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 レイが目を覚ましたのは、聞きなれない物音のせいだった。
 このご時世である、物騒な想像しかできないが、ベッドから出ておそるおそる音の出元を探ってみる。

 すると、なぜか教科書の中でしか見たことのないヒッポグリフが家の玄関で待ち伏せていた。
 その首筋を撫でていたのは、10年ぶりに見る、よく知った男。


「レイ」


 シリウスは万感の思いを込めて愛しい人に呼びかける。
 レイは微動だにせず、彼の顔を見つめてただ目を丸くしていた。

「…本物?」
「ああ。会いたかった」

 この時をどれほど待っただろう。
 彼はただ心のままに、レイのもとに歩み寄る。


 3歩。

 2歩。

「ちょっと待った」


 あと一歩というところで、レイはシリウスを押しとどめるジェスチャーをした。

 シリウスは意味が分からないといった顔で立ち止まり、彼女を見た。

 レイは一息吸い込み、




「くさい」




 …はっきりと、ありのままを告げた。




「何が原因?って言うまでもないか」

 レイの目の上では眉がいつもより中央に寄っていた。

「髪も服も泥だらけだし油っぽいし、よく見たらひげも伸び放題」
「…そのことか」

 驚きで固まっていたシリウスはようやく体から力を抜き、弁解した。

「仕方がないさ。ずっと監獄の中だったんだ」
「これはお風呂に入ってもらわないと」

 彼の言葉をまったく聞きながし、扉を開けてレイは中へと入ろうとする。

「今沸かしてくる」

 シリウスは慌てて追いかけた。

「待ってくれ。せっかく会えたんだ、ハグぐらいさせてくれたって」
「ハグ?」

 レイの眉間に、今度は明らかに皺が寄った。

「その体で?正気?」
「君こそ正気か?10年ぶりの再会よりも風呂を優先させるなんて。自由の身になって真っ先に飛んできたんだぞ、わたしは」
「そんなに会いたかったなら、10年経っても覚えてるはずよね?私が綺麗好きだってことぐらい」
「…もちろん」
「嘘つかないの。あのね、お風呂に入るまでは、指一本たりとも触らせませんから」
「おい、それはいくらなんでも」


 そこではたと気付いたシリウスは、満面の笑みになった。


「そうか、あんまり驚いて喜ぶタイミングを見失ったんだな」
「は?」
「そういえばわたしの愛しい人は照れ屋だったよ。遠慮しなくていいんだ、さあ、思いっきり胸にとびこんでおいで!」
「…あのねえ」
「いや違うな、わたしから抱きしめてやるべきだった。やっぱりいつも通りじゃないとな」
「いや、だから」
「さあおいでハニー!」
「触るなボケェ!」

 自分にのびてきた手を、レイはものすごい勢いではたき落とした。
 幸いはたかれただけで済んだが、この勢いでは、あと一歩近ければ確実に殴られていたに違いない。


「聞いてなかった?まずは、風呂!」

 言い捨てて、レイはすたすたと家の中へと入っていった。



 シリウスはその背中を呆然となって見つめた。


 会いたくて会いたくてようやくたどり着いたのに。

 彼女の心は、もはや自分から離れてしまっていたのか。




 * * *


 勢いよくバスルームに追い立てるレイと、それにおずおずと従うシリウス。
 人の姿をとっているにもかかわらず、彼のお尻に垂れ下がった黒い尻尾が見えるようだ。

「…レイ、やっぱりいい」
「よくない」
「もう帰るよ。逃亡犯がこんなところにいては迷惑がかかるだけだ」
「自分で来ておいて何ごちゃごちゃ言ってんの。ほら、さっさと行く!」

 有無を言わさぬレイに、自信をなくしたシリウスが敵うはずもない。
 もはや反論する元気もなく、バスタブの隣に突っ立っている。

 いつの間にか別の部屋からバスローブを持ってきていたレイはシリウスに投げてよこし、バスタブの蛇口を勢いよくひねった。


「いきなり帰ってきちゃってさ。なによ。人の都合も考えないで」

 シャンプーや必要な小物をかき集めながら、レイはぶつぶつと呟く。

「あんたがよくても、あたしは全然心の準備ができてないっての。
 風呂入る時間ぐらいは猶予をもらわないと、こっちだってどんな顔したらいいか分からないわよ」


 シリウスはレイを見た。
 彼女は用意する手を止めない。


 これは湯気のせいだろうか。

 さっきと違って、まるで彼女が怒っているように見えないのは。


「なあ、レイ」
「なに」
「なにもしなくていい」

 シリウスはそう告げた。
 自然と口がほころんでいた。


「君に会えただけで、わたしはもう充分に幸せなんだ。あとはどんな扱いをされようと構わない。
 ただもう少しだけ欲張ってもいいなら、君の瞳に映ることを許してもらえないか?」


 レイは作業を止めた。
 手に持ったバスタオルをじっと見つめながら、静かに呟いた。


「…キザな台詞」
「10年前と同じだ。君を見ると、こういうことを言いたくなる」
「ストレートに、こっち向いてって言えばいいのに」
「じゃあ言おう。こっちを向いてくれ、レイ」

 彼女はひとつため息をついて、それからようやくシリウスに向き直った。



 この瞳を見つめたかった。

 この瞳に映るためだけに戻ってきた。



「…ただいま」



 それを聞くとレイは少しほほえんで、彼が一番ほしかった、ありきたりな言葉をくれた。





End. 

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