▼ Tea 3 (Slytherin)
「でね、その子、彼が自分のせいにしたから、怒っちゃって…どうしたと思います?」
「さあな」
「…駄目だわあ、ずっとひとり身のひとはこれだから」
そっけない男の返事に、緑のネクタイを締めた少女は大げさにため息をついた。
姿こそあどけなさは抜けないものの、その仕草は大人びた女を感じさせた。
同年代の少年であれば間違いなく目が離せないだろう。
残念ながら目の前に居るのは大人の男、しかも恋愛ごとに縁のない部類なので、その魅力はあまり効いていないようだ。
レイはおっとりとした人格批判を続ける。
「最近ずっと研究漬けだったでしょ、心の機微ってものが分からなくなっちゃったのねえ」
教師の眉は寄る。
この娘は敬語を忘れた訳ではなく、まして無神経な訳でもない。
くだけた態度のほとんどが計算という、まったくスリザリンらしい生徒なのである。
寮監としては賞賛したいところだが、6年間も個人攻撃されてはその評価も下がらざるを得ない。
けなされた手前、プライドを堅持する彼は反論した。
「人の考えぐらい分かる。簡単でつまらんだけだ」
「じゃあ、彼女がその後どうしたか、当てられますよね」
「当然だろう」
「お答えいただきましょうか」
「よかろう…」
スネイプはさりげなくレイの目を見る。
…つもりだったが、すばやく伸びてきた両手によって、視界はふさがれた。
「恋愛沙汰に開心術はヤボじゃございません?」
からかうような響きを含んで、少女の声が降ってくる。
「ズルしないって誓うなら、外してあげます」
「…分かったから早く外せ」
しばらくして暗闇の世界から解放されたスネイプは、一瞬よぎった二の腕の痛みに顔をしかめた。
ひらひらと、レイが触れた方の手を見せびらかしている。
「…いつもやめろと言っているのが分からんのか」
「大丈夫、私は痛くもなんともないから」
「遊びで触れていい印ではないのだぞ、これは」
「遊びじゃないわ」
「では脅迫か」
楽しげだったレイの笑みが、意味ありげに深くなった。
彼女は知っている。
スネイプの歩いてきた道、彼の実力。
その腕の髑髏の印も。
いつもの事とはいえその事実はどうにも忌々しく、彼は舌打ちした。
コーリ家というのは、ブラック家同様、代々闇の魔術に詳しい純血の一族だった。
レイの祖父など、闇の陣営の幹部の一角を担っていたほどだ。
しかしその息子一人だけは、反抗期もあったのか、一族の中でたった一人不死鳥側についた。もっとも、早々に闇側に抹殺されてしまった。
ちなみに一族もほとんどアズカバン送りにされて、生存者はいまやレイ一人も同然である。
「あと一年」
スネイプは忠告する。
「…通用しないぞ。ホグワーツ…ここを出てしまえば」
「そうかしら」
「安全圏の中だからこそ、君は安全でいられたのだ」
彼女は灰色だった。
入ってきたばかりの一年生に正体を看破されたときには、さすがのスネイプも驚いた。
ただ、出自が判れば理由は知れた。
祖父の黒い知識を受け継ぐ。
同時に、父の倫理の白さを理解する。
要は、自分と同じような立場だっただけだ。
レイはどちらの内情にも通じているけれど決して属さず、ただ両方をからかうだけだった。
優秀な人材なので危害を加えられることはないが、それも学校という防壁あってこそのことだ。
「いつまでも微妙な立場が成り立つと思うな。このまま社会に出てしまえばあっという間に危険視される」
「どちらに?」
「どちらにもだ。光に目を潰され、闇に足元をすくわれる」
「ふーん、大変そう」
「だから以前から言っている。どちらにつく気かね、と」
彼は幾度となく、どちらかの陣営の味方になると表明することを勧めた。もしかしたら、進路相談よりも沢山の時間を割いたかもしれない。
しかし彼女はどこ吹く風で、意見を聞こうとしなかった。
一貫して、言うことはひとつ。
『このままがいい』
スネイプはそれを無視することに決めている。
一応は生徒の安全を預かる寮監としてそれを許すことはできない。
特に4年を過ぎてからは、しつこく忠告しているつもりだった。
「決めておけと言ったはずだ…そろそろ、聞かせてもらっても構わんだろう。なんなら、我輩が世話してやってもいい」
「寮監が顔広いと便利ですねー」
どう考えてもスネイプには皮肉以外に取れない台詞を吐いてから、レイはくにゃりと眉を寄せた。
「…今のままやってけないかしら」
「無理だな」
「だって現に先生はやってるでしょう」
「我輩とお前は違う。親兄弟から得た程度の半端な情報では、所詮使い物にならん」
「何よ意地悪」
彼女自身には能がないような言い方をされ、さすがにムッと来たレイは言い返す。
「じゃあ言うけど、もう決めてるのよ私」
「何だと?」
「ちなみに先生と敵同士ね。社内恋愛もいいかと思ったんだけど、やっぱりロミジュリは燃えるしー」
「どちらだ。どちらの側につく、コーリ」
レイが発した台詞の枝葉はまるで無視し、スネイプはずばり聞いた。
「それはあなたの心がご存知ですわ、先生」
レイは得たりとばかりに微笑む。どことなく艶やかだった。
「…言ってみなさい。答え合わせだ」
「やあよ。言わない。先生こそ言ってみれば?」
「我輩が言うと思うのかね?」
お見通しとばかりにスネイプは口を引きつらせた。
「どうせそれに合わせるのだろうが」
「あら失礼ね、私がそんな卑怯なことすると」
「手の内は分かっている」
スネイプの言葉が次第に端的になってきている。彼のイラつきをレイは察した。
しかしだからといって態度を変えるつもりは彼女にはない。こうやって怒らせるのが楽しいからだ。
「言いなさい」
「先生こそ、当ててごらんなさいな」
「そろそろいい加減に…」
「あら、また反則?」
スネイプの次の行動を察し、レイはすばやく自分の目を閉じた。
「開けなさい」
「やーよ。言ったでしょ、恋愛に開心術はヤボなの」
「そうかね、…しかし」
唇に、何かが通り過ぎていった。
人肌ぐらいで、そう硬くはないもの。
「…え?」
何か言おうとすると、もう一度同じ感触が蘇る。
唇の端から、ゆっくりと、確かめるようになぞられる。
触れたそばからむず痒いような心地良いような感触が広がって、レイはされるがままになっていた。
「目を開けなさい。もう術は行使しない…馬鹿らしくなってきた」
レイはびっくりしながら目を開いた。
「…なに、今の?」
今度はスネイプが指を擦り合わせている。
これで触ったのだと見せびらかすように。
ニヤリと笑った顔は、見事なまでに様になっていた。
「例えどういう状況にせよ、男の前で目をつぶるのはやめたほうがいいですな」
…ああ、同じ人種だ。
人の盲点をあざとく見つけては、ひっくり返す。
彼はそういう行為が楽しいに違いない。自分と同じように。
ぽかんとしたままだったレイは、そう納得して、できるだけお上品な微笑で返事をした。
反撃したかったのである。
「あら、失礼。男どころか、大きなコウモリぐらいしか目に入らなかったものだから」
このコウモリたちによる揚げ足取りの応酬は、あと一年、続くことになる。
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