栗色の令嬢と永遠の誓約 懐かしい、夢を見た。
まだお祖母様が生きていた頃の、夢を。
その日は、朝からずっと嫌な予感がしていたの。
たまにこういう事はあるのだけれど、私の嫌な予感って、かなりの確率で当たってしまうのよ。
だから、授業が終わってから校門に向かった時に、いつもは無い人だかりを発見して、ピンと来てしまった。
……嫌な予感は、あれね。
マフラーを巻き直しながら、思わず溜息をついてしまう。
「大丈夫?」
私が浮かない顔をしているのが見えたのか、丁度通りかかったらしいもこもこが駆け寄ってきた。
……変な表現だって言わないで。
着込みすぎて顔が見えないくらいもこもこなのよ、本当に。
「顔、悪い」
もこもこ――声と身長からすると多分リコちゃんね――がそんな事を言って、ひょこっと体を揺らす。
ぬいぐるみが動いているみたいで、ちょっと可愛い。
可愛いのだけれど、言葉が間違っているから笑えない。
リコちゃん、それ、他の人が聞いたら怒るわよ?
「……顔色が悪い、よね?」
「そう」
そうであって欲しいというお願いも含めて確認をしてみたら、もこもこ――じゃなくてリコちゃんがまたひょこっと動いた。
これは多分、頷いている……のよね?
移民の人の年齢は分かり辛いと言うけれど、言葉もあまり話せないし、仕草が可愛いからかしら。
リコちゃんは、どうしても幼く見えてしまう。
つい最近になって私よりも年上なのだと知ったけれど、いまだに信じられないわ。
ではなくて。
「男、若い、いた」
たどたどしいリコちゃんの言葉に、首を傾げる。
「若い男の人?」
「ん」
その人が校門にいるから、人だかりが出来ているのかしら。
この学校は共学だから、男の人なんて珍しくも無いと思うのだけれど。
それよりもリコちゃんたら、もこもこのままあの人だかりに紛れていたのかしら。
小さなもこもこが人だかりの中でぴょこぴょこと動いている光景を想像したら、思わず笑ってしまった。
「彼、あなた、待つ」
くすくすと笑っている私の服を引っ張って、リコちゃんが見上げてくる。
「え?」
その言葉に少し驚いて、私はリコちゃんを見下ろした。
「若い男の人が、私を待っているの?」
「そう」
どういう事なのかしら。
学校への迎えは頼んでいないし、迎えに来るとしても住み込みのメイドのはず。
若い男の人と言われてすぐに思いつく人は一人だけいるけれど、彼は首都の寄宿学校で生活をしているし、この間受け取った手紙にも遊びに来るとは書いていなかった。
全くと言っても良い程、心当たりは無いのよ。
考えても分からなくて、私は仕方なく足を進める。
一体、誰なのかしら。
「ごめんなさい、通してくれる?」
女にしてはかなり背が高い私だけれど、人だかりの中には男の子も混ざっている。
だから、私が男の人の姿を見たのは、真ん中にぽっかりと空いた空間に飛び込んだ後だった。
「あ、……お嬢様」
この街では聞く事が無いだろうと思っていた声にびっくりして、顔を上げる。
その拍子に緑の瞳と見つめ合ってしまって、思わず鞄を取り落としてしまった。
驚きすぎだなんて言わないで。
だって、今は学校がある時期なのよ?
彼は首都の寄宿学校に通っているのよ?
それなのに、どうして、どうしてこの街に。
「どうして……」
彼は一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべて、それから納得したように苦笑する。
「旦那様から、仕事を仰せつかりまして」
「お父様から?」
彼が、お父様から直々に仕事を?
眉をひそめる。
正式に定められているわけではないけれど、目の前に立つ彼はいずれ私を主として仰ぐ事になっていて、他の使用人とは少し違う扱いを受けている。
行く行くは彼を執事にするつもりで寄宿学校に通わせているのはお父様なのに、学校のある時期に仕事を与えるなんて。
お父様は何を考えているのかしらと思っていると、ふと、彼の旅行鞄から白い封筒が飛び出ているのに気付いた。
……何かしら。
理由は分からないのに、とても嫌な予感がする。
彼が私の視線を追って、何とも言えない表情を浮かべる。
「……勘が良いですね」
そう呟いて、彼は私の所まで歩いて来た。
封筒を手にとって、恭しい仕草で差し出される。
「お嬢様、旦那様から手紙です。
――お嬢様に縁談の話が。意見が聞きたいので、一度領地まで戻ってくるように、と」
その言葉に、頭の中が真っ白になった。
どうしても信じられなくて、信じたくなくて、正面に佇む彼を見上げる。
彼の緑の瞳は、まっすぐに私を見下ろしていた。
分かっていたの。
頭の中では、きちんと、分かっていたのよ。
私だって、貴族の端くれだもの。
私よりも若いリゼ様が他国に嫁いだ事も、マルベリーニ商会のお嬢様が貴族に言い寄られている事も知っているもの。
覚悟はしていたの。
していたつもり、だったの。
だけど。
彼にそれを告げられるのは予想外で、彼に言われる覚悟はしていなかったの。
ひどいわ、お父様。
どうして彼に、その手紙を持たせたの。
私はずっと、ずっとずっと、彼の背中を追っていたのに。
***