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グランドラインのとある島。
ここはその一角にある小さなパブである。
酒の場なので少々薄暗いが、客は活発に会話を交わし、従業員は元気が良い。下町らしさ漂う、適度に騒がしい店だ。
その中で一番にぎやかな席はといえば、さっきからひっきりなしに料理が運ばれていく一番奥のテーブルということになるだろう。
座っているのは、ご存知『麦わら海賊団』の一味。
大食いの船長をはじめまるで祭りのような賑やかさで食べているが、その面々は『野郎ども』だけであり、女性2人の姿は見当たらない。
「いいか。このパブは、飯がうまいことでここいら一帯じゃ一番有名らしい。心して食え。うまかったメニューは教えろ、レシピを聞いとく」
「おう!存分に食う!」
「てめーはちょっとは手加減しろ、ルフィ」
タバコを手に船長にクギを差すサンジ。しかし直後にコックの顔をかなぐり捨て、がっくりと首を垂れた。
「しっかし、何が悲しくてお前らなんかと…」
「いいじゃねえか。メニューの勉強に来ただけなんだろ」
「いいかフランキー!食事にはなあ、華が必要なんだよ!華が!」
「メシにはコーラがありゃあそれでいいだろうが」
「うるせえ!風情の分からねェクソコーラ野郎がっ!」
その後も彼はぶつぶつ文句を言っていたが、恋に生きる男はしかし諦めが悪い。頭を切り替え、チョッパーに向き直る。
「おいチョッパー、おまえナミさんとロビンちゃん連れて来い。今どこにいるかニオイでわかるんだろ」
「やだよ。いまおれこのケーキ食ってんだっ」
横から伸びてくるルフィの手をなんとか防ごうとするだけで必死なチョッパー。
その隣からニヤニヤと口を挟んだのは、長鼻の狙撃手ウソップだ。
「いやいやサンジ、ものは考えようだぜ。鬼の居ぬ間になんとやら、ナンパでもしてくればいいんじゃねェか?」
「やめとけウソップ。みっともねェぞ」
「ああん?レディを楽しい食事にお誘いすることのどこがみっともねェんだコラ」
ゾロの呟きを聞き逃さなかったサンジがつっかかった。
それを受け、剣豪はわざわざ飲んでいたジョッキから口を離し、言う。
「おめえは普段からみっともねェから気にすんな」
「よーし外に出ろクソマリモォ!」
「あのお嬢さん、ちょっとすいません」
「「てめーはこんな状況であっさりナンパしてんじゃねえっ!ブルックッ!」」
麦わら一味一番の変わり種である音楽家ブルックは、いつの間にか隣のテーブルに歩み寄り、女性に話しかけていた。
ルフィ以外のクルー全員から、見事に揃ったツッコミが入る。
コートを着た女性は、目の前に立ったガイコツを見上げている。
かなり背が高い。2メートルはあるだろうか、頭の先まで見上げようとするとかなり首を使わなければならない。
黒いスーツはフリルのついたオレンジのシャツ、首元の青いタイなどでそこそこノーブルに着こなしてはいる。ただ、その割には肋骨や背骨がまる見えだった。生身であれば素肌にジャケット状態である。
そして、ガイコツの癖にアフロ。
更に理解できないことには、声帯もないだろうに喋っている。しかも自分に向かって。
彼女にしげしげと見られているのもどこ吹く風、ブルックと呼ばれたガイコツは会話を続ける。
「その服の刺繍!名前は忘れちゃいましたけど、もしかして西の海(ウエストブルー)独自の模様では?」
「…ああ、これ?」
彼女は着ていたロイヤルブルーのロングコートの襟元を手に持った。
縁取りには、確かに特徴的な刺繍があった。
「あたしあそこの出身だから」
「そうなんですか!ああ、なんと懐かしい!」
ウエストブルーの都市の名を聞いてブルックの声が明るく弾んだ。
一方、いくら思い返してみても喋るガイコツが知り合いにいなかったコートの女性は、探るような目つきで聞き返す。
「あんた、誰?」
「あ、失礼しました、わたくしブルックと申します。あなたと同じくウエストブルーの生まれでして!」
「…それだけ?」
「はい!それだけ!」
「あ、そう。ならいいけど」
全く裏がなさそうなブルックの物言いに、彼女は警戒の姿勢を少しだけ解いた。
「あそこに喋るガイコツがいたなんて聞いたことないけど?」
「あそこに居たときはまだ肉ついてましたから」
「その見た目、生まれつきじゃないんだ…」
「あなたのご出身の街にも行ったことがありますよ!行ったのは50年ほど前ですから、その頃からけっこう変わっているでしょうねー!」
「50年?…まあ変わってるんじゃないの」
「いやー、本当に懐かしい!同郷の方と話すというのはいいものです!」
表情がないはずの眼孔が、遠くをみるような面持ちになっている。
「故郷を思い出すと感慨深くてわたし、心臓が締め付けられるようで…
ってワタシ、締め付ける心臓ないんですけどー!ヨホホホホ!!」
特徴的な笑い声を発しつつ、ブルックはテーブルの周りでくるくると舞った。
「ヨホホホホ!スカルジョークッ!」
女は何も言わず、麦わら一味のテーブルの方を向いた。
「………」
「…うん、気持ちは分かるがそれがそいつの普通だ。許してやってくれ」
この音楽家は基本いい奴だが、トリッキーな言動と見た目に慣れるには少々時間がかかる。
自らの経験から彼女の反応を理解したウソップがフォローした。
それをきっかけに、一味が次々と声をかける。
「麗しいレディーッ!こちらでご一緒にいかがですかー!ぜひー!」
「おう、来い来い!ブルックももっと故郷の話がしてえだろうしよ」
「あ、言っとくけどこっからここまではおれんだからな!食うなら自分で頼めよっ!」
「てめーはいいから食ってろルフィ!」
彼女はにぎやかな彼らの様子を見て、ふ、と笑った。
ミルクをたっぷり含んだチョコレートのような色の髪が、ふわりと揺れた。
「いや、悪いけどいいよ。今は静かに食べたいんだ」
「おや、それは失礼しました。すぐに退散を」
「あんたたちが勝手にやってる分にはかまわないよ」
ブルックは軽く一礼し、自分の席に戻った。
なんとか自分のケーキを守りきったらしいチョッパーが、まだ口をモゴモゴさせながら話しかける。
「なあブウック、ヴエストヴルーのおんふぁくってうぉんらなんら?」
「わたしの故郷の音楽ですか?そうですね、色々ありますが…ちょっと弾いてみましょうか」
「よしきた!」
ブルックはケースからバイオリンを取り出した。
弓を構え、声高らかに開演の挨拶をする。
「それではお聞かせしましょう。まずは宴にふさわしいこの曲から!」
「いいぞー!ブルックー!」
「さすが俺たちの音楽家だーっ!」
麦わらの一味の拍手を合図に、テンポのよい明るい曲がパブに響いた。
彼らはいつもの調子でわいわいと手拍子をしたり踊ったり、それぞれ楽しみはじめる。
バイオリンの音色は邪魔をせず、しかし大きく軽やかだ。
そこに朗々と歌うテノールが載せられ、店内にいる者の耳に届いた。
最初は遠巻きに見ていた客だったが、手拍子も拍手も1曲ごとに増えてゆく。
奇妙なガイコツの音楽パフォーマンスは、次第に店全体を観客に惹き込んでいった。
コートの女性も自分の席からその様子を静かに眺めていた。
しかし3曲ほど終わった後のそのテーブルには、食事の代金が置かれているだけだった。