柔らかな陽光が降り注ぐ。ぽかぽか、した暖かな陽気。しかし、時おり、冬の名残も微かに感じさせて身体を震わせた。
ふと、ひらり、淡い花弁が視界を過ぎる。流れる風に乗って、ふわり。
まだ、花が散る時期じゃ、ないのに…
口許を緩ませて苦笑、しようとして失敗。代わりに歪む唇。僅かに震えてる事に、気付いて噛み締めた。


――あぁ…、いやだ…


この感覚は何処かで、身に覚えがある。胸が傷んで、鈍く馴染む感覚は。
…わたしが最も忌諱する感情。小さな頃から異様に嫌っていた。別れ自体を。
胸が軋んで、心に住み着く。ずっと、記憶の中で苦手な棚に分類されて離れない物。何時だって、幸福な時よりも、苦い時の方が記憶の絡まりが固い。
不意に、びゅっ、と吹いた冷たい突風に瞼をおろす。凍える風が身体を麻痺させてくれているようで、悲しい今は、うれしかった。
わたしは、いつまでこの場にいるのだろう。同じ同級生は最後の授業と言う名のお別れ会を開いている。わたしは、…出席していない。この広い校庭の片隅で棒のように、立ち止まっている。お別れ会、なんて、どう言う意味を持つのかわからなかったから行かなかった。どうせ、明日の帰りにはまた似たように集まり、騒ぐ。就職するひとは、学生最後だからわからなくもない。しかし、わたしはあの空気が苦手だった。悲しみを、共有しようと言う偽善者染みた雰囲気が。


「……――」


ひとつ、溜め息。こんなのだから、友人が少ないんだ。付き合いが悪いから…。しかし、わたしだけが特別じゃなく、クラスには個性的な人格を有すひとが多い。真面目な生徒なんてキッドさんとサボさんだけじゃないかなあ…。くすり、思わず笑ってしまう。キッドさんは顔に似合わずに勤勉で…。こうしていると、もう少しでボニーさんがわたしを掴まえに走ってくるかもしれない。お別れ会の為に、とサンジさんが持ち込んだパンを持って、なまえがサボりなんてあたしの仲間入りだな!とか太陽の如く笑って、手に持ったそれも、差し出して。 そうして思い違いに気付く。この人たちは、前の学年とは違い偽善に満ちていないことを。今のお別れ会でも悲しみを、共有しようと言う雰囲気は、からっきしに無いことを知っている。
温かい人たち、ぬるま湯のように心地好い。だから、離れる間際に初めて気がつく。あまり喋ってないひととも悪い関係じゃないことを、むしろ、穏やかで癒されて、クラスの空気にわたしが馴染みすぎていたこと。
あぁ…もう…


感傷に浸っていたのに、少しばかり良い風に台無しになった。温かい人たちなんだなあ…。先生も、本当に。
―――……、お別れなんだ…。


唇が震える。目頭があつい。一瞬前まで、肌を粟立たせていた、風を感じられない。もう、しっかりしてよ、自分、。泣くなんてみっともないじゃない。悲劇のヒロイン気取りなんて、わたしの性には合わない。それに、永遠のお別れじゃない。そうでしょう、…?
ほんとうに、?


脳裡からの囁きに、肩が震える。ちがう、。わかっている。学校から去れば、時間に従って友人とは距離が開くことを。わかっている。わたしはまた、ひとりになることを。囁きに、自嘲した。土をすこし、蹴る。わたしは自分のことしか考えていないの、。ひとりになりたくないから、なんてどんな駄々っ子なんだろう。しかし、そう感じられるほど本当に素敵、だと思えた唯一のクラスだった。漫才をしてるような掛け合いも、最初は折り合いがつかなかったボニーさんとのやり取りも、良い 思い出 になった。すべてが、過去になっていく。過ぎ去って思い出 となる。もう今として感じることはない。


この桜吹雪く場所も、良い思い出、となるんだ…。
もう少し、日を重ねると今とは及ばない程に、綺麗な桃色を祝福にと周囲に撒き散らせて。歩く人の目をひいては笑顔を与える樹。その道路側に植えられた沢山の物とは違い校庭の隅の陰にポツンと咲く桜も、思い出をくれた。
がくがく、する足に笑って、口が歪む。白い長袖で目を隠す。
――彼との出会いが、脳裏を過った。
どうしようもないわたしを、今の教室と打ち解けるようにしてくれた彼を。


――ザリッ。唐突な空気の揺らぎ。はっ、と顔をあげる前に、どっしりとした何かが頭に被さった。陽が、瞬時に薄暗く。わたしを安心させる空気が場を覆う。――ああ…。
くすり、笑んでしまう。声が掠れた。


