×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




中大路ななし、と云う女の子がここに来て暫く経つ。府内では有名な醤油商店の跡取り娘だ。
初めは皐月会へ入会する、という意向を彼女の母親から聞いていたのだけれども、彼女自身の希望から名頃会でかるたを学ぶことになった。人見知りをしない、竹を割ったような性質であるのに、それでいて年不相応な沈着さに、時折どこか冷めた眸をする不思議な子供だった。閉鎖的な方でもなく、素直に話を聞き、礼儀も叩き込まれているためか子供ながらすぐに自分より遥かに身の丈も年も上の既存の会員にも受け入れられた。とくべつ、関根くんと話をしている所を見掛ける。悪態もつけている。同世代の大岡紅葉くんとも仲が良い、──が。

「きみの番や、中大路くん」
「…!はい!」

何故か俺に対してだけは、不自然なほどに余所余所しい、怯えたような態度を取るときがある。初めはめりはりの付いた子供だと関心をしていたのだが、帰り際に声を掛けても同様であるので首を捻る。──出会ったとき、彼女を此処に迎えると決まったとき、見せたあの笑顔をまだ一度もここで見ていないのだ。

「関根くんちょっとええか」

帰りの支度を済ませた関根くんに声を掛けると、不思議そうな顔をした。

「なんです?」

中大路くん、どうや。唐突にそう問うと、関根くんは少々安堵したように唇の端を歪めた。人差し指で頬を二、三掻くと少し考えるような仕草をする。

「ああ、…歳の割に物怖じしませんね」
「君と仲良さそうやな」
「僕、中大路醸造の広報の写真撮らせて貰てるからやと思います。そこでよう話しますし」
「そうやったんか」
「彼女、どうかしたんですか?」

今度は逆にそう問われてしまった。却って回りくどい聞き方をしていたらしい。関根くんは手に持っていたリュックサックを下ろしたかと思えば、立ち話もあれですし、と縁側を指差した。座布団を二つ並べて座れば、話が素直にできるような気持にもなった。

「──俺だけ、えらい怖がられてるなァ思って。気のせいか」
「気のせいやないかもしれないですね。ほら、初日に目の前で怒鳴らはったからやないですか」

初日といえばななしくんへ新しいかるたを贈り、部屋の中を案内したくらいだ。その時は確かまだ怯えた様子もなく、興味深そうに周囲を見渡していた位の記憶しかなかったのだが。関根くんにそう云われ、そんなこともあったなと漸く思い出す。だがあれは彼女に怒鳴ったわけではない。

「あれはしゃあない。練習中にふざけとった子ォ叱っただけや」
「怖かったんとちがいますか?──名頃先生怒ると僕も怖いですし」

関根くんが笑い混じりに云う。成る程、確かに恐ろしかったのかもしれない。よく知らぬ大人が激昂する姿は子供からしてみればけして心地よくは無いだろう。
古池を眺めていると、あめんぼが水面を揺らしながら、すい、と動く。

「確かにあの子は聡いですけど、子供です。分るわけありませんて」
「…どないしたらええんか」
「話しかけてみたらええと思いますよ。中大路くん、先生の事は好きみたいです。いっつも目で追ってますから」

美味しいもんでも食べながらなら尚更、と付け足す。彼は自分よりも若いけれども、子供の扱いに存外慣れているようだ。
それよりも、中大路くんが自分のことを目で追っていたとは気が付かなかった。もしかすると、場を和ませようとした関根くんの只の冗談なのかもしれないなと思った。




「君、一寸ええか」

翌日、来たばかりの中大路くんに声を掛けると、やはり一瞬ひどく驚いた顔をする。強張った顔を自分でも自覚しているようで、思わず両頬を手で押さえている。

「名頃せんせえ」

よく通る大きな声で俺を呼んだ。自分の口の前に人差し指を遣ると、中大路くんははっと自身の口を塞いだ。紅葉のような形の小さな手が、必死に動く姿が何だか可笑しい。彼女の身の丈まで屈むと耳元で呟いた。

