▼ Restrant Dinner
たった5分で、ボトルが半分空いた。
2本目だというのに。
「…先生、最近フラれましたか」
「どうしてそう思うのかね?」
「だってその飲みっぷりは」
私の言葉など全く構わずに、がばりと杯をあおる。
「…問題ない」
飲み干したスネイプが言った。
「我輩が酒に呑まれるとでも思うか」
「あの、目が座っているんですが」
「錯覚だ」
「顔がほんのり赤い気がするんですが」
「店の照明のせいだろう」
指摘はあっさりと却下された。
「我輩がフラれるだと?」
座った目がじぃっとこちらを見つめてくる。授業とはまた違った居心地悪さだ。
「そんなことは有り得ん。何故なら、我輩の価値が分からん人間などいるはずがないからだ」
…酔ってる。
「そうであろう、コーリ。我輩の真の価値は相対ではなく絶対で評価されるべきものだ。我輩は唯一無二の存在であるからして」
ホグワーツいち陰気な男が今や饒舌なナルシストである。すごいな酒の力。
「価値が誰の目にも明らかならば、比べられ飽きられ捨てられる必要などあるまい」
「そうですね−。引っこ抜かれて戦って食べられたりもしませんしね−」
酔っ払いの話は否定も反論もいけない。適当に相槌うつのが一番である。
…これは適当すぎるか。
「お前もようやく我輩の良さが分かるようになったか、コーリ」
一方スネイプは、突っ込むことも忘れてうんうん頷いている。
オヤジだ。
完全に酔っ払いおやじだ。
* * *
機嫌よくさせるだけさせておき、私は今日最大の疑問を何気なく聞いてみた。
「で、誰にフラれたんですか」
「フラれてはおらん。言っただろう」
「じゃあどのストレスによるヤケ酒ですか」
「ヤケ酒から離れろ」
スネイプは苦々しく言ったが、顔が赤いからいつもの怖さが出ない。
「だって今日は、スネイプ先生からのお呼び出しですよ?」
あのスリザリンびいきのセブルス・スネイプが、卒業したとはいえグリフィンドール生だった私を呼び付け、
『今日一日、付き合え』
と言ったのだ。
紛れもなく。
日本を離れて久々に、地震を警戒した。
避難訓練が懐かしくなった。
「知り合いが例外なく多忙だったんですか。それとも誰からも分け隔てなく嫌われてるんですか…あ、そうかすいません」
はっと気付いて私は謝った。
「…知り合い自体がめちゃめちゃ少ないんですね……」
「コーリ、お前のその皮肉だけはスリザリンに入るに値するな」
「ありがとうございます」
「褒めてはおらん」
酔っ払いおやじは今の応酬で酔いが醒めてきたらしい。
つまらなそうな顔になるとボトルを持ち上げ、最後の一滴までグラスに注いだ。
「これは、勢いづけだ」
「さすがのスネイプ先生でも、お酒の力借りなきゃ勢いつかないんですか?」
「なかなかの難問でな。ここ数年、苦戦している」
眉を寄せて呟く。苦戦は本当のようだ。
「前進する気配がまるでない。まったく、今日は誕生日だというのに」
「誕生日?誰の?」
「我輩だ。他に誰がいる」
ワインの表面を眺めていた目がちらり、こちらを見やる。
スネイプはそれきり黙りこみ、しばらくしてまた唐突にグラスをあおった。
上下する白い喉がなんだか危なっかしく思えて、私は目をそらしてしまった。
* * *
饒舌ナルシストの魔法は切れてしまったらしく、スネイプは徐々に、独自の湿ったオーラを取り戻し始めている。
ただ顔色は健康的に赤みがさしたままなので、そこがおかしいといえばおかしい。
私はのんびりと、彼が話し出すのを待っていた。
自分から話しかけるようなことはしない。学生時代の経験から、恐怖政治に抵抗しても無駄なことは分かっているのだ。
「…まったく」
スネイプが低く呟いた。
「まったく困ったものだ。今日は誕生日だぞ」
…ええと。
こっちが困るんですけど。判断に。
それは独り言か?それとも相槌必須か?
「コーリ」
「はいぃ!なんでしょうか?!」
考えがまとまらないうちに突然呼ばれたから、見事に声が裏返った。
「今日は我輩の誕生日だ」
相槌、必要だったらしい。
「…そうみたいですね」
「のんびりと頷いている場合か」
なに、私責められてる?
なんで?
あ。
そういえば、
「まだ言ってませんでした。お誕生日おめでとうございます」
「別に祝福しろとは言っていない」
「ケーキですか?定番のあれがいいなんて…まだまだお子ちゃまですね」
「誰がイチゴショートを注文しろと言った!せめてチーズケーキにしろ!!」
さすがスネイプ大先生。日本の食文化を分かってらっしゃる。
そう感心したのもつかの間。
「誕生日なのだぞ。誕生日にこういう店で2人で食事するというのは、親しい間柄だと周囲に認めさせることと同じではないのかね?」
私は見事なくらい、固まった。
「少しは自覚しろというのに、まったく…我輩が飲みたくなったとしても仕方あるまい」
ええとそれは。
つまり。
声が出ないので目線で訴える。
大先生は見事、応えてくださいました。
「そういうことだ」
その口端にはいつもの嘲りではなく艶めいたものが含まれ…って先生!本気と書いてマジですか−っ!?
「いや先生、いくらなんでも突然すぎですからっ!」
私は首をぶんぶん横に振る。
「ならばなぜついてきた」
「そりゃ『ついてこい』って言われただけでしたし?一緒に食事するなんて知りませんでしたし?先生が誕生日だなんて知りませ…」
「嘘だな」
スネイプはなぜかそう言い切って、
「いつ渡してくれるのかね?」
奇妙な笑みを浮かべた。
「…なんのことですか」
「とぼけても無駄だ。我輩には分かっている」
男はなめらかに立ち上がる。
黒いローブがさらりと揺れて、
耳元にあの、低い声。
「我輩へのプレゼントだろう?あの緑色の包みは」
「…ちゃんと隠してたのに…」
「もっと透明化魔法を学んでおくべきだったな」
スネイプは満足げに笑みを浮かべながら席についた。
「我輩が言わなければ、持って帰っていたのかね」
「帰り際に押し付けてましたよ」
できるだけ不満そうに見えるように私は言った。
「だから言っただろう。我輩が振られるなど、万が一にもないと」
――さっきまで、酔っ払いおやじだったクセに。
悔し紛れにそんなことを思ったけれど、残念なことに、一度真っ赤になってしまった顔はなかなか元に戻ってくれない。
「さて、場所を変えるとしよう」
「場所変え!?」
赤い顔は治った。
代わりに青ざめる。
「却下―っ!」
「安心したまえ、プレゼントを見せてもらうだけだ」
抵抗する私の肩をあやすように抱き、甘い声で囁いた。
「我輩は紳士だからな」
――ただしそれは、『勢いづけ』のない、普段の時の話だが。
レストランは騒がしいものだ。
付け加えられたほんの小さな呟きが、私に聞こえるはずもなく。
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