Happy Valentine's Day!


塗り潰した


「はっぴ〜〜〜ばれんたい〜〜〜ん!!!」

今年もこの季節がやってきた。年甲斐もなく兄二人の周りをぐるぐると飛び回る元気一杯の幼女(成人済)を見る紅明の顔は心底うんざりしたそれに変わった。

「はいっ、紅炎! 紅明兄様も!」

恐る恐る出した手の上に若紫色の小さな袋がポンと置かれる。

「今回はうまくできたと思うの。食べてみて!」

と宣う妹はどうしてそう自信満々なのかと問い質したいところである。
練紅燭は家事が苦手だ。いや苦手というか、鬼門というか、その手の破壊神と言える。彼女の家事スキルは成人女性の普通以下、分別のつかない幼女以下、百歩譲らず正当に評価すれば、ぶっちゃけ畜生以下である。

「美味い」

紅明が小包と格闘している間に、紅炎は赤色のそれからクッキーを一つ摘み既に口にしていた。

そう、まこと不思議なことだが彼女が長兄に渡すものにだけ、なんの作用が働いたかほんの少しだけ料理の畜生度が下がるのだ。あまりに紅炎が普通に彼女の手料理を食べるものだから、味が気になり、申し出て一口だけ頂いたことがある。紅明が直接彼女に貰った同じものよりはいくらかマシであった。なぜだ。いやまあ、たった数歩かろうじて人の食べ物に近づいたのだとしても、まるで食べられた味ではないのだが。

そして長兄も長兄だった。彼は決して味音痴などではないはずなのに、毎度妹の手料理を普通の顔をして普通に完食して普通に感想を述べている。そして「少し塩っ気が足りないな」とアドバイスまでしたりしている。足りないのは塩っ気ではなく彼女の頭だ。それともあまりの畜生さに高貴な舌が麻痺してしまったのだろうか。

紅明は可愛らしいリボンをそっと解いて袋を開き、中のクッキーをひとつ摘んで検分した。見た目は普通のクッキー。だが侮るなかれ。こちらの商品、一口で成人男性を失神させられる大変優秀な毒兵器です。紅明だって幼い頃から日に日に上達()する彼女の毒物で訓練を受けていなければそうなっていたのだと、つい先月に彼女の農民側近である路槃がその身を呈して証明してくれたところだ。哀れ味見と言う名の実験体(モルモット)

「………くっ……」

紅明は意を決してクッキーを口に放り込んだ。ちなみに普段覇気のない彼の顔がここまで強張ることもなかなかない。

瞬間、広がる雑味。甘ったるい香りが喉から鼻に通り抜けていく。見た目からは想像もできない苦い焦げ感。なんだこれ?わさび……山椒?ぴりりと麻婆豆腐に似た辛味が効いてボソボソの生地が舌奥に絡みつき絶妙な酸っぱさがおろろろろろ。紅明は口を抑えて部屋を飛び出した。

にこにこと楽しそうにそれを眺めるは彼の妹である。彼女の横で紅炎は哀れと不憫な弟に溜息を吐いた。

「紅燭、いい加減止めてやったらどうだ……流石に不憫でならん」
「あはっ、あははっ、んー、どうしよっかなー、うふふふ」

紅燭は悩むふりをしながら楽しそうに歩き、書棚に近づいていく。

ところで紅炎の妹はサプライズを企画するのが好きらしい。数年前『バレンタイン』として彼女が国民に掲げたこの祝日にも、毎年趣向を凝らした贈り物をしてくれる。今年は一体何をするのかと見ていると、紅燭は何冊か本をとって腕に抱えて戻ってきた。本に変わったところはない。ならば。