「――なんだァ、なまえ」


「重い…で、す」


心で思った直後に足を運んでくれた間の良さに。


「あァ、すまねェ。何と無く、掛けたくなった」


なぜ、謝るのだろう、一介の、ただの生徒 に。
無器用な言い訳に胸が痛い。まぶたが、あつい…っ。自覚した途端に、堰を切ったように溢れ出る。
指で瞼をおさえても、拭っても、おさまらない。
彼が、いるのに羞恥心が混乱させて。重い上着の上から手を当ててポンポン、撫でてくれる温かさが、今は辛い。


指と指をべたべたに伝う涙に嫌気。頭が、いたい。
すこしの静寂が、惨めで悲しい。


「―あれァ、暑かったな、お前ェと会った…、あの時も泣いてたか…」
「、泣いて、ませ…ん!」


わたしと彼の始めのこと。思わず、泣くのも忘れて反論する。でたらめを言う彼に、少々むっとするけれど、ぐららら、と独特で朗らかな笑みが返ってきて、口を噤む。ほだされた。


「泣いてたじゃねェか。ここが、」


仕草は無くともわかった。心が、だ。彼が言ったら何故か様になる言葉。
でも、泣いてはいない。あのままでもわたしは平気だった。勉強は心の拠り所だったから。


「―、わ、わたしはあれでよかっ…た。でも、ありがと、ござ…います」


当時、わたしは急くように勉強ばかりしていた。登下校も放課も。そして急くように、ツカツカ、終了の鐘と共に早々帰宅していた。べつに苛めとかではなく、人間と関わるよりも勉強をしたほうが何倍も有意義だと信じていたから。人と、馴れ合うのは苦手だった。今でも、若干、そう。
変わった、のではなく、勉強にのみ向けていた積極性をすこし、周りに向けてみた。
――そうしたら、友人が出来た。


また涙がこぼれる。本音をいうと、すごく…うれしかった。
こんな理論バカでも友達ができるんだなあって。勉強に白熱した時に受け流してくれる、傍にいても空気が穏やかであり続ける存在が。、そして、彼も。


「あなたが…、」最初に数回この場で出会った。なのに、顔見知り程度でしかなかったのに突然、勉強を教えてやれ、と笑いながらあるクラスメイトを差し出す校長。わたしは人と関わるのは嫌だったけれど、人の役に立つ事をするのは好きだったから受け入れた、でも当時はそんな突拍子もない彼が苦手で。校長らしさがない、彼が嫌いで。


「校長が…」

「…名で読んではくれねェか」
喉が、詰まる。
「………、。こうちょ、エドワード、さんが…」
「……………。」
「ニュー、ゲート…さん、が…」


なんでいつも、譲ってくれないのかなあ、。校長、という立場で呼ばれるのがきらいなのか、首を捻る。オヤジ、と呼ぶ他の生徒もいるのに、。親父。これは彼じゃないと理解できない名称だけど。彼からは、父親のような、包み込む雰囲気が漂っている。他の人には、ない温かさ。これが、少々癇に障ったり、した。わたしの彼に向ける想いでは。


「、なんだァ、なまえ」

「……。」


さらり、何気無く呼ばれた名に、息を止める。先ほどからどぎまぎしたり、忙しないのはわたしだけ、なんだろうなあ、そう思惟したら、何故か嘆いているのがひとりに思えてきて、ちょっと馬鹿馬鹿しくなってきた。すこし、疲れた。もぞもぞ、大きな上着から顔を出して、丸めて腕を伸ばして押し返す。


「、ありがとう、ございました…!」
むきになっているのは自覚。しかし、一度むっとしたら、なよなよしてはいられずにつんとしてしまう。


「持ってりゃァ、良い」
赤いと思う目の事を言外に告げている。確かに、これでは恥ずかしいけども。その気遣いに、上着を押し付ける力を強める。わたしがどんなに力を込めても、よろめかない、がたいに、包容力の広い器に、慕われる先天的な性質にいつも、いつも歳の差と大人を圧倒的に感じて、もやもやする。別れが辛いのは友人もあるけど、彼といられなくなるから。先生なら会いに行ける。でも、校長は、…?


