幽鬼の書記は花開く
嘯く桜の没ネタのような過去編のような
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パチリ、と目を覚ます。幾度か瞬きをして、数秒間横たわったまま考える。
まずは指を折り曲げて、動きを確認。異常はない。
横になっていた体を起こし、ぐるりとあたりを見渡した。静かな夜だった。
立ち上がる為に腕を地面につけて、足を折り曲げる。思ったよりは力が入らなかったが、難なく立ち上がることができた。歩く為に足を前に出すと、少し違和感がある。気にせず左右の足を交互に動かして進んだ。
自身が目覚めた場所を振り返ると満開の桜が咲いていた。
「うわあ!?び、びっくりするじゃないか、きみ、こんな時間に何してるんだい?」
民家の近くを通りかかると子供に声をかけられた。丸眼鏡をかけた瞳を大きく見開いて、じっとこちらを見つめている。
「…やあ、こんばんは。君こそどうしたんだい」
少しかすれた声が出て、起きてから初めて音を発したことに気付く。声帯に異常はないが、喉が渇いていた。
「ボクは少し散歩をしていただけさ。それより、質問に答えたまえよ」
まだ声変わりをしていない少年の声だ。年齢は十歳かそこらだろうか。人の外見年齢というのは判断がつきにくい。
「そうなんだ、僕は、……外で魔導の研究をしていたんだ。そしたらこんな時間になってしまってね。今から帰るところなんだ」
にこりと表情筋を動かして、笑顔を形作る。
「なんだいそりゃあ。きみ、外の暗さもわからないのかい?…まあ、いいや。帰るなら早く帰りたまえ。ここはボクの家の前だ。あまり騒がしくしないでくれよ」
「そうだったんだ。それは悪いことをしたね。…それじゃあ、さようなら」
左右の足を交互に動かす。その場を離れる。
体温の低下を避けるため、雨風を凌げる場所を探すことにした。以前目覚めた時に生活していた家を探す。道中、乾いた喉を潤すために公園の水道で水を飲んだ。
森奥の古びた遺跡に辿り着き、扉にかけた魔導を解除する。依然として踏み入った者はいないようで、扉にかけた術も、扉の先も起きる前と変わりはなかった。
壁に取り付けた二つの時計のうち片方は現在の時刻を表している。もう片方は以前見た時よりも短針が二つ分進み、丁度十時を示していた。時計の下に飾られた花瓶の花が枯れている。
「……そういえば、捨てるのを忘れていたな」
干からびた花を捨てようと茎に手をかける。触れた先からボロボロと崩れていった。仕方なく手でかき集め、ゴミ箱へと捨てる。花瓶の水はとっくに空になっていた。
以前持ち込んだ本棚に近付く。無造作に押し込められた本の中から一冊を取り出す。バランスを崩した残りの本が崩れた。
取り出した一冊を開き、ページを捲る。変わらず手書きの文字が記されている。中段に差し掛かったところで文字が途切れた。その次のページに記録を綴るため、書くものを探す。本棚の上に置かれたペンを持つ。紙の上を滑らすと、インクが切れていた。代用品を探すと、本棚の一番下の棚に万年筆とインクが押し込められていた。
起きてからこれまでのことを思い起こし、本に記録する。
遺跡の中にはあまり香らない筈の桜の匂いが充満していた。