「失礼します」
「おぉ、」


返ってきた返事と共にドアを開けば、鼻になれた煙草の煙が漂ってくる。


「スモーカー先生、副流煙でかわいい生徒を殺す気ですか」
「安心しろ、副流煙で即死はしねぇ。どっかで病気で死んだってそれはおれの責任とはいいきれねぇわけだ」
「うわ、最低です。今日は卒業式なのに相変わらず最低です」
「卒業式なのに担任に日誌を出しに来るみょうじは律儀な奴なのか、それとも淋しいやつなのか、」
「前者で、前者の設定でお願いします」
「良いから入れ、入り口でこんなに騒いでたらうるせぇだろうが」
誰のせいですか、呟きながらドアを閉めれば、さっさと日誌をよこせ、と手を伸ばされた。
スルーかい。そうですか。

でも今日みたいなやり取りもこれで最後かと思うと少し寂しい気もする。ほんの少しだけだけど。
明日からはもう“高校生”ではないわけで。大学の準備もあるからそんなに学校には遊びに来れないし、ましてや、先生とこんなふうに二人で話すことなんてできなくなるに決まってる。

嘘だ、やっぱりかなり寂しい。

先生が好きです、とか自分に芽生える感情だなんて思っていなかった。
なんで好きになったの、って言われたら説明できる自信もない。ただ、好きなだけ。
どうしようもない感情だったけど、クラス委員として日誌を毎日生徒指導室に届けに来たり、そのときにいろいろ話したり、相談に乗ってもらったり。そういうことで満足していた。でも明日からはそれもできなくなる。

目をあげると、先生はまだ日誌を読んでいた。


「いつのを読んでるんですか?」
「この一年間のだ」
「え、長っ!」


パラパラとページをめくりながら話す。


「お前、6月に一回だけ欠課あるな」
「それ先生が病院に連れてってくれたやつですよね」
「あぁ、あの時の・・・クッ、」
「笑わないでください!!」
「ドッヂボールで脱臼するやつは初めて見たな」
「手見たら、指が変な方向に曲がってたんですよ!?それなのに先生は車の中で爆笑だし・・」
「悪かったって、お、体育祭もあったか」
「話をそらさないでください!」


先生の車の中はやっぱり煙草のにおいがした。
助手席で見た横顔とか、ハンドル持つ手とか、自分でも気持ち悪いなと思うくらい鮮明に記憶に残っている。


「体育祭は、おれは行ってないんだよな。」
「娘さんが熱出しちゃって先生が看病しなきゃいけなかったんですよね。奥さんは出張で一日家にいないからって」
「あぁ、あのときは悪かったな」


先生は、家族の話になると眉間のしわが緩む癖があるんだとか知っているのも、この学校だと多分私だけだろう。 
家族を大切にしてるんだなぁって、本当に思う。


「でも、優勝はしました!!」
「みょうじの応援は神憑ってたとか後でクラスの奴らが騒いでたな」


それほどでもあるんですけどね〜
と冗談交じりに返せば、いつもなら調子に乗るなとか馬鹿かとか返ってくるのに、今日はそうだな、とあっさり肯定の言葉が返ってきたので驚いた。


「みょうじがいたからうちのクラスは成り立ってたみたいなもんだよな、よく思い出してみれば」
「そんなこと言われたら泣いちゃいます」
「一年間ありがとな」


その言葉は、本当にこの時間に終わりを告げるようで、私は必死にこれをつなぎ止める何かを探した。


「・・・先生、その机の上の写真は何ですか?」
「あぁ、これか。お前らのこの一年間の行事の写真だ。今日学校で渡したかったんだが、間に合わなくてな。」
「みんな喜ぶと思いますよ」
「そうか、とりあえずお前には渡しておく」


封筒にも入れられずに束で渡された写真を見れば、この一年間のいろんな思い出が一気に戻ってきた。


「先生、今日の卒業パーティー絶対来てくださいね」
「あぁ、行く」
「そして私に何かご褒美をください」
「ずうずうしいな、」


500円以内なら何でも買ってやるぞ、と笑う先生に、私は大きく息を吸って言った。


内緒でキスして


なんてね、すぐに笑って言った。先生は、悪ぃな、と私の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。もっと泣きそうになった。