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鹿雄先生と出会ったのも、紅が美しかった季節だったと記憶している。あの日も確か、水際の散り落ちた紅葉葉が波打つ水面に広がっていた。

──煤けた皐月堂の周りにはヘリコプターがせわしなく飛んでいる。



名頃鹿雄先生との出会いは、私が小さい頃近所の「名頃会」と呼ばれるかるた会へ連れられたことがきっかけだった。母は十数年前まで有名な競技かるたの選手だったらしく、私にもやらせようとする流れはごく自然であると思う。名頃会の会長を務めている「名頃先生」は、選手の育成にもとくに力を入れているのだと母の横でぼんやり話を聞いていた。しかし、子供であった私はついに飽き、熱心に話を続ける母と会員の目を欺いて、和室を抜け出した。襖を音も立てずに閉じる。
和室を出てすぐ傍に大きな錦鯉の泳ぐ池があった。飽き飽きはしていたもののあまり知らない建物を無闇に歩き回ってもいけないと、縁側に腰を下ろした。暖かな日差しが降りかかる。着ていた上着を小さく丸め抱いて体を横たえる。日だまりの心地よさに身を委ねれば瞼がゆっくりと落ちた。
意識を手放す直前に、赤まだらの鯉がぽちゃんと跳ねる水音を聴いた。



「こんなところで何してん!申し訳ありません……」
「いえ、構いません。可愛らしい娘さんですなァ」

母親の大きな声で目を開く。ぼんやり定まらない視界の真ん中には母と、それから知らない男の人だ。縁側の硬い板に身を置いていたはずの私は、何故かその知らない人の膝の上に頭を乗せている。そしてしっかり見覚えのない大きな上着に丸まっていた。上着からは、母の香水とは比べ物にならない嗅いだことのないようなよい香りがする。

「あァ、目覚ましたみたいや。おはよう。なよ竹のかぐや姫さん」

男の人はだれよりも、穏やかな笑顔を向けてきた。

「わたし、中大路ななしです。かぐや姫なんて名前と違います」
「すまんなァ、あんまりにも可愛らしかったし……。それに、おじさんは君の名前知らんかったから、つい」

私は知らない人の膝に頭をのせたまま悪態をつくと、その人はくつくつと笑う。余りにも心地がよくいつまでもそうしていたい気持ちになった。けれども、頭の上から金切り声で再度名前を呼ばれ、渋々と体を起こした。男の人の上着を畳もうとすると、自分の体と床の間に巻き込んでしまっていたためかすっかり皺になってしまっているのがわかる。ちらり、と横を見遣る。相変わらずその人は笑っていた。

「しわにしてしまって、すんまへん」
「何やそんなことか、ええよ。好きで君にあげたから。気にせんで。寒なかった?」
「はい。ちっとも」
「申し訳ありません、名頃先生。クリーニングしてお返しいたしますので…」

母が何度か謝りきると『名頃先生』はついに折れて、じゃあお願いしますと困ったように云う。私はその上着を丁寧に畳むとしっかり胸に抱いた。やはり気のせいではない、花の香りがする。クリーニングに出すということは、これを返すためにまたここに来られるのだろう。この人に会えるのだろうか。


「ところで、中大路さん。ななしちゃんはかるたをやりにうちに来てくれたんです?」
「その予定やったんですけど……。本人、まるで興味が無いみたいで。今日はひとまずお暇致します」


先生の側から強引に手を引かれれば、つんのめるようにして母の足にぶつかった。それでもこのよい匂いのする服だけは落とすまいと、しっかりと腕に力を込める。踵を返して歩き出す私たちに向かって手を振る先生へ振りかえそうとするけれど、右手はしっかりと母が握っている、左手もめいっぱいでどうしようもない。せめて、さよならと声こそ出さず告げると、先生は殊更大きく手を振ってくれた。
帰る道すがら、渡されたおやつを車の中で食べながら、わたしは母に告げる。


「お母さん、かるたやりたい」


20170510
20180523 加筆修正