姉/妹 「明日、私たちは逃げるわ」 繋くんは松の木の上から私を見下ろした。手には煙管を持っている。繋くんは、家の中で煙を吸うのを嫌う。けれど私の眼にはそれがおかしく映る。だってそうでしょう、私たちの鬼の体が病むことはないのに。 「どうしてそれを私に?」 繋くんはどこか品のある仕草で、ゆるりと首を傾げた。 「止めないからよ」 ふう、と煙を月影にくゆらせる。立てた膝の上に煙管を持った方の腕を下ろして、こちらの様子を伺っているようだった。 「彼女を妹だと思うように、私は貴方のことも家族として慕っていたわ」 そう言うと兄は嬉しそうに笑った。 「けれど、誘ってはくれないのだね」 「あら、誘っても来ないでしょう?」 繋くんが山を去る家族達を見逃し、累にお仕置きを受ける姿を飽きるほど見てきた。彼はどうして累と共にいることを選んだのだろう。累と一緒で家族が欲しいのかと思ったけれど、繋くんが累のように新たな鬼を連れてきた試しはないし、累以外の家族の誰かと特別な関係を持っていた覚えもない。 私は繋くんのことを、本当の兄のように思っている。でもどうしても連れていきたいとは思わない。繋くんが心を許すのは、弟の累だけだ。 「私は、あまり勧められないなあ」 ところが彼は寂しげな表情を見せた。常に来るもの拒まず去る者追わずの彼が、私たちの出立を渋るのは珍しいと思った。私が一方通行だと思っていただけで、もしかしたら繋くんの中でも、私はきちんと繋くんの妹だったのかもしれない。 「姉さん、行きましょう」 でも、もう繋くんにそれを確かめることはできない。固く手を結びあった妹の後ろで、繋くんは唇を動かした。いってらっしゃい。彼は ◆ 鬼に亡骸は残らない。それはこの愚かな姉も変わらなかったようだ。陽の光を浴びて燃え尽きた、僕の姉さん。裏切り者の末路には相応しいだろう。 「だから言ったのに」 姉だった鬼の着物に触れながら兄が呟いた。着物に絡んだ糸を解いて、掬い出す。その首には僕の糸が巻かれている。ほんの しかしそれ以上糸が首に食い込まないと知ると、そわそわしながら僕を見る。 「絞めないのかい?」 「罰にならないからね」 兄は目に見えて落ち込んだ。これだから変態は。脚を斬り落とせば逆さまで歩き回り、皮膚を裂けば糸に顔を近づけ、日で炙れば眼を閉じる。長年兄に対する罰を考えてはいるが、これがなかなか思いつかない。いっそ命で贖ってもらおうか。いや、こんな兄でもいざという時は役に立つはずだ、きっと。その為に知能を奪わずそのままにしているのだから。 「いいなあ」 少し目を離した隙にまた、兄の意識は女物の着物に移っていた。一瞬言葉の意味を捉えかねたが、太陽に灼かれて死んだことに対してだと分かった。 「僕に殺されるのとどっちがいい?」 「ええ……なんだい、その究極の選択」 「僕だろう?」 「夜半に放り出されて累くんに首を絞められながら昇る朝日にじりじりと肌を焼かれていくのがいいなあ」 「気持ち悪い……」 「自分で聞いたのに」 「兄さんの性癖は聞いてないよ」 今のやり取りのどこが兄の琴線に触れたのか、兄は首に糸を巻かれたまま僕の頭を腕に抱いた。危ないな、うっかり首を飛ばすところだったじゃないか。 「繋」 「なんだい累くん、名前でなんて珍しい」 「繋は僕の兄さんだよね」 「そう、私は君の兄。弟を愛してやまないお兄ちゃんさ」 「ならどうして家族が離れていくのを止めてくれないの?」 「心が離れたら、それはもう偽物だ」 私は間違っているかい? と兄は言った。 戻る |