幸せに堕ちた悪魔の結末


ペラリ、ページをめくる。
読んでいるのはこちらの世界の本。
普段は魔界のものを読むことが多いが、人間界の書物もなかなか侮れない。
夢中になって読み進めていた。
物語は人間界にやってきた悪魔の話。
滅ぼしにやってきたはずが、居心地がよくそこに住み着いてしまったという内容だ。
まるで、どこかの誰かのようである。
その本の悪魔にとって、人間界は驚きの連続。
どこまでも愚かで、無意味に思える日々が続いている。
理解不能なはずが、何故だか愛しさを感じてしまう、そんな話だった。


「昔の私なら、鼻で笑っていただろうな」


クスリ、ヒルダは笑った。
この人間界にきて、ずいぶん価値観が変わった気がする。
人間を滅ぼすために来たのに、坊っちゃまが望まれないのならと、絶対的である大魔王の命に背いた。
心のどこかで、ベル坊がそう望んでくれたらと願っていた。
しかし、あまりに平和な日々が続くおかげで、これで良かったと今では素直に思える。
ヒルダは穏やかな気持ちでページをめくっていた。
不意に、本に影が落ちた。
それと、異様な気配。
顔を上げると、男鹿がじっとこちらを見下ろしていた。
本に夢中で部屋に入って来たことに気がつかなかった、とヒルダは目を丸くさせる。


「む……?貴様……酒臭いぞ……」


ヒルダは漂ってきたにおいに思わず鼻をつまんだ。
フラフラと揺れる体、赤くなった顔に焦点の合っていない目。
手には水の入ったペットボトルが握られている。


「貴様、酒に弱かったのか?」

「弱かねーよ……未成年だし……酒なんて……飲む、わけねー、だろ……」

「酔っておるではないか」

「テメーが、持ってきた……変なのみもん……」

「あれを飲んだのか!?あれは父上にと魔界から持ってきたものだぞ」


説明しただろう、という言葉は呑み込んだ。
どうせ聞いていなかったのだろう。
それがこの結果だ。
ヒルダはため息をついた。


「それは魔界でも強い酒として有名だ。あまりに強すぎて呑めるものも少ない。その名も……魔王殺し━━」

「…………」

「何だその感じは。大魔王様もビックリな酒だぞ。それで大魔王様が命名を……」

「大魔王、命名かよ……つか……そんな危険な酒……親父が呑めるわけ、ねーだろ……」


たどたどしい口調だが、会話は成り立っている。
さすがは魔王の親ということか。
たった一口で飲んだ者を沈める代物だというのに。
ヒルダはフゥと息を吐くと、本を閉じ男鹿の椅子から立ち上がった。


「あ……」

「む?」

「もうムリ……」


ぐらりと傾いた男鹿の体。
反射的に支えようと手を出したヒルダだが、男鹿の体はこちらに向かって倒れてくる。
男鹿の額が肩に触れると、体重差でヒルダの体も後ろへと傾いた。


「あ」


足がベッドに当たり、後ろに下がることができない。
その間も男鹿は重力のままに倒れていき、結局支えきれずヒルダはベッドに体を沈めた。
床に落ちたペットボトルが転がる。
ヒルダは視線を下に向け、少しだけ上体を起こした。
ヒルダの腹部に顔をうずめている男鹿の下半身はベッドの外。


「気持ち悪ぃ……目が回る……」

「……貴様が持ってきた水、あそこに転がっておるぞ。拾ってやるから……」

「いい、このままで……」


起きかけたヒルダの腰に男鹿の腕が絡む。
気分悪いと唸っているが、腰に抱きつく力はしっかりとして強い。
ヒルダはふと微笑を浮かべると、きちんと上体を起こし体勢を整えた。
太腿に乗る男鹿の頭を優しく撫でる。


「坊っちゃまには飲ませていないだろうな」

「当たり前だろ……下でちゃんとお袋がみてるから、心配……すんな……」

「そこは心配していない。坊っちゃまも母上を信頼しておられるしな」


そうかよ、と絞り出すような呟きが聞こえ、ヒルダの笑みは濃くなった。
ゆっくりと髪を梳いていると、愛しさがどんどん溢れてくる。
可愛いと、思ってしまう。
こんなふうに甘えてくる一面があったのか、と。
ふふ、と思わず漏れた笑いに、男鹿が不機嫌そうに睨んでくるがそこに迫力はない。
ただ、余計に愛しくなるだけ。


「のど……かわいた……」

「だから拾ってやると言ったのだ」


身動ぎするが、男鹿の力は緩まない。
むしろ、絶対に離すまいとさらに力を込めてくる。
ヒルダは男鹿を退かすことは諦め、転がっているペットボトルに手を伸ばした。
無論届くはずはない。
だが、ヒルダはほんの少し魔力を集中させるだけでそれを引き寄せることができる。
便利だなと以前男鹿に言われたことがあった。
人間には到底できないこと。
見下したりもしたが、だからこそ人間は自らの力で事を為す。
坊っちゃまが学ぶべきもののひとつであると、今はそう捉えている。


「ヒルダ……」


突然耳元で囁かれ、背筋がぞくりと震えた。
いつの間にか、男鹿の顔が目の前にありヒルダは息を呑んだ。


「んっ……」


重ねられる唇。
交わる吐息の強烈な香りに、くらりとめまいに襲われる。
魔王殺し━━魔王を殺せる酒だ。一介の侍女悪魔に耐えられるはずもない。


「……ヒルダ?」

「……酔いが……」

「あ?酔ったのか……お前……?キスで……?」


面白そうに男鹿の顔が歪む。
悪い、顔。


「ふーん……?」

「貴様は、ずいぶん元気に……なったようだな……」

「潤ったから」

「…………」


力も入らないヒルダは、簡単に男鹿に押し倒された。
見下ろしてくる男鹿の瞳に、先ほどの可愛らしさなど微塵もない。
物欲しそうに舌なめずりする、色気たっぷりの表情。
少しだけ、ヒルダは頬を膨らませた。


「可愛くない……」

「あ?」

「可愛くない」

「何だよ……お前は可愛いぜ……?」

「やはり酔ってはいるのか……気色悪い……」

「これから、な…………」


するり、太腿を撫でられる。
男鹿の温もりがまだ残るそこに、ヒルダはビクリと過剰に反応を示した。


「な?ずいぶん可愛い反応するだろ?」

「貴様……もう一度魔王殺し呑んでこい……!そして私に愛でさせろ」

「嫌だ。男として」

「ちょ……待っ……!」


人間を魅了するのが悪魔。
けれど、逆に魅了され幸せに堕ちてしまった物語の悪魔の続きは、まだ分からない。
きっと、今のヒルダと同じ気持ちなのだろう。



ーーー━
人間界の本という事だけど……本誌で明らかになった設定どうしよう。まあ、いいか。ここでは読めるという事で。
お互いにお互いを愛でたいふたり。
お粗末様でしたぁ!

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