俺のヒーロー


理想のヒーロー像、というのが誰しもあると思う。

ラジオ番組を務めるプレゼント・マイク。
“眠り香”と美貌で相手を魅了するミッドナイト。
どんな傷もたちどころに治癒させるリカバリーガール。
個性の抹消、イレイザーヘッド。

中でもNo.1ヒーロー、オールマイトのようなヒーローを目指す子供は珍しくない。力は無理でも、その前向きで正義感の強い心意気は子どもたちも真似をしたいものだ。不本意ながら、エンデヴァーもその絶対的な強さから不動の人気を誇っている。

──けれど、俺の将来像はそんな素晴らしいヒーローたちではなく。その誰にも当てはまらない、名前も知られず業界に足を踏み入れることもない“彼”が、俺の一番憧れのヒーローだった。




「お前の好きにしなよ」

というのが、彼の口癖。

白地に赤のメッシュが入った長めの髪に灰色の目。名前は轟名前。轟炎司に“なりそこない”と度々呼ばれている、俺の兄でもある。

俺が物心つく前から名前は俺の傍にいた。比較的無口な彼はその実身内には優しく、普段もわりと穏やかな気性で、俺の面倒もよく見てくれていたように思う。

母さんが忙しい時、俺の世話をするのは決まって名前だった。他の兄弟とはクソ親父に接点を断たれていたが、何事にも優秀な名前だけは親父にも一目置かれているらしい。“失敗作”と“なりそこない”で区別されているのもそこに理由があるのだろうか。とにかくどの家族とも接触できる名前は、この家で唯一自由な存在といえた。

名前は部活に入ることもなく真っ直ぐ家に帰っては、母を労り、家事をこなし、家事の合間に俺と鬼ごっこやトランプで遊んで、休憩だと言って冷蔵庫にある材料でお菓子を作ってくれた。母さんがわざわざ菓子用の料理器具を買ったり、生クリームとかの材料を買い足してしまうほどに名前の作るシュークリームは絶品だ……いや、マジで。

かといって勉学を怠ることもない。順位の列に“1”と並んだ成績表を持って帰ってくる彼の秀才ぶりは家族全員の知るところ。それはもちろん体育も相違なく、名前の運動神経をあのクソ親父さえ高く買っているようだった。それは、轟炎司に『名前をヒーローとして育ててみたい』と思わせるほどに。

だからある日、親父は日課のランニングから帰ってきた名前を捕まえて、「ヒーローになる気はないか」と言った。「一人だと出来ることにも限界があるだろう、修行を付けてやろう」とも。

「俺はヒーローになる気はないよ」

名前は一も二もなく断った。「でも……」少しだけ迷った素振りを見せる。クソ親父の顔が輝く。

「修行だけお願い」

――鳩が豆鉄砲を喰らったような親父の顔を、俺はたぶん一生忘れない。

その日の夜ぱちりと目が覚めた俺は、隣で寝ている母さんを起こさないようそっとベッドを抜け出した。暗いの廊下でも通い慣れた道筋を行くと、兄の部屋から光が漏れだしている。名前は自室で勉強をしていた。そのことに俺は首を傾げる。ドアの隙間を覗く俺を見つけて、兄は今の俺と同じ仕草をした。

「どうした?」
「………」
「……眠れないのか」
「……うん」

おいで、と手招きをされて駆け寄り、特等席によじ登る。ずるりと滑る俺を兄が膝の上に引っ張ってくれた。俺はぎゅっと兄にしがみついた。一見細身のアイツは、でもやっぱり筋肉でごつごつしていた。

「なんであきめちゃったの?」

これで伝わると思ってたけど、眉を寄せる兄には伝わらなかったようだ。

「どうして兄さんは、ヒーローにならないの?」

俺は、名前が朝と夜に毎日欠かすことなく家の離れの道場に通うことを知っている。
暇があれば参考書を開くことも知っている。
慣れないお菓子を作る時に料理本と睨めっこをしているのを知っている。
ひそひそと泣く母さんを慰めて抱きしめる姿を知っている。体力が限界を超えた時に親父から俺を庇ってくれた背中を知っている。修行で怪我をした俺の治療に飛んできたときの慌てた顔を知っている。風邪で寝込んでいると、いつまでもベッドに張り付いていた彼を知っている。
名前が優しいことを一番理解しているのは俺だった。