「皆に内緒でわらび餅食おう思て、買うてきたんやけど、こないにたんと食われへん。──後で、手伝ってくれたら助かるんやけど」
「…わたしがいたら、先生助かるんです?」
「助かる。頼まれてくれへんか」

内緒やから、と二度念を押すと、嬉しそうに頷いた。子供は内緒話が好きだということはいつになっても変わらないらしい。







「気ィつけてあがり」
「はい」

誰もいなくなった和室の真ん中に、小さなちゃぶ台を置いた。台の上に買ってきた餅をおいて、小皿に取り分けて前においてやれば目を輝かせている。──用意をしておいて今更なのだけれども、この位の歳の子が和菓子程度で喜ぶものか、甚だ疑問であったが彼女を見る限り心配するほどの事はなかった。黒文字を使って小さく切りながら口に入れている。給湯室の冷蔵庫の中にあった茶を湯呑みにそそいでやり、脇に置いてふと肘をついて彼女を見たとき。ここで、ああ流石にここまでは今までこのかたしたことが無かったな、と気がついた。自分でも面白くなる程の世話の焼き具合に、自然と笑いがこみ上げる。

「中大路くん」
「はい」
「君の先生は怖いか」

彼女の肩が大きくぴくりと跳ねる。

「分かりやすいわァ、君のそういう所嫌いやないな」
「あの」
「ん」
「名頃せんせえは怖ないです、…そうやなくて」

一呼吸おいて言い淀む。云って良いものか悪いものなのか、決めかねているようだった。暫し思案して、そして腹を据えたのか漸く重たい口を開いた。

「せんせえは、会員さんをぶたへんのですか」

それは予想もしていない問いだった。彼女はいたって真面目な顔をして此方を見据えている。呆気にとられ、何も答えない俺に向かってぶたへんのですか、と同じ調子でもう一度云う。──まるで、刷り込みのようだと思った。彼女の不思議な、垣間見えるその不釣り合いな大人びたような所は何かを達観しているところから来ている。そして、その何かを諦めかけているのだとも。

「…ぶたへんよ。怒ることはようあるけど」
「そっか」
「俺が君の事ぶつと思てたんか」
「ううん、全然。ただ、何でって思っただけなんです」
「何を」 
「悪いことをしたら、そうするって、どこもそうやって。でもここは違うから」

たどたどしい語調にはそぐわない言葉に、誰がそんなことを、と云いかけて口を噤んだ。
問えばきっと答えるだろうが、それにずけずけと踏み込んでよい謂われはどこにもない。そして彼女の心を二度痛めつける権利も、誰にもない。話せば解決することでもない、中途半端な干渉はきっと益々彼女を傷つけてしまうだろう。──いつか、知らず知らずに傷ついた心を、自ら知ろうと動かねば根本的な解決にはならないのだ。
対面に座る彼女へ手招きをすると、食べかけのわらび餅を飲み込んで俺のすぐ傍に座る。

「手貸してみ」

膝の上で確りと握られていた彼女の手を取ると、ひんやりと冷たかった。


「…他の人は知らんけど、俺は、人はぶたへんよ。この手ェはかるたするための手や。君らにかるたを教える、大事な手やから」
「うん」
「勿論君の手もそう。覚えておきや。その手も、目も、耳もぜんぶ。自分のもんは自分で大事にすること。分かるか」
「…わかります」

控えめな返事がされる。今はこれだけでも十分だろうか。先程までどこか仄暗かった眸に、一筋の光が差したような気がした。


「忘れたらあかん。いつか、かるた辞めるときが来ても。ずっと覚えておくんや」


俺が彼女に云ったことは、果して彼女にとってどのように作用するのか、数カ月後か、数年後か。もしかしたらひとつも響かないかもしれない。──あの人のように、自分は優しく人を導くことすらままならないのかもしれない。ただ目の前の、どうしようもなく助け起こしてやりたくなる彼女が、ここでいつか自分の居場所を見つけて、また心から笑えるその日が来るといい。

20170525