三日前
今日はクルークを見かけなかった。
その日僕はナーエの森にシグと虫取に出掛けていて、薄暗い森のなか、奥へ奥へと進んでいく彼が迷わないよう、見失わないように気を付けながら歩いていた。図書室で借りたいくつかの本は今日は読めそうになく、それが少し残念だった。
「シグ、あんまり奥に行くと危ないよ」
「ムシだー」
「あーあ、全然聞いてない……」
どんぐりカエルやおにおん達も住むナーエの森には危険は少ないが、けれども森であることに変わりはない。万が一にも迷ってしまえば、木々に囲まれた道もないこんな場所では帰ることは困難だ。だから尚更注意しなければならない。
少し前まで遠くに見えていた家の形は今はもう緑に紛れて見えなくなっていた。
「シグ。一人で先に言っちゃだめだからね」
「わかったー」
「わかってないじゃないか…」
一人道なき道を突き進んで行くシグはまるでこちらを気にしない。それはいつものことではあったけど、今日はいつもよりも奥の方へと来ている。だから僕は引き留めなければならなかった。
「ねえシグ。帰り道はちゃんとわかってる?」
「しらない」
「そうだとは思ったよ」
予想のついていた答えに一つ溜め息を吐いて、周囲に目を向ける。鬱蒼と生い茂る草花は人が立ち入らないためか、森の外でみるよりも随分と成長しているように見えた。
なんだかんだで一人でも毎回どうにか帰ってくるシグのことだ。心配はいらないだろう。けれども、万が一。もしも。帰ってこれなくなったなら、さすがにそれは駄目なのだ。
「目当ての虫は捕まえられた?」
「うん」
「じゃあそろそろ戻ろうか」
「おー」
どうにか覚えていた道筋と、自分の踏み潰した草の跡を頼りに森の出口へと向かう。途中ではぐれてしまわないようシグの左手を掴んだまま、がさがさと音を立てて二人で進んで行った。時折シグが見つけた虫にふらふらと目線を動かすものだから、その度に手を強く引いて意識をこちらに戻すことを何度も繰り返した。硬く冷たい左手は到底人のものとは思えなかった。
「あれ」
がさりと微かに聞こえた葉の擦れた音に振り返ると、遠くに紫の背が見えたような気がした。よく見ようと目をこらすが、気のせいだったのか、そこに人の姿は見えなかった。
木々に紛れて見えた桜は散り始めていた。