不健康な人
目に広がるのは見慣れた景色。つまらない白。止まった空気。そこでこの昼間の時間に扉が開くことなど有り得ない。有り得なかった、はずなのに。
「やあ、久しぶりだね」
私は手にしていたペンを力無く落とす。
その声は、昔よりやや低くなってはいたけれど、間違うはずはない。
「ゆきむら、くん…………」
「覚えていてくれたんだ、嬉しいよ」
忘れるはずがない。中学時代の憧れの人。
幸村君は律儀にペンを屈んで拾い、手渡しに手と手が触れた。あったかい。私とは大違い。私なんかに優しくしないで。
「どうしてここに……」
「君に会いに。それだけじゃ駄目かい?」
幸村君は昔と変わらない屈託ない笑みを浮かべた。私なんかに。
「入院の苦しみは僕もよく分かるよ。だからそんなに気を張らないで」
駄目だ、もう泣かないって決めたのに。
意志が、脆く崩れそう……
「私、幸村君とは違うよ。一緒にしないで」
冷たく、幸村君には嫌われないと。
生に固執なんてないだから幸村と会う資格なんてない。幸村はどんなどん底に突き落とされてもはい上がって、尚且つキラキラしているの。
「私、入院出来て嬉しいの。先生も看護婦さんも優しく気にかけてくれる。学校では皆私のこと無視するし。
ご飯だって困らない。家族が文句を言うこともない。
ここは天国よ」
私は悪者の笑みを張り付けるので精一杯。
見透かす前に、早く帰って。
***
幸村君、大学は私なんか足元の及ばない所に入って。
今は社会人らしい。
対して私は未だ卒業出来ていない。二回生の末から私は病んでしまった。行っていないのだから単位等なく、面倒事が嫌いな社会は私を病気療養中だと休学扱いでほったらかしている。
社会は、冷たい。
でも病院は、お金を払えば構ってくれる。
私の家は、父と母と兄の四人家族で。それなりに仲は良かったと思う。
ところが兄が交通事故で死んでしまった。それから家族は変わった。
優等生だった兄の代わりに、テストで頑張らないと。
それでもどんなに勉強しても、思うような点数は出ず。
大学受験で失敗して、さらに変わった。まるでこの家に最初から私はいないみたいに。
せめて、大学で首席になれば、少しは元に戻るかもしれない。
でも結果は、私は自ら見下したこの大学でさえ、一位になることが、出来やしなかった。
家族には愛されず、勉強のためサークルにも入らず。大学で勉強なんてダサいと言われ大して友人もおらず。
なのに何で、そんな私を貴方は見つけてしまったの。
貴方にだけは、見られたくなかったのに。
「私は早く、死にたいよ。幸村君……!」
幸村君は何も言わずに立ち尽くす。きっと幻滅してる。こんな惨めな私を見ないで。
どれくらい時間が経ったんだろう、ねぇ、と優しい声に私はピクリと反応してしまう。でも顔はあげない。
「何で、ここが分かったんだと思う?」
そんなの検討もつかない。だって大学へ行ってから、私のことは忘れられていたと思っていたから。
「君に会いたい一心で、君の自宅に向かったんだ。
名前を出した途端、ご両親泣き出しちゃって。
家族って皮肉だよね。どんなに恨んでも、結局血の繋がりは拭えないんだから」
それは、初耳だった。思わず顔を上げると幸村君と目が合う。私の泣きは腫らした目をそっと拭う。その手つきも、まなざしも、仕草も全部、変わってない。
「さて、ところでなんで俺がここに来たのかまだ言ってないね」
「俺が君を治してあげる」
「俺が辛かったとき、君がそうしてくれたように」
私は、幸村君が好きで。
その一心で、入院先の幸村君をお見舞いに行った。その時、幸村君の口から聞いたこともない暗い話ばかり出て来て。
私なんかどうなってもいいから、助けてあげたいって思ったの。
あのときの私の気持ちと、貴方の今の気持ちが同じだというの?
「幸村君、都合良すぎ……!」
「ごめん。君を不十分なく養えるようになってから迎えに来ようしようと思ってたんだけど、まだ間に合うかな?
俺と結婚してください」
私はきっと、その言葉が欲しかっただけ。
END
企画サイト「逆に」様へ提出
幸村の好みのタイプは健康な人。
身体だけじゃなく心も澄んだ人が好きそうだと思ったのでその『逆』で。
20111023
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