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▼ 要求と説得

 

 それは、唐突な質問から始まった。


「ねえ父さん、父さんって私のこと愛してくれてるわよね」
「もちろんだ」

 スネイプは迷いない様子でそう言い、カップを持ち上げた。
 レイが娘でなければ、誰にも心を許さないように見える彼が、こんなお茶の時間を持つことはなかったに違いない。

「溺愛のレベルよね」
「正直に言うとな」

 この似つかわしくもないお茶会を毎日続けるのも、レイが喜んでくれればこそだ。
 彼が力を入れてそう説明すると、少女はにっこりと笑った。
 そしてはっきりと要求した。



「なら、約束守って」



 約束という単語を聞いて、ふとスネイプの頭に過去が通り過ぎる。

『しょうらいわたしをおよめさんにするなら、ムスメになってあげてもいいわ』

 それが彼女の後見人となるために結んだ最初の約束だった。

 レイは両親が死んでも傍を離れようとせず、そうやってだだをこねていたのだ。
 スネイプが頷いたときの呆気にとられた顔を思い出すと、今でも口元に笑みが浮かぶ。


 …よりによって1番可能性の低いものを思い出すとは。
 さて、今日は何を買わされるのかね?

 ほほえましい気分で、スネイプはゆったりと聞き返した。


「何だね、約束とは」
「お嫁さんにしてくれるのよね」

 ガチャンっ!



「失礼」

 そう一言添えて、スネイプはカップをソーサーから持ち上げる。幸いどちらも割れてはいない。
 それから改めて優雅に口に運んだ。

「…聞き間違えたようだ、もう一度」
「そろそろプロポーズお願いできる?」

 ぶふぉッ!!



「やだー父さん、いったん口に入れたもの出すなんて非常識」

 どっちが非常識だ!
 激しくせき込んでいたので、スネイプの至極もっともな台詞は宙に浮いた。



 物理的、心因的、両方の理由で、彼の呼吸が整うのにはしばらく時間がかかった。
 レイはただその様子をにこにこと見守っている。

 3分後、ようやく落ち着いたスネイプは説得をはじめた。

「まず、お前と我輩は年が離れている。それこそ、親子ほどの」
「それぐらいの年の差カップルなんてザラにいるわ」
「あれは10年も昔の話だぞ。お前は7歳ではないか」
「確かに7歳じゃ、責任能力なんてないわよ。でも父さんは20過ぎた立派な大人だった。あるわよね、責任能力?」

 彼はレイの発言が冗談であることを願っていたのだが、残念ながらそんな雰囲気では全くない。

 プライドの高い人間なら「ある」と返事せざるを得ないような問いかけ方をされ、スネイプは言葉に詰まった。
 その隙を逃さず、レイは話を続ける。

「身内同士だから式はおとなしくていいけど、でも私、お色直しはしたいなあ」
「お色直しとは何かね」
「なんでも、日本じゃウエディングドレス以外に花嫁は何度も着替えるらしいのよ」
「それは良いではないか、何度でもやりなさい我輩も見たい。しかし」

 相手は我輩ではない、と言うよりもレイの言葉がかぶさる方が早かった。

「ああ、でもやっぱり肝心なのはウエディングドレスよね。体のラインにぴったりしたほうがいいかしら?」
「可憐なお前にはふんわりとしたシルエットも…いや。待ちなさい。その前に」

 ドレスを着たレイはきっと世界中の誰よりも輝いているに違いない。
 しかしやっぱり、その相手が問題である。

 流されはじめていることに気付いたスネイプは慌てて思考の軌道を修正し、次いでゆるんだ口元を引き締めた。


「いったい我輩にどうしろというのだ。バージンロードは?花嫁の手を取って送り出すのか?それとも十字架の前で待っているのか?」
「代役を立てればいいんじゃない?」
「どちらに」
「もちろん、送り出す側によ」
「無理だろう、レイ」
「どうして?」

