07:know


「お前は良かったのか?こんなところまで着いて来て」

水と黄砂の街、マンタイク。
数十分前にたどり着いたその街で、ルノは休憩と称された自由時間を持て余していた。暑さに項垂れていたルノは、ユーリから掛けられたその声にいくらか遅れて反応を示す。普段より緩慢な動作であげられたその顔はどこか虚ろだ。

「……なにが」
「いや、なんか用事があったからノードポリカに向かってたんだろ?」
「ただの通り道。……元々砂漠に行く予定だったから」

ルノの目的はテムザに行く事である。
彼らの船に同乗したのも、ノードポリカに向かったのも、砂漠地帯にいるのも全てテムザに行きたいが為の行動だ。具体的な場所も理由もわからなかったが、ルノはどうしてもテムザに行きたかった。例え『ルノ』自身には理由がなかったとしても、それを望んだ誰かが居たことは確かだから、それだけで理由には十分だった。

「その状態で、か?」
「ああ」
「俺たちが砂漠に行かなかったらどうしてたんだか……」
「それでも行くよ。その為に来たんだから」
「一人でも?」
「人を雇うぐらいはしたんじゃない」

条件反射のように言葉がさらりと口から漏れる。実際、ほとんど何も考えていなかった。

それが本当に思っていることかなど、ルノには関係がない。
どんなに割の良い傭兵がいたとしても、自分は雇いはしないであろうことをルノは知っている。大より少、二人より一人を選ぶのが自分だと言うことはよくわかっていた。
ルノとはそう言う人間だ。自分はそうありたいのだ。

「……、」

誰かと苦楽を共にするなどもうごめんだと、一人だった筈のルノは思う。
それでもユーリ達との旅は決して苦に感じなかったことも事実である。

彼らとの旅は、ルノに忘れていた何かを思い起こさせていた。

テムザに来たかった。その目的は今でも変わらない。
始めにそう思ってからはもう随分と経っているのに、目的地に近いからか、その想いは日を追うごとに増していった。同時に沸き上がるのは、彼らと離れ難いと言う思い。

久しく感じていなかった感情だと、頭の片隅でルノは考える。最後に誰かといるのが楽しいと思えたのはいつだっただろうか。もう随分と昔のことのように感じる。
旅を始めてから十年近くが経った。その間ずっと一人で、他者との交流は必要最低限に抑えていた。例外は数えられる程度しかなく、それも深くは関わらないようにしている。その方が楽だから、ずっとそうしていた。
──それは、なんて淋しい人生だろうか。

「────、」

急速に自分の意識が遠のいて行くのをはわかったが、それでも思考を止めることは出来ない。
今、ルノの目に映るのは無限に広がる砂漠ではなく、遠い昔にの忘れてしまった景色と、そこにある音だけだった。

(“その前”は、どうだっけ)

その前。ルノが旅に出る前。あの時はどうだっただろうか。思い出すまでもないことを、『ルノ』は思い出そうと考える。

忘れていることが大事だった。それをルノは知ってはいけなかった。それを知る術を、ルノは持ち合わせていないのだから。

ふと気が付くと、いつのまにかユーリは目の前から消えていた。そのことにも気付けないほど、ルノは思考の渦に飲み込まれ、沈んでいく。

──その前の自分。それは空虚だったような、満たされていたような。
ぼんやりと霧がかかったように感じる記憶を、思い出せないことにする。それが何故だったか、ルノは知ってはいけない。

幼い頃のルノのことなど、今のルノが知っている筈がないのだ。





『──、─────……』

声に成らない声が聞こえた。泣いているようにも聞こえた。

『……──』

誰か、呼んでいる様な気もする。それもとても近いところから。

『──、─────!』

声が聞こえた。それは遠い昔、なくしてしまった誰かの声に似ている。
声はとても近いところにあるようで。

遠くて近い、懐かしい声。
青い色をしていた。黒い色をしていた。

濁った翡翠ではなかった。





「ルノ、さっきから黙ってるみたいだけど、大丈夫……?」
「……おい、ほんとに大丈夫か、お前」

不意に子供と青年の声が耳に入った。心配そうにこちらを見つめる顔が誰かと重なって、すぐに離れる。
そう言えば、前にもこんなことがあったような。熱くて、暑い。そんなことが。誰かが見つめて、手を伸ばして。そんな経験を自分はしていた筈だ。

