甲板に出てみると、そこは雪雲に覆われた空が広がっていて、風が冷たく吹き荒び、やはりコートだけでなくマフラーもしてくるべきだったろうかと、ナマエは一瞬後悔した。しかし、航海士の言葉を信じるならば、30分もすれば雲は晴れ、太陽が顔を覗かせるらしいので、そして部屋に戻るのが多少面倒な部分もあったので、ナマエは寒さに耐えることを選択した。どうせ寒さに極端に弱いわけでもないのだし。
広い甲板を見渡し、船尾寄りの船縁にお目当ての男を見つけて、パタパタと歩み寄った。


「おはようございます、ジョズ」
「おう、ナマエか」


巨体に似合わず柔らかな笑みがナマエに向けられた。厚着をしているジョズは、いつにも増して身体が大きく見える。一般平均よりもずいぶんと背が高いナマエだが、それでもやはり首が痛くなるくらいまで見上げなければ彼と目を合わすことは叶わない。彼の座る船縁に、隣へ飛び乗ってちょこんと腰を下ろし、背中に隠していた物をジョズに見せた。


「チョコか?」
「はい。バレンタインですからね」
「俺に、か?」
「当然ですよ」


わざわざジョズに見せ付けた後で、"これ、マルコにあげるんですよ"なんて空気の読めないことも言わないし、恋人の前で他人にチョコを渡す宣言をしようなんて思わない。戦闘中はいつも自信満々でカッコイイジョズなのに、こと恋愛となれば急に照れが多くなってしまうのだからむしろ可愛いとすら思えてしまう。相当に歳の離れた恰幅のいい男性に向かって、可愛いとは、ナマエもずいぶんとおかしな趣向を持ってしまっただろうか、と首わ傾げた。


「あ、開けるぞ」
「どうぞ」


ジョズのサイズには思いきり小さいかもしれないが、器用な彼はするするとナマエが包んだラッピングを解いていく。破ることなく包装紙を平面にしたジョズは、箱の中に可愛らしく入ったトリュフチョコとブラウニーを見て、感嘆の声を漏らした。


「すげぇな、ナマエ」
「まぁ、もともとこういうものを作るのは好きですから」


指先でトリュフをつまみ上げ、口に運ぶジョズ。口の中ですっと溶けて、甘さとカカオの匂いが咥内を駆け巡る。文句なしに美味いと言えた。続けざまに二つ目も放り込み、甘い物が好きなジョズは舌鼓を打った。もう、表情から何から全てがこのチョコを美味いと言っているジョズを見ていては、ナマエも頬が緩んでしまうというもの。航海士の予報通りに晴れ間が見え、いつの間にか風も冷たさを失っていた。


「ナマエも、どうだ」
「いえ、ジョズの為に作ったんですから」


それに、後で言うつもりだったが……というか、もう何年もそうしているから、既に気付いていることだろうが、ナマエは白ひげ海賊団全員の分を作っているので、最早匂いだけで腹が完全に膨れてしまっているというのが本音だった。


「あ、ジョズ。口にチョコついてますよ」


大きな口で小さなチョコを食べていて、どうして口の端にトリュフがつくのか疑問だが、ジョズは普段の食事中にもこういうことが頻繁に見られていたので、ナマエにとってはもう慣れたものだった。


「どこだ?」
「あぁ、私が取りますよ」
「気をつけろよ。ただでさえ足場が不安定んだからな」


モビー・ディック号の船縁が広いとは言えど、さすがにヒールのあるものでは一歩足を踏み違えば落ちてしまってもおかしくない。そういう意味も含めてジョズが注意を促したのだが、当のナマエは"平気ですよ"と軽い調子で立ち上がった。座ったジョズと、立ったナマエ。それでも思いきり手を伸ばさなければナマエの指先はジョズに届かない。挙げ句、ジョズに少しかがんでもらってようやく掬い取るに至った。もう自分で取った方が早かったような気もしたジョズだが、ナマエのたおやかな指先が触れるのは気分がよくて、嬉しさが込み上げた。
その時、案の定というか、事件は起きてしまった。うっかりしていたナマエが、足を捻ってしまったのだった。左足を、音がするくらいにまでグキッと捻ってしまい、身体のバランスを崩して海へとその身を傾けてしまったのだ。奇妙な浮遊感と漠然とした恐怖に、ナマエは目を見開いた。


「ナマエ!!」


ジョズの、巨体にそぐう大きく長い手がナマエの手を掴んだ。ぐいっと引き寄せ、彼女が海に落ちることだけはなんとか防いだ。自分は能力者故にナマエが海へと投げ出されても己の手では助けてなどやれない。目の前で海に沈む彼女を見ても、サッチなりビスタなりに助けを求めなければならない。それはいくら何でも切ないし、もどかしい。必死になってナマエを抱き寄せ、どこにもやらないとばかりに強く抱きしめた。ぎし、と締め付けるがごとく腕の中に収められ、ナマエは流石にバシバシとジョズの背中を叩いて苦しいと主張した。訴えに気付いたジョズが、慌てて手を放す。


「わ、悪いナマエ!痛くないか?」
「足の方よりは平気ですよ」
「だから言ったじゃねぇか。気をつけろって」
「あはは。調子に乗っちゃいました」


心配させるな、とジョズは頭を小突く。ぺろりと小さく舌を出し、ナマエは"すみません"とあまり悪びれない様子で謝った。とりあえず船医に見せようと提案するジョズだったが、ナマエが小さく首を振った。


「もう少しだけ、ジョズといたいです」
「馬鹿野郎。捻挫は癖になるんだから早く見せるぞ。そして冷やすんだ」
「……ジョズも、ついて来てくれますか?」


せっかくの恋人達の祭典だというのに、ジョズと離れてしまうのは寂しすぎる。ぎゅっと男の服の裾を掴んだナマエは、目で訴えた。苦笑したジョズは、そっと頭を撫でて額にキスをくれてやる。肯定の証だ。さらさらとしたナマエの髪を撫で、ジョズは彼女を肩に乗せて船内へと向かう。その間ずっと、ナマエは男の首に手を回していた。自分は彼のものだと証明するかのように。うっとりと目を閉じて、安心したように息を漏らす仕種が愛らしくて、ジョズは微笑んだ。しかし、もっと彼に寄り添おうとナマエが身をよじると、危うくずり落ちそうになったので呆れ気味に片眉を上げる。


「お前って奴は、本当に危なっかしいな」
「ジョズに、しっかりと手綱を握っててもらわないといけませんね」


至近距離で臆面もなくそう言われて、ジョズは少しだけ照れた。が、それに応えるょに、肩に乗るナマエの手を強く、しかし痛くない程度に掴んだ。それを感じると、ナマエは嬉しそうにその手に擦り寄って愛情表現をするのだった。





もう少し甘えてもいいかな
(ねぇ貴方、)



『R 50』様へ捧げます。素晴らしい企画に参加させていただき、本当にありがとうございました。