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お菓子を頂き、お茶まで飲みきってから名頃先生とゆっくり手を繋ぎ歩いて家路につく。帰り道に夕焼けがわたしと先生の影をながく照らした。家の前の横断歩道の、白のラインだけを踏んで渡りきると、先生も一緒になってしてくれる。こんな事は親ともしたことがなかったものだから、わたしは二度しか顔を合わせたことが無いにも関わらず、すっかり先生に懐いてしまっていた。

「ななし!一人で何処に行っ…な、名頃先生?!まああ!うちの子が何か失礼を!」

案の定、玄関の扉の隙間からわたしの顔を見た母は大きな声で私を叱りつけようとしたのだが、名頃先生を見て声が明るくなる。

「中大路さん。服とお菓子、有難う御座います。ななしちゃんはほんまにえらい子ですわ。失礼なんてこと一つもありません。挨拶も良う出来ますし、褒めたって下さい」
「そんな、とんでもない…!」

母は名頃先生の影に隠れていたわたしを手招きして呼びつける。渋々暖かい手のひらを手放すと、まだぬくもりが残っているような気がした。



「…ところで、ななしちゃん、かるたやりたがってはるんですわ」
「──ええ、知ってます。名頃先生のとこへ行ったあと、珍しゅう私に云って来ましたから」

玄関先でとりとめもない会話をしていたのだが、突然、強引に世間話を半ば断ち切るように名頃先生はわたしの話を振る。母は暫し悩んだあと、躊躇いがちに皐月会へ遣ろうと思う、と洩らした。先生は明らかに落胆の色を見せる。

「わたし、おじちゃんのとこがいい」

大人独特の空気を断ち切ったのはわたしの声だ。母は驚いた顔をしたけれど、先生の手前もあったのだろう。ななしが云うのなら、と渋い顔をして頷いた。思わず先生の方を見上げる。

「中大路さん。きっちり見させてもらいます」

わたしの視線に気がついた先生は、下を向いて、こちらへ目を合わせる。母に分からぬほどの身振りでふと手を指差すので、再び目線を下にやると小さく人差し指と親指で丸を作ってみせた。──先生は大人なのに、友達のような親しみやすさを感じさせるのは何故だろう。それが嬉しくて、思わず先生の足元に飛びついた。背中の方から母の焦る声が聞こえたけれど、知らぬふりだ。わたしの行動に何ら驚きもしなかった先生が、かまへんですよ、と云うと同時に自分の体がふわりと宙を舞った。抱き上げられている。普段よりも高い目線で、大人を見下ろしているのは新鮮だ。

「嬉しいわ、君とかるた出来るんやから」
「おじちゃ…。ううん、先生!宜しくお願いします!」

勢い良く頭を下げると、思ったより先生との距離が近かったようだ。ごちん、と互いの頭がぶつかる。また、母の悲鳴が聞こえた。

「あいた」
「せんせぇ、ごめん」






先生が帰ると、母は小さく溜息を漏らす。

「皐月会へ入れたかったんやけどなぁ」

一人ごちるとわたしを残してまた廊下の奥へと消えていった。広い玄関にぽつり佇んでいる。

──ここは、実のところ自分の本当の家ではない。
この中大路の家は『中大路醸造』と呼ばれる、伝統ある醤油商店だ。跡取りもいない夫婦の元に養子として縁組したのがわたしだった。なに不自由もなく育ててもらっている。この身の上は恵まれている、十分に分かっているのだ。ただわたしを父も母も、『中大路ななし』を家の跡継ぎとしてしか見ていない。──わたしを見ているようで、母と父はその先を見据えていた。子供ながら痛いほどわかる。
抱きしめてもらったことなど、愛情をもって手を繋いで貰ったことなど、一度たりとも無いのだから。だからこそこの時のわたしには、先生の優しさが、受けたことのない一種の情熱が、特別なものだとばかり思ってしまったのだろう。
暗い廊下を抜けて、自分の部屋にほど近い物置の中を漁る。──古い本棚から埃の被った本を取り出した。『小倉百人一首総覧』は幾度も読み返され、背表紙はすっかりすりきれていた。さっと表紙のごみを払い、足早に部屋に戻る。夕食までまだ呼ばれるには時間があるだろう、古ぼけた本を一ページ、また一ページ捲っていく。その殆どの意味を理解することが出来なかったけれども、その中で、とりわけ目を惹く一首は今でも覚えている。


(玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする)

20170512