筋力に自信はないがルルーシュに腕相撲で負けたことはない! というか生徒会全員体育の成績だけはルルーシュを上回っている! 箱入り育ちだから仕方ないですよね! だからルルーシュ、諦めてその手を離せェ!

「……イッ、」
「あっ、すみませ、」

なりふり構わず抵抗していたら彼の手首を握りしめていたようだ。痛そうだった。痣になってないかな。爪で傷ついてないかな。いろんな思考が頭を飛び交い、一瞬手の力が緩む。気付いた時にはもう遅い。さすがに英雄と崇められるイレブンの希望、その好機を見逃すゼロではなかった。

「しまったああああああ!」

ガスマスクが飛んで視界がクリアになる。十何年ぶりに直接拝んだご尊顔はそれはもう険しいもので、しかし段々と驚愕に変わっていくのが分かる。よかった。覚えてくれていた。安心したのも束の間、この後彼に罵られることを想像して恐怖の谷底に落とされた。嫌だ。二度と顔を見せるなと言われたら立ち直れない。嫌われたら死ぬ。俺が俺を殺す。

「お前……名前、か……?」
「…………はい」

ルルーシュは俺の顔をじっと見たまま微動だにしない。やはり怒られるだろうか。学園では素性を隠して友達面して。戦場ではナイトメアでゼロを追いかけ回して。あまつさえ守るべき主人に傷を付けた。これではルルーシュに嫌われて当然だ。落としたナイフを指でまさぐる。よし、死のう。ゼロの正体を知った以上俺の口封じは必須だろう。優しいルルーシュに俺を殺させるというのはあまりに酷だ。それなら狂ったふりをして自死する方がまだ良い。

「……答えろ」
「はい?」
「俺の問いに答えろ。嘘は許さない」

刃のように鋭利な眼差しに抗わず頷く。彼はいつからこんな表情をするようになったのだろうか。学園でのルルーシュは、時折うつくしいかんばせに影を映すことがあったものの、生徒会の面々と一緒に普通の青年のように笑って過ごしていたと記憶している。それが仮面じみた冷たさを伴うのは、枢木スザクが転入してきたとき……いや、それよりも以前。シンジュクゲットーにゼロが現れた頃だ。あの幼かったルルーシュは俺の知らない所で彼の盤上に人間を並べ、人殺しの味を覚え、肉親の血を浴びた。時の移り変わりというのは何と残酷なのだろうか。

「お前は今、誰の味方だ?」

指先がナイフの柄を捉えた。ほぼ同時にルルーシュを突き飛ばして距離を取る。掲げた切っ先の向こうではルルーシュが息を忘れて立ち尽くしていた。優しく傲慢な彼のことだから少なからず俺を信じてくれたのだろう。普段は済ました顔が一瞬泣き出しそうに歪んだ気がしたけれど――ナイフを翻して自らの喉元に当てる。

「私の主君は生涯ただ一人、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。彼の為に生き、彼の為に死ぬのが私の使命。昔も今も変わらぬ忠誠を誓います。貴方の行く道に光あらんことを」

貴方に拾われた命、貴方の為に使うのなら惜しくはない。どうか俺の屍を越えた先に貴方の希望が見つかるといい。最後に会えてよかった。思い出してよかった。瞼の隙間に愕然とした表情で手を伸ばす彼が映る。彼に見つめられて眠ることができるなら、この低迷の十数年も報われるというものだ。今までありがとうございました、ルルーシュ様。


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