×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




「しっかり届けますさかい。任せてください」

長い時間待たせていたにも関わらず、関根さんは嫌な顔ひとつしなかった。私が助手席に乗ると、鹿雄先生はシートベルトに手を掛ける。かちりと穴にはまる音がする。

「先生。おやすみなさい」
「明日は此処に来んと、まっすぐ家帰って休むんや。ええな」

優しく諭すような言葉に小さく頷くと、つよく扉が閉められた。車はあっと言う間に進み出す。サイドミラーを見れば、先生はあの日のように此方を見送って呉れていた。
車内にはラジオが流れている。

「何かあったやろ」

信号で車が止まってすぐ、卒然、関根さんが口を開いた。彼はこれでいて勘が鋭い人だ。私が分かりやすい質であるのかもしれない。彼の方を見る。何も私が答えないでいると、ラジオの音量がごく小音になった。それにあわせて、車が急に自宅の方向とは逆に向かってハンドルが切られる。
関根さんは私が、あの家に帰りたがらない事を分かっている。特別私自身が家の事情を事細かに話した訳では無く、彼の本職であるカメラマンの仕事が、中大路家の生業と関わっていたからだ。中大路醸造の広報の写真はすべて彼が撮ったものを使っている為、うちに出入りする機会は多い。──そこで、幾度となく見たのだろう、私と両親のちぐはぐな構図を。
車はやがて見慣れたコンビニへ停まる。

「欲しいもんある?」
「あ…いえ、大丈夫です」
「そう」

すぐ戻る、と関根さんはエンジンをかけたまま車から降り、コンビニの中へ入る。既に買うものは決まっていたようで、飲み物を二つ持ってすぐに出てきた。運転席の扉を内側から開けてやると、目の前にカップが一つ差し出される。ココアの甘たるい香りが鼻を掠めた。

「まあ、飲んで気ィ楽に。…そんなこの世の終わりみたいな顔さしたまま、家帰せへんし。──寄り道した事、先生には云わんといてな」
「…関根さん」
「君んとこ複雑そうやから」

苦笑すると冷たいコーヒーにミルクを二つ入れ、ストローを挿した。私も、彼もぼんやりと目の前で煌々と光る看板を見つめながら喋り続けている。

「鹿雄先生に、読手になったらどうやと云われました」

思いがけないわたしの言葉に、関根さんは飲みかけのコーヒーを誤嚥した。苦しそうな咳がしばし続く。背中を擦ると、涙目の彼が漸く枯れた声を出す。

「また、急やな」
「ええ。鹿雄先生、えらい褒めてくれて」
「うん……。まあ、僕もさっき云うたけど。上手かったわ」
「……有難う御座います」
「ただ、先生も云うたと思うけど。もっと大会に出て、経験積んでからやろ。先の話や、君まだ若いんやから──そもそもなりたいんか」
「分かりません」


実際、本当に自分のことだというのに分からずにいた。
私が競技かるたを始めたわけも、けして純粋な興味などではなかった。私は愛されたかったのだ、それも、初めは誰でも良かった。目の前に手を差し伸べてくれる人ならば、どんな人でもきっと輝いて見えたはず。一番身近な人が与えてくれなかった物を、与えてくれる人が欲しかった。ただ、私の手を取ってくれる存在が。
あの日、暗闇から自分のことを抱き上げ笑いかけてくれたのは、鹿雄先生だ。あの時私は、自分が変わりたくていたとばかり思っていたけれど、そうではない。もっと──違うなにか。それが一体何なのか、心の中にはたしかにあるものだというのに、言葉としてはまるで浮かんでこない。それが自分の未熟さゆえだと思えば悔しくて、其れでも無理に声に出そうとすれば、今度は涙が溢れ出した。溢れた先から濃い色の袴に斑となって染みが残る。

「な、泣くなや…!」
「勝手に出るんです。上手くいえなくて。ごめんなさい……」
「アホ、子供が一々気にしな」

関根さんはすぐポケットを探る仕草をしたけれど、どうやら目当てのものは無かったらしい。少し考えたあと、思い出したようで慌ててダッシュボードを開く。雑然と積まれた広告付きのポケットティッシュの一つを取り出し、目の前に突き出した。

「鼻垂れてんで」
「うそ」
「うん、嘘や」




  

家に着くまでには23時を回っていた。車から降りる前に改めて携帯を確認したけれども、やはり連絡は一つもない。
関根さんは私より先に玄関へ向かい、インターホンを押した。遅れて彼の後ろにぴったりとつくと、こちらを見遣り一言、心配しなや、と呟いた。やがてすぐに外の明かりが点いた。中から見慣れたお手伝いさんが、能面のような顔を出す。

「夜分にすんまへん、関根です。いつもお世話になってます」
「おばんです。──ななしさんを送ってくださりまして、有り難う御座います」
「練習が長引いてしもうて、遅うなりました。親御さんに宜しゅうお伝え下さい」
「ええ、確かに。──さあ、中へ」

促され家の中へ入る。飲みかけのココアは手の中ですっかり冷めてしまっていた。

「…おやすみなさい。それから──有り難う御座いました。少し、楽になりました」
「そら良かった。おやすみ」


ぴしゃりと扉が閉まる。
外のエンジンの音が離れてゆくのを聞くと、ようやく現実に引き戻されたような心地がした。

20170521