▼ ロストフィクション
そう、思い返してみれば、あれは新学期が始まったその日だった。
中庭に人だかりをみつけ、私は何気なく覗いてみたのだ。
女性ばかりの取り巻きの中心で、男が校舎への入り口の階段に腰かけていた。
すらりとした脚を形よく組んで、手元の紙一枚一枚になにか書きこんでいる。
下を向いていても彼の顔が整っているだろうことは分かった。
一筆ですっと引いたような鼻筋。綺麗な曲線を描く顎のライン。
ターコイズブルーのローブの上で、ブロンドの髪が光に透けて輝いている。
まるで絵のようだ、と思った。
誰かが思い描いた様式美をそのままなぞったような光景。
やがて羽根ペンが動きを止め、顔が上がった。
周囲の人たちを見渡し、少し離れて立っていた私に目をとめる。
彼はにっこり笑って、こう言った。
「やあ、こんにちは。サインですね?」
白い歯からこぼれたのは、思ったより…なんというか、
軽い声だった。
覚悟もなにもあったものじゃない。
その瞬間、それから1年間の私の幸せは終わりを告げたのだ。
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