小説2 | ナノ


▼ セールストーク

ヒロインの名前がいつもと違います
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***



 室内は繁華街にあると思えないほど静かで、二人の声はリノリウムの床によく響いた。
 雑居ビル2階のはずなのだが、窓は閉まっていて、外の様子もまったく知れない。
 世界はこの空間だけで成立していた。

「これは?」
「こっちはPET。おじさまの側のはCTの応用みたいなものね」
「これは吸入機か…高いな」
「最新式だもの。値段に見合って便利なのは保証するわよ、おじさま」

 医療機器を見つめていたブラックジャックだが、絢の台詞を聞き終わると、目に怪訝な色を含ませつつ彼女の方へ向いた。

「…さっきから何だ、それは」
「え、メイク変えたの分かった?さっすがおじさま!」
「そんなもの判るか。呼び方だ、呼び方」

 きょとんとした顔で見返した彼女に、皮肉った口調で彼は言った。

「おじさまなんて言われると鳥肌が立つ。わたしは君のパトロンか何かか?」
「違うの?」
「違うな。商品を買いにくる客だろ」
「じゃあ客として来る愛人」
「“ただの”客!」
「んもー!カタイわね!」

 絢は口を尖らせ抗議した。

「もうちょっと面白い反応してよ」
「医者にそんなこと求められても困るが」
「医者にだって面白いやつは居るわよ!キリコさんなんて若手芸人のネタほとんど網羅してるのよ?」
「……暇なのか、あいつ…」

 男は商売敵の意外な趣味にショックを隠せず、しばらく固まったあとにようやく言った。
 そんなことまるで気にせず、絢はパンと手を打ち合わせる。


「とにかく、あたし決ーめたっ。おじさまつまんないから、今日は売らないことにするわ」


 またか。
 長い前髪の下で、彼は眉を寄せた。

「金はあるんだぞ」
「当たり前でしょ、天下の名医ブラックジャックが一文無しなんて許さないわよ。た−だ気分がのーらなぁい♪」

 歌うように絢は答える。

 医療機器業界では異例の節操ない…もとい、幅広い品揃え。
 正規から裏まで、入手ルートも幅広い。
 医療に関する商品が欲しいと思えば、この店にさえ来ればいい。事足りぬということはまずない。

 忙しいブラックジャックにとって彼女の店は便利この上なかった。



 ……見目麗しい店主が“彼にだけ”気まぐれなことさえ除けば。



「お嬢さん、あんた商売する気あるのか」
「あるわよ、普段は。だっておじさまつれないんだもの」
「いつもと同じだろ」
「同じだからダメなんじゃない。恋は進展するものよ」
「だからわたしにそんなもの求めるなと…!」

 ヒートアップしかけている自分に気付いて、途中で口を閉じる。

 相手のペースに乗せられては思う壷だ。
 それが証拠に、彼女の顔は“つまらない”なんてとても言えない生き生きとした顔をしている。

 もう一度深呼吸し、かんしゃくを起こした自称18歳の同居人をなだめる時のような口調で言った。

「ほら、さっきの吸入機。いくらだ」
「売りません」
「売ってくれ。こっちは客だぞ」
「ここではお客さまではなくあたしが神様ですが?」
「こう言っちゃ何だがね、忙しいわたしがわざわざ足を運んできてるんだ」
「まあ偶然ね、あたしも忙しいの。ってことで本日の営業はしゅーりょーしました!閉店ガラガラっ」

