目覚めの走馬灯


私は長く生きていた。そのことだけは知っていた。
ぼんやりとする頭で、とある妖は考える。

ふわり、ふわりとあるがままに、生きる為に生きて、歩く為に歩いていた。そこに“私”と言う“個”は存在しなかった。そこに自我は存在しなかった。ほんの、数秒前までは。


“私”は私であると言うことを知った。考えるということを思い出した。

それは急速に世界が色づいていくようだった。当たり前のことを、当たり前のように思い出したに過ぎないが、その時確かに“私”は“雨音わたし”となったのだ。

しとしとと降りしきる雨など気にもとめず、それすら清々しいと言うように雨音は空を仰ぎ見る。灰色に覆われた空は、それでも尚鮮やかであるように見えて、雨音はそれをなぜか嬉しく思った。

ずいぶんと長い間、ぼんやりと生きていたような気がする。そんな記憶自体は残っている。
なぜ今になって私という個が出来上がったのか、それは私にもわからない。けれども、考えるということを知ってしまったのだから、きっともう以前のように何もしないで、そこにあるだけではもう満たされることはないのだろう。かつての私が満たされていたのかどうか、それはもう知りようがないけれど。


まず、何をしようか。

未だ覚醒しない頭で、雨音はぼんやりと過去の記録を思い起こしながら考えた。

目覚めた場所は山の奥の、そのまたもっと奥、普通の人間であればまず来ることは出来ないような場所だった。妖の数もそう多くなく、強さもさほどないものばかり。そんな人も妖もあまり寄り付かないような場所だからこそ、雨音もここで過ごしていられたのだろう。あまり実力のある方ではないことも、雨音はその時思い出した。

ひとまずこの山を下りてみようか。

下りていくらか進んだ場所に人里があった筈だ。 確かそう言っていた誰かがいたような、いなかったような。
人に化けて、少し遊んでみるのもいいかも知れない。そうでなくとも、ここでは何もやるようなことは見つからない。

山を下り、いつもの道から外れて歩く雨音を驚いた顔で見つめる妖を素通りしながら、そういえば以前は同じ動作しかしていなかったのだなと思い出した。それならば、あんな顔になってしまうのも無理はないな、なんて他人事のようにも考えた。実際ここの妖も、私自身も他人のようなものだった。
同族とは言え話したことはないだろうし、向こうもこちらも無関心に生きてきたのだ。ましてや私はつい先ほど生まれたようなもの。ただただ膨大な量の記録を持ち合わせているだけで、私の意識はまだ目覚めて数分と立っていないのだ。

人とはどんな生き物だっただろうか。
妖にはどんなものがいただろうか。
私は何をしていただろうか。
祓い屋とはなんだっただろうか。
前に人里に降りたのはなんのためだっただろうか。

ぐるりと回り続ける頭をそのままに、歩きながら自らの記録を洗い出す。あまりの情報量に目眩がしそうだ。一体どれほど、雨音わたしは眠っていたのだろうか。

思い出そうにも莫大な量の記憶の中からその一つを見つけ出すのは困難で、結局わからないことばかりだ。

まあ、いいさ。これから全て、知っていけばいいだけだ。


沢山の“記録”だけを持ち合わせた妖は、そうして人里を目指して歩き出した。
未だ頭ははっきりとしないが、ずいぶんと長い間生きていたらしい。

やることも何も見つからないから唯一覚えていた人のいる場所を目指すけど、ひとまず今日は、記録の整理から始めた方がよかったのかもしれない。




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