「い、いらない、です…っ!」こんなの持ってても一層、辛くて惨めになるだけ。初恋の、苦い思い出に縛られる、だけで。


「そうか…」


あっさり、引く態度にも癪で、むっと眉を寄せて、同時に悲しくなった。彼はわたしなんかには興味がないんだと色濃く実感して。今日で、最後、なんだ。彼の立場では明日は忙しいから、会えない。会えても喋れない。


「お前ェは…、」


喋れても、今と同様にわたしが浅はかにも望む関係にはなれない。彼と出会った瞬間から気付いていた。恋愛には興味がないと。彼のことだからこそ…、。
もう一生、
ふと心からふつふつと思いが込み上げてくる。だとしたら、未練がましくうじうじと悩んでいないで、きっぱりして会わない方がわたしらしい。悩むのはやめにしたい。いや、やめる。そうして一生涯、恋はしない。疲れたのも、あるけど初恋で終わりだろうから…。


「ニュー、ゲートさん…!」 俯かせていた顔をしっかりとあげて、強く見据える。ああ、今日は、いつになく無謀。


「――、」
絡む視線に、逸らしたくなって踏みとどまる。


「わたしはあなたのことが、す…好きだ、!」
あ、失敗したと思った。男らしいと。しかし、どちらにしろ玉砕するなら


「校長としてじゃなくて、お、お…男として、で。もちろん、答えがほしいわけじゃなくって、でも、好きだから……!迷惑だと知ってるから今日で、おわりにするっ」むりだ。でも。
顔があつい。バカなことをした。しかし、不思議と後悔はしていない。うそ。ちょっぴり、ある。なんせ、今までの友情らしきものは壊れたから。


「だから、…、その…ありがとう、ございました!」


踵を返して、頬を押さえる。あつい、あつい。思い切ってしまった、
涙腺が弛みそう。
今日は、もしや厄日かもしれない。


駆ける、と突如、腕を引かれる。
は、。息が詰まる。彼に嫌われたくないから行かせてほしいと切実に願って。


「バカじゃねェか…」
ごもっとも過ぎて、目頭が熱い。逃げ出したい。


「おれァ」
「……、、」


「答えは決まってらァ…」ぐぃ、柔らかく抱き寄せられて、胸板が近い。、、息が出来ない。
回された腕の意味がわからない。どきどき、鼓動が早鐘の如く、加速して。目眩に視界がぶれた。


「立場なんざ、おれァ、どうでも良いが…お前ェは違うだろう。…あいつらもお花見してェと言ってたか。
全てが終わった時、ここに来い」
「…、、」


「、すまねェな、なまえ。お前ェに先を越された、このおれが、なんざみっともねェじゃねぇか…。グララ…」


腕を引かれて、ぎゅっと温もりが近付いてすぐに離れた。


なにかを、囁いて立ち去る、綺麗な姿勢の彼を見送って、ずっとぼんやり、していた。
どこか遠くで、キーンコーン、鐘が鳴る。ぐわんぐわん、頭が回って、揺れる地面に膝をついた。、あり、えない。彼が、恋をするなんて有り得ないことで見事にわたしの意表をついていた。彼は大人で校長でみんなに尊敬されていて憧れで。でもわたしは恋を抱いて、バカみたいだと、…。夢だと感じるから池に飛び込みたくて、しかし、立ち上がる気力もなく、こんな時に限って穏やかな蒼天を呆けて眺め続けた。
望みはないと信じていた。
抱き締められた、時のぬくもりが、身体に残っていた。


淡い一本の桜の樹が、実を広げる時季の、おもいで。


彼と出会った思い出の場所はたくさんの幸せが詰まった、生涯忘れないところになった。さぼろうとした、卒業式は、悲しみだけではなくって、優しさに溢れていた。


「おれァ、お前を…なまえを愛している」


別れはそれだけがすべてだと、小さな頃から思っていた。


「オヤっさんは一目惚れってヤツだってサッチが…むぐっ」ずるずる、
「ハハハ、邪魔するみてェな無粋なマネをすると馬に蹴られるって言うぜ?」
「むぐ、もごも、ご…!」
「差し詰め、マルコにってか?」
「うるせェよい…、」


桜散る季節の思い出。これから訪れる記憶の一ページ。


――――


おれァ、お前ェ、なまえに幸せになってもらいてェと思った。まるで生きてやがらねぇ目ェしやがって、。気に入らねェじゃねぇか、それだけだ、と理由つけて区切っていた。若ェ命、おれが縛るわけにゃいかねぇだろう。未来を担う若ェヤツを。

しかし、なまえの覚悟を耳にして笑った。おれが、逃げていたとようやっと知った。無様じゃァねぇか…。おれよりも弱ェ、なまえに気付かされるったァ。

なまえ。おれの傍に、いろ。息子共々、護ってやらァ。

愛している。