 どこかで聞いたような言葉を残し、絢は機具にカバーをかけ始めた。
 どうやら本当に店を閉める気らしい。

「ほ〜たぁ〜るの〜ひぃか〜あり〜ま〜ど〜の〜ゆ〜ぅ〜き〜」

 てきぱき作業をすすめながら自分で口ずさむ。
 ご丁寧にもビブラートがかかっている。

 その間にもブラックジャックは文句をいったりなだめたりすかしたり、また文句を言ったりしていたのだが、まったく聞き入れる様子もない。


「それじゃ、さよなら先生。今からどっか連れてってくれるなら別だけど」

 絢は裏口へすたすた歩き出す。
 慌てるかと思いきや、ブラックジャックはその様子を黙って見ていた。


「待ちなさい」

 ドアノブに手が掛かったところで、ようやく声をかける。

「顔を見せろ」
「なぁに薮から棒に」
「いいから見せるんだ!」

 その勢いに気圧され、思わず振り向く。
 彼は声の通り焦った顔をしていた。

「私の顔に何があるの」
「何もない方ががいいんだ」

 感情を押し殺すかのように、男の声が低くなった。



「…わたしの思い過ごしならそれでいい」



―――まさか。

 手術服に身を包んだ彼が脳裏を掠めた。


 絢はふらりと、ブラックジャックの方に一歩踏み出す。

「ねえ、あたし何の…」
「落ち着け。とりあえず座りなさい」

 絢は言われたとおり、商品である診察用の椅子に座った。
 ブラックジャックはコートを脱ぎ、神妙な顔で絢に近づいた。


「リラックスするんだ。わたしの顔を見て緊張してしまうなら、目を閉じていていい」

 絢は目を閉じる。

「まだ肩に力が入ってる。深呼吸しろ」

 ぽん、と両肩に手が置かれた。

「深く息を吸って…、そうだ。しばらくこうしていてやるから、安心しなさい」

 言われるまま息を吸って、吐く。

 それを何度か繰り返しながら、肩に感じる体温に、冷血漢のくせに意外に暖かい、などと余計なことを思う。


 この手が、たくさんの人を助けてきた。
 だからあたしも大丈夫だ。



「よし、落ち着いたな…すぐ準備をするからそのまま待っていなさい」
「…はい」

 髪を撫でられる。

「いい子だ」

 あたしは子供じゃない。
 そう主張しようとしたけれど、その後に頬をするり、と撫でられて。
 予想もしていなかった絢は不覚にも赤面してしまった。



 手が離れてから、なにやら物音がする。

 カツカツ歩き回る音、金属と金属がぶつかりあう音、色々混じって騒がしい。


 準備をしているのだろうが、診察にそんな大掛かりなものは要っただろうか?
 それにそういえば、彼は道具を持ってきてたっけ?



「目を開けていいぞ」

 言われたとおり、絢は目を開けた。



「あーッ!」



 ブラックジャックが脇に大きなダンボールを抱え、今まさに出ていかんとしているところだった。


 ダンボールには見覚えがある。
 最新型の吸入機だ。
 さっき欲しいと言っていた、あれ。


「じゃ、失礼するよ」


 男は堂々とそうのたまい、次の瞬間にはドアが閉まった。
 金属製の階段を駆け下りる音が、警鐘のように激しく鳴り響く。

「ま、待ちなさ…!」

 絢が再びドアを開けた時には、一台の黒い車が走り去っていくところだった。

 
「あん…の、ヤブ医者…!!」

 カバンに駆け寄り携帯を取り出す。
 数コールで彼は電話に出た。おそらく予測していたのだろう。


『もしもし。機嫌はどうだい』
「最悪よ」


 できるだけ怒りが表に出るように絢は言った。
 そうでもして発散しないと、手に力を入れすぎて携帯を壊してしまいそうだ。

「この万引き犯!あんたどこの中学生よ」
『金はちゃんと払ってる。カウンター見たかい』

 確かに机の上には、商品相当の札束がうず高く積まれている。が。

「そういう問題じゃないわよ!乙女心弄んだわね!」
『もてあそんだ?何のことかな』

 のんびりとくつろいだ声だった。それがさらに絢をイライラさせた。

「顔を見せろって…ホントに病気かと思ったじゃない!」
『ひとこともいってないぜ、病気だなんて』
「医者にああいうことをされたら誰でも勘違いするわよ!」
『わたしは嘘はついてない。勘違いしたなら、それは君の勝手だ』

 医者が思わせぶりな態度取ったら、勘違いするに決まってるでしょうが!

「オニ!アクマ!医者の風上にも置けないわね!」
『これが必要な患者がいるんだ、なんとでも言え』

 フフ、と低く笑って彼は言った。

 

『どんな手を使っても治すんだよ、わたしは』



 そこで回線は切れた。

 きっと電話の向こうでは、ブラックジャックが得意げな顔をしてハンドルを切っているに違いない。
 まるで悪戯が成功した子供のように。

 そんな想像だけで怒りが萎えてしまった。
 あの男の顔一つで甘くなってしまう自分が憎い。

 自戒の意味も込め、絢は切れてしまった携帯に呟いた。



「…またのお越しをお待ちしてますわ、おじさま」



 それとも今度はこちらから、患者として押しかけてやろうか。




End. 

→あとがき



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