 レイはスネイプを見つめる。
 自分が正しいと信じて疑わない目。
 そのまっすぐさに気圧され、スネイプはわずかにたじろいだ。

「まさか約束を忘れてたなんて言わないわよね?」
「いや…忘れていた、わけではないが」
「覚えてたのね」
「もちろん」
「それじゃあ守ってもらえるわよね?」

 揚げ足をとられたような形になって、スネイプは再び言葉に詰まった。
 レイは笑っている。こんどはニヤリ、と。

 その口角の上がり具合は、鏡で見る自分に似ていた。

 教えたわけでもないのに。
 スネイプは眉根を寄せた。

 自分を論破するほどの説得力を身につけているのはいい。人生に役立つ能力だ。
 しかし、何がなんでも自分の意志を押し通すところまで己に似るとは思わなかった。
 いや、そちらはあの約束の日からそうだった気がする。ならば生まれつきか。
 どちらにしろ、ややこしく育ってくれたものだ。


 レイはティーカップを静かに置いた。

「私、父さんを本当に尊敬してるの。
 だってそうでしょう?預かってくれてから今まで、自分の都合での嘘は一度だってついたりしなかったし、私に一度した約束は必ず守ってくれた。こんな立派な人、他のどこを探したっていないわ」

 スネイプを見つめ、満面の笑みを浮かべる。



「だから私、そんな父さんが大好きなのよ」



 ぐらり。

 スネイプの中の何かが揺らぐ音がした。
 彼は態勢を立て直すため、声に出さぬまま必死に唱える。

 確かに我が娘よ、お前を不自由なく育てるために我輩は信念を持って全力を尽くした。
 しかしいくらお前といえど、これだけは叶えてやるわけにはいかない。
 なぜなら、もちろん。

「我輩は父親なのだぞ」
「父という名の後見人です」
「同じようなものではないか」
「いいえ、まったく違うわ」

 彼女は言い切る。やたらと自信がありそうだった。
 その理由は直後に判明した。

「どこぞの世界ではね、一人占めするために散々軟禁していたくせに、いざその義娘に求婚するとなるとそわそわ落ち着きをなくすような養父もいるって話よ。だから父さんだって全然大丈夫」
「…それはまっとうな人間か?」
「いいえ。真性の変態」

 確かにそうだ。ちょっと特殊すぎる。
 自分よりも駄目な男の話を聞いてスネイプは少し落ち着きを取り戻した。

「どうしようもない奴の話など、時間の無駄だ」

 彼は杖を一振りし、ティーセットを机から消した。
 お茶会終了の合図であるが、いつもよりちょっと強引な流れだ。
 その声には、いつも娘にかけるものよりも少しだけ厳しい響きがあった。

「用はそれだけか?」
「それだけって何よ。まだちゃんと返事を聞いてないわ」
「決まっている。ノーだ」

 冗談だろうとでも言うように笑い、スネイプは娘を立たせた。
 扉の方へぐいぐい押しやられながらも、レイはまだ納得できない様子だ。

「どうして?父さんは私を愛してるし、私も父さんを愛してるわ。どこがいけないの」
「我輩をそのような馬鹿な輩と同じにされては困る」
「父さんだって真人間とはとても」
「余計な口を叩くな」

 有無を言わせぬ口調で、スネイプはぴしゃりとさえぎった。
 生徒に向かってするのと同じように、尊大にレイを見下ろす。
 レイは目を逸らさない。

「我輩が駄目と言ったら駄目だ。あまりうるさいと、我輩も”馬鹿な”真似をしかねんぞ。軟禁も監禁もされたくなければ…」
「いいわよ。別に」

 ぽつりと一言が、彼の耳を捉えた。

 そこで彼はようやく気付いた。
 彼女の強い視線は、反抗からくるのではない。

 そこにあるのは今にも溢れそうな、自分に向けられた熱情。





「…ねえ。本当に、閉じ込めてくれるの?」





「――出ていけッ!」



 最大音量で怒鳴りつけて追い出し、鍵をかけたスネイプは、呼吸が落ち着くまでドアの内側に寄りかかっていた。

 自分の都合だけで強引に話を切り上げる、ましてや部屋から締めだすなど、今までレイに対して一度もしたことがない。
 まったく彼の意に反していたが、しかし、今はこの手段が正解だろう。


 こうでもしないと、どうにもならなかった。


 彼女の押しの強さが、ではない。

 頭のどこかで、もう一人の自分が言い出して聞かなかったのだ。




――そのまま閉じ込めてしまえばよいではないか、と。



 
 後ろめたさにひやりとしながら。
 自らを『まっとうな人間』と主張する彼は、その呟きを聞かなかったことにした。







End. 

→あとがき


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