酷くぼんやりとする頭で、ルノは考えた。誰かとは、誰か。
子供の呼ぶ声が聞こえる。心配そうな声だ。あつい。
子供は誰だろう。いや、そうではなくて、あついんだ。暑くて、……ただ、そう、熱い。

「…………あつい、」
「クゥーン……」

ぽつり。無意識に漏れた言葉に続く鳴き声。青い犬。

ラピード。
それは確か、ユーリ・ローウェルの相棒だ。ユーリは、下町の青年で。ヴェスペリア。──凛々の明星ブレイブヴェスペリア。そう、確かにそう言う名前だった。夜空に瞬く一番星。

「…………ラピード?」
「ワン!」

瞬間、朦朧としていた意識が浮かび上がる。


「あ、良かった生きてる」
「……なにが?」
「あんた、ずっと黙り込んで返事一つしなかったじゃない……覚えてないの?」

暑さにやられていたのだろうか。どうやらずっと黙っていたらしいと言われて始めてルノは気が付いた。その様子を未だ心配そうな面持ちでカロルは眺めている。

そもそもいつのまに砂漠に出ていたのか、それすらルノにはわからなかった。思い起こせば記憶の中にサボテンの影や、紫の背が視界に入っていた様な気もするが、定かではない。

徐々にはっきりとしてくる意識の中、ルノはふと思い出す。そういえば何かを考えていた様な気もするが、一体それは何だっただろうか。

いくら考えた所で、ぼんやりと霞掛かった頭ではそれを思い出すことは出来なかった。





「あー!」
「お?ついにひとり壊れた?」

ルノが意識を取り戻してからいくらか経った後。突如大声をあげたカロルに何事かと目を向けると、丁度カロルとリタがオアシスへと飛び込んで行く姿が見えた。
これまでサボテンからとれる僅かな水しか見ていなかったからだろう、気持ちは解らないでもないが、生憎もう走るほどの余力はルノに残されていない。最も、残されていたとしても、走るような真似はしなかっただろうが。

「水っ!」
「あ、ちょっと……!砂に足を取られたら危ないですよ!」

そう声をかけながらもエステリーゼ自身も走っているのを見て、人の事はいえないんじゃないかなあとぼんやりと考える。バシャン、と音を立てて水に飛び込む年下の友人を、元気だなと他人事のように見ていた。

「なんだよ……まだ元気じゃねえか」

奇しくもユーリと意見が重なった。

「おっさんも行くか!ほれ、ルノちゃんも」
「え」

言うが早いか手を引かれ、同じようにオアシスを目指して走らされる。もつれそうになる足を必死に動かすルノなど気に止めず、ただただまっすぐに進む足。繋がる手。ルノはふいに、誰かの声を思い出せそうな気がした。

「レイヴ、」
「どーん!」
「は、」

バシャン、と耳元で音が鳴り、ひやりとした感覚が身体全体を駆け巡る。
背中を押され、水に飛び込んだのだと理解するまでに数秒を要した。

「わっ!だ、大丈夫ですかルノ……?」
「……」
「ちょ、ちょっと起き上がって来ないんだけど!なにやってんのよおっさん!」
「え、マジ?」

水の外からくぐもった声が聞こえる。起き上がらないと、と思いつつも、冷たいそれからは離れがたい。
ぎりぎりまで浸かっていようと考えたルノの身体は、しかし別方向から加わった力によって阻止された。

「ちょっとルノちゃん、いい加減起き上がんねえと死んじまうって」

脇腹に手を入れ、無理矢理身体を持ち上げられる。振り返ってみても、その顔は逆行で見ることは出来ない。

「大丈夫ですか、ルノ?」
「……ああ」

小さな声で返事を返す。その声にはいくらか生気が戻ってきているように思えた。


「生き返った……」
「ほんと、もうダメかと思った」
「これからの未来をしょって立つ若者が情けないねえ……」
「うっさい」

鮮明になっていく頭で、ルノは彼らの話に耳を傾ける。アルフとライラの両親、それからフェローを探す目的は未だ達成されておらず、ルノ自身の目的地テムザはまだ遠い。

今回ばかりは、彼らに同行してよかったなとルノは思った。



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暑さが大の苦手


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