▼ 10.添い寝
レイはできるだけにこやかに切り出した。
「抹茶って飲んだことあります?」
「ない」
スネイプはたった一言答えた。
不機嫌そうというか、不審そうだ。
視線は一途、緑の液体に注がれている。
「こんなものが飲めるか」
「個人的には、魔法薬の方がずっとまずそうだと思いますが」
「茶は淹れるものであって丸呑みするものではない。大体、なぜ我輩なのかね?」
確かに授業は受け持っているが、彼女がグリフィンドール生である限り、それ以外の接点は皆無に近い。
それが突然訪れて、マッチャとやらを飲めという。
説明の限りは安全なものであるようだが、
「…不審すぎる。この緑色の液体には、何か抹茶以外のものも含まれていると考える方が自然だろう」
「…ひどい」
丸い瞳から、突然ポロポロと涙があふれた。
「魔法薬学に役立つかなって思っただけなのに…」
「抹茶が魔法薬に使われる事例など聞いたことがないがね」
「それは…ここが、イギリスだからでしょう?」
冷たい仕打ちに顔をくしゃくしゃに歪め、それでもなんとかレイは言い返す。
「涙でごまかそうとしてもそうはいかんぞ」
あえてそう釘をさすが、彼はまだ確信には至っていない。
開心術を試みようとしても、ひっきりなしに涙をぬぐっているせいで目を合わせることができないのだ。
「まさか私が、先生を騙すなんて大それたことすると思うんですか?」
確かにレイの授業態度は真面目である。気もわりと小さい方だ。
「本当に役立てていただこうと思っただけなんです。占いにも使われるお茶の葉の粉末ですよ?魔力がない方がおかしいとは思われませんか」
「…一口だけでいいかね」
「ええ、残りは成分研究にでも」
少女はここでようやく顔を上げた。
スネイプが抹茶を嚥下するまで、結局一度も目は合わず、
つまりそれは、彼の敗北を意味した。
「…っ!騙したな…!」
「睡眠薬ですご安心を。すみません、必要にせまられまして」
眠気による強いめまいが彼を襲っていた。
涙どころかケロリとしている少女は、少しだけ申し訳なさそうに笑っている。
スネイプは腰から杖を抜き取ろうとするが、手が思い通りに動かない。
「『生ける屍の水薬』です。解毒剤つくる暇もないぐらい即効性のものを選んでみました」
「…正解だ。しかし、点は…やれませんな」
「盗みとか襲うとか、手荒なことは何一つしませんから」
「…起きたら覚えておけ…容赦、せんぞ……」
「はい、じゃあ添い寝開始ー」
眠るのが大好きなレイは、ソファに崩れ落ちたスネイプの隣にいそいそ潜りこんだ。
* * *
「…い」
「おい」
「おい!起きんか馬鹿者!!」
ずびしっ!!!
デコに重々しい衝撃が走り、レイは目覚めた。
目の前に背表紙5センチの本を持った男が仁王立ちしていた。
いつもならビビるところだが、あいにく彼女の寝起きは悪い。
「あ、どうも」
「なかなか大胆なことを仕出かしてくれるではないか」
スネイプは窓の外を指差した。
朝だ。
夕方を見た記憶がないのだが、白みはじめる空を見る限り、それは確実に朝だった。
「いやー寝過ごしたなあ…」
「そうだコーリ、お前は寝過ごした!盛大にな!」
のんきなボケにイラついたツッコミがとぶ。
「だいたい仕掛けた方が被害者より後に起きるとはどういうことだ、仕掛け人としての自覚が足りないのではないかね?え?」
太陽が地平線から離れるまで、ネチネチと説教は続いた。
談話室にようやく戻ると、一緒にクジをした友人たちは暗い面持ちで待っていた。
どうやら一晩中待ってくれていたらしい。
「本当にごめん!」
「大丈夫だった?」
「痛くない?乱暴されなかった!?」
「乱暴?別になにもされないよ?」
やたら心配されることに不思議を感じつつレイは答える。
「一緒に寝ただけだし…」
「ああっ!やっぱり!!」
「僕らがあんなことさえさせなければ…ううっ」
「スネイプのやつ、女の敵だよな!!」
崩れ落ちるもの、泣き叫ぶもの、悔しがるもの。
談話室は一瞬にして悲劇の舞台と化した。
レイはきょとんとした表情で、ただ首を傾げていた。
彼女はまだ知らない。
彼らの中で『一晩過ごした』事実に、ものすごい曲解が加わっていることに。
そして気づいていないうちに、噂はものすごい勢いで校内を駆け巡った。
「…スネイプ先生、お聞きしたいことがあるのですが」
厳しい顔でマクゴナガルが地下牢を訪れるのは、その日の夕方のことである。