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「ごめんくださぁい」

大きな門戸の前で声を張り上げる。
インターホンを押せばよかったのだけれど、それは手の届くところにあればの話だ。母に前から『他所の家へ行ったら相手が開けてくれるまで待つこと』とよくよく教わっていたため、恐らくここの鍵は開いているであろうのに、律儀にこの場に留まっている。先程から人の声もするのだが、こちらには気付いてもらえていないようだ。もう一度、すみません、と大声を出そうとしたとき。真後ろに人の気配を感じた。振り向くとそこには先日会った名頃先生がいる。

「こんにちは。ご無沙汰してます」
「こんにちは。御姫さ──ななしちゃん。」
「こないだの服を返しに来ました。おおきに。お菓子も召し上がってください」
「何や悪いなァ。あれ、お母ちゃんは居てはらへんの」

周囲を見渡す名頃先生。ここからわたしの家まで、片道歩けば大体30分ほどだ。前回は車で来たけれど、母は兎に角忙しい人だった。お稽古が夕方まであるからそれまで待っていろと云われたのだけれど、既に玄関先に用意されていた紙袋と菓子折りを見たので、こっそり一人で此処まできたのだ。…後で怒られるかもしれない。

「お稽古で忙しいので、今日は一人です」
「そらすごい。せや、折角やから一寸寄っていき」
「え?」
「見学。この間すぐ帰ってしもたし。初めてやろ」


そういえば、この間はここで昼寝をしただけだったっけ。目をきらきらさせて私に声をかけてくる名頃先生は嬉しそうだ。その顔を見ると、子供心に罪悪感が芽生える。──実のところ、後日もうひとつ、母に連れられて別のかるた会の見学へ行っていた。ここよりももっと大きな、立派な建物で、沢山の人が凌ぎを削っていた。皐月会だ。ここは名頃会よりも著名であるらしく、母はより息巻いていたのだ。前と同じように会員の人の話を多少聞き、練習風景を見せて貰っている。それを態々云うこともないだろうと、先生の言葉にはただ何も声にせず頷いた。



『──かるたやったら此処はどう?皐月会云うてな、人も多いし、設備も整っているし、ななしもきっと気に入ると思うけど』



母はどうやら、私を皐月会へ入れたがっているような様子だった。この日は会長と呼ばれる人が丁度居り、とくに人が多く集まっていたらしい。人混みに揉まれながら、隙間から覗くように試合を見学した。……そこで見たものは。
さびしさに、と読手が読み上げるのとほぼ同時──美しい人が力強い払い手で札を取る姿を見た。勢いよく飛ばされた札がわたしの足元まで滑り出してくる。それをさっと拾い上げ、此方に向かって歩いてきた女の人へ手渡した。薄い唇がうっすら弧を描く。目をそらせないほどの存在感に圧倒されているうちに、ふわりと髪を靡かせて、彼女はまた部屋の中心へ戻って行った。流石皐月会長、と周囲の称賛の声で、ああ、あの人がこの大きな集団を魅了する人なのだなと思った。だからこそ。今日ここで名頃会がどんな様子であるのかを見ておきたかったのだ。
名頃先生に促され、先日寝転んだ縁側を抜けていくと、ざわざわとした声が次第に大きくなっていく。一際賑やかな部屋の襖を開けば、そこでは先日皐月会で見たものと似た光景が広がっていた。ただし、こちらはずいぶんこぢんまりとしている。年齢の幅もありそうだ。
カセットテープで読まれる和歌に一斉に反応する会員の中に、自分と同じ年頃の子がいることに気がついた。

「あの女の子…」
「君とおんなじ位の歳やけど、強いで。」
「……私もたくさん、たくさん、練習したら強くなれますやろか」
「なれる。練習したら、ぎょうさん札取れるようになるわ」

私の言葉にすこしの間も開けずに答えてみせる。それがとても嬉しかった。それだけで、不思議と自分が認められる世界がここにあるような気がした。私には、この名頃会でかるたを学んでゆく方が、遥かに自分らしく生きていける。もしかすると、ここで私は変われるかもしれないと漠然と期待に満ちていた。今の自分はきっと、皐月会のあの女性のように凛と美しくはなれそうにないだろうから。

「そうや。君んちから貰った菓子、一緒に配ってくれたら助かるんやけどなァ……」

試合を見つめていた先生は徐に、私が先程渡した紙袋から、お菓子の箱を取り出した。中身はたしか、近所で贔屓にしている和菓子屋さんの饅頭が目一杯詰まっていたはずだ。確かに一人で配るには手間がかかる。

「いいですよ」
「ついでに君も食べていき。この試合が終わったら、おやつの時間。食べたらうちまで送ったるし」
「はい!」
「ええ返事」

大きな手のひらが頭に触れれば、私の髪はくしゃくしゃになる。

20170511
20180523 修正