だから、不思議だ。
ヒーローになる為にこんなに努力をしているのに、それにならないなんていう兄が、不思議で不思議でたまらなかった。

「諦めたわけじゃないよ」

そもそも目指してたわけでもないしね、と兄は呆気からんと言い放った。ぱちくりと瞬きをする。

「えっ……だ、だって…だって、」
「ん?」
「兄さん、やさしいだろ。いつもやさしくて、強くて、頭もいいし……やっぱり、やさしいし」
「焦凍、」
「こんなに、こんなにかっこいい兄さんが、ヒーローじゃないなんて、」
「待った。焦凍、待った」

口を塞がれてむがむが、としか喋れなくなる。何か癇に障ることがあったのではないかと心配になって兄を見上げれば、彼は顔を両の手でぴったりと覆っていた。……やっぱり、おこってる。今ではその時の名前の気持ちがよく分かるが、かつての俺はそう思い込んで不安になったのだった。

「兄さん、ご、ごめんなさい」
「……焦凍」

びくりと肩が跳ねた。けれど、「こっち向いて」と、その声が存外に穏やかだったので、俯いてた顔をおずおずと上げる。兄は俺の顔を覗き込んでにんまり笑うと、頭をくしゃくしゃに撫でた。痛くないけど、丁寧ともいえない乱暴な動作。でもなぜかうれしくて、へらへら笑っていると、緩んだ頬を手の平で挟んでもちもちされて、今度はぎゅっ、と抱きしめられた。

「あーもう、焦凍は可愛いなあ」
「へへっ」
「……お前になら、なんでもしてやりたいと思うんだ」

「俺、焦凍が思ってるほど優しくないよ」兄の声はやはり穏やかだった。俺は頬を膨らませる。

「うそ、やさしいもん」
「それはお前が焦凍だからだ。俺の弟は俺が甘やかすって決めてるんだ」
「??おれ、甘やかされてる?」
「そう。俺が優しいのはお前だけってこと」
「……おれだけ、……とくべつ?」
「そう」

とくべつ、その言葉がじんわり胸のうちに染み込んで、内側からぽかぽかと俺の体を温めた。おれだけ。とくべつ。舌になじませるみたいに何度も何度も繰り返して、にまにまと頬を緩める。

「おれも、兄さんがとくべつだよ」


轟名前を一番よく知っているのは俺だ。

家事に自己研鑽にかまけているせいで友達が少ないことも。心に病をかかえてしまった母と話をするとき、ふと寂しげな表情をすることも。鬱々とした感情はまるごと胸の中に隠してしまうことも。俺を庇ったせいでできた、その首元の火傷も。



「お前の左側が憎い」

母に煮え湯を浴びせられたあのとき、咄嗟に俺を抱えたのは兄だった。
病院で治療を受ける彼に、俺は母さんの嫌いなヒーローになりたくないと泣き喚いた。でもやっぱりなりたいと矛盾したことを言った。でも親父が憎いのだと、だから母の力だけでヒーローになることで見返さなくてはならないと、止めないでくれと、感情のまま口走る俺に、兄は。

「お前の好きにしなよ」

その、口癖を。

「お前の人生だ。どう生きたっていい。母を追い詰めた罪悪感も父を憎む心もお前のものだ。停滞だって、復讐だって、お前が今いるところがお前の道だ。ご立派な動機がなきゃヒーローになっちゃいけないなんて言う奴がいたら、俺がぶん殴ってやる」
「……」
「母さんには、俺がついてるからさ」

──お前の傍にも、俺がいるから。

「だから、焦凍は自分の好きにしたらいいよ」

白いカーテンから射した光が、彼の髪をきらきらと輝かせて。
力強い笑みが、力強い言葉が、テレビで見たどのヒーローより俺の心を強く打った。

──ヒーローになりたいと、心の底から思えたのは、きっとこの瞬間だった。


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