「あ、これ本物ねっ! そっちの劇物は食べなくていーよ!」

本棚の奥に、綺麗にラッピングされたカラフルな箱と赤いリボンが見える。

ぱたぱた、とすっ

「――ククッ……」

兄の机に本の山を下ろし、また箱を取りに行く妹に紅炎は顔を覆い、肩を震わせた。

それにしてもあのような無駄なスペースがあったろうか。未だ笑いながら紅炎はこちらに追いやられた本たちに目を落とす。よくよく見ると僅かに表紙のサイズが違う。まさかこのために切ったのではないだろうが、と思いつつ一番上の本を手に取りぱらぱらと流し見れば、どこか文の欠けた様子もなく、上下左右の余白を取りながら文章が揃っている。違和感はほとんど感じない。――気をつけて観察すれば文字が少し小さいかもしれないと思う程度だ。

相手の陣地に堂々と仕掛けを施す豪胆さに加え、わざわざ偽の書物を製造する入念さ。その手間のかけように紅炎は瞠目し、さすが俺の妹だ大いにと感心した。ふふふ、と今度は満足げに吐息を零す。この場にツッコミはいない。

「おどろいた?」

ああ、と返しながら顔を上げた口の中に、一口大のチョコが押し込まれる。クランベリーの効いた甘くないショコラだ。カカオ独特の苦味が舌の上でほろりと溶けていく。

「今年はちがうお店なの。でもおいしいでしょ」

そして返事も待たず、薄い箱からチョコをひとつまみ、あむ、と自分でもチョコを食べた。止めようとしてももう遅い。紅燭の額にうっすらと彼女らしからぬ皺が寄る。ごくりと飲み込み、

「うん、おいしい」

笑顔を咲かせた。嘘ではない、紅燭は紅炎の好みを把握しているため、それは『紅炎にとって』美味しいものであるからだ。事実、美味(うま)い。苦いものは苦手なはずの彼の妹は、どうにも紅炎と味覚を共有したいらしかった。

「ああ……そうだな。ありがとう」

しかし紅炎は言及せず、微笑む。すると紅燭はえへへと照れたように笑う。彼女の努力に水を差すほど紅炎は愚かではなかった。無理をするなと指摘して困らせるよりも、褒めて甘やかして翳一つ無い笑顔を見ていたいのだ。

「……ところで紅燭」

しかし、それとこれとは別である。

「どうしてわざわざ不味い方を渡すのか」
「あっ、それ回収するね」

手を伸ばした紅燭に紅炎の手は光の速さで先のクッキーの袋を袖に隠した。

紅燭は特に驚くこともなく、よいしょ、と紅炎の膝に身を乗せる。
小さい手を伸ばしてこちらの袖を捕まえようとするので、紅炎は腕を後ろに回してそれを避ける。
ギシリ、と椅子が軋んだ。妹の更なる追撃。兄は袖を掴み片手で万歳しながら応戦。

真顔でいそいそと追いかけていた紅燭がはたと視線を下ろす。紅炎の鼻と紅燭の鼻との距離は、先ほど次兄を殺した(殺してない)猛毒クッキーほどの隙間も空いていない。二人は、見つめ合い、そして。

――先に動いたのは紅燭だった。

「だめ……?」

可愛らしい幼女はこりゃしめたとばかりに一瞬で瞳を潤ませた。とんだ腹芸である。これは悪魔と呼ばれて仕方ない。

「ウッ」

紅炎は低く呻き目をきつく閉じる。さながら世界一酸っぱい梅の木にクエン酸をぶっかけて育った酸っぱい梅干しを食べた勢いでぎゅっと表情筋を窄めた。己と葛藤しながら、どうにか脳内で対抗策を組み立てていく。

「……………」
「………はあ」

しかしその必要はなかったらしい。天使の皮を被った悪魔はため息を吐いてのそのそと後退していった。渋々と紅炎の腹に背を預け、やれやれ、ふう、といった風に、再び偉そうに一息つく妹を、紅炎はあれっ可愛すぎないかと見下ろす。大人らしい仕草も子供が背伸びしているようで愛らしい。何度も言うようだがこの場にツッコミはいない。

「……そうやって兄様たちが甘やかすから」

後ろを向いていても林檎色の耳は隠せないというのに。きっとその緩んだ顔で口を尖らせているだろう彼の妹は、今日も世界一可愛かった。


You’re my Valentine.


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