心灼く焔


ぼんやり窓の外を見つめた。
部屋の明かりは月の光だけ。
今日は満月だからか、それで充分なくらいだった。
ふう、と小さく息を吐き出す。
男鹿はゆっくりとベッドに手をかけた。


「……ヒルダ。オレの声、聞こえるか?」

「……うっ……お、が……? ぼ、ちゃま……は……」

「ちゃんとお袋の部屋で大人しくしてる。だからお前は自分の心配しとけ」


そっとヒルダの頬に触れる。
ジュ、と音をたてた。


「やめ、ろ……やけどじゃ……すまない……」

「オレは魔王の親だぞ。このくらい、何でもない」


笑みを浮かべる男鹿の額からは、大量の汗が噴き出している。
炎に直接触れているも当然なのだ。
それでも、ヒルダの苦しみに比べたら涼しいものだろう。


「ぐっ……」


それでも、耐えきれずにヒルダから手を離した。
じんじんと痛む指は赤く、あれ以上触れていたら皮膚が爛れていたかもしれない。
男鹿は眉間に力を入れた。


「お……が……」

「もう喋るな」

「もし……もし……私、が……」

「喋るなって」

「坊っちゃま、を……たの……」

「喋んなって言ってんだろ!」

「…………」


声を荒らげた男鹿に、ヒルダはふわりと微笑んだ。
ベル坊に見せる時のような、優しく柔らかな笑み。
なぜ今そんな顔をするのか。
男鹿は苛立ち、拳を壁に叩きつけた。
ヒルダの瞼はゆっくりと降りていく。
思わず伸ばした手は、やはり熱に邪魔され触れることはできなかった。



「まぁ、そんな落ち込むことないんじゃない? 君のせいってわけじゃないし」



場違いな間の抜けた声。


「……え?」

「よ」

「よって……え?」

「遅くなってしまったが、ヒルダ殿を治しにきたよ。よかったね」

「て……テキトーせんせぇぇぇ!! マジでか! 治るんだな!? よかったねとか他人事みたいに言うなよ!」

「こらこら、患者の耳元で大声を出すんじゃないよ」


フーと息を吐きながら、テキトー先生ことフォルカス医師は被っていた帽子を男鹿の胸に押しつけた。
ヒルダの様子をじっと見つめる。


「治る……んだよな……?」

「あぁ、治るよ」

「なら早く……!」

「そう急かさないでくれ。ヒルダ殿の体力も関係してくるんだから」


ふざけた外見だが、声音は真面目だった。
男鹿はごくりと喉を鳴らす。


「ウイルスによるものだと思ったのだが、実はこれ病気ではなかったんだよ」

「は? 病気じゃないって……どういう……?」

「夢魔を知っているだろう?」

「夢魔って、夢に出てくる悪魔のことか?」


インキュバスやサキュバスといった存在なら知ってはいる。
フォルカスの体がぷるりと揺れた。
頷いたのだろう。


「その夢魔だが、魔界で力が暴走してな。意図せず近くにいた者を襲った。厄介なことに、イフリートクラスの魔物で悪夢を見せる炎へと変えてしまったのだ」

「悪夢……? つか、クラスって何」

「そのくらいレベルが高いという事だ。これは夢からもれでた炎の熱。幻……いや、具現化してしまったら幻ではなくなるか」

「幻……オレの火傷も元は幻かよ」

「例え夢でも、見るものにとってはその瞬間は現実だ」


男鹿は段々と痛くなってきた頭を押さえた。
よく分からないが、取りあえず風邪を引いて熱が出たというものではないらしい。
ヒルダに視線を移す。
表情はずっと苦しいまま。彼女はどんな夢を見ているのか。


「悪夢から醒めぬまま、燃えてしまったものも少なくはない」


フォルカスは小さく呟き、カバンからビンを取り出した。
メラメラと燃える炎が入ったそれ。
男鹿はごくりと喉を鳴らした。


「それ……どーすんだ?」

「うむ、燃やす」

「何を……?」


キュポンと、フォルカスはビンの蓋を外した。
炎は舞い上がり、どんどん広がっていく。
男鹿は熱風の熱さで半歩さがった。
火事になるんじゃないかと危惧していると、フォルカスがビンをヒルダに傾けた。
勢いよく飛び出した炎は、一気にヒルダの体を包む。


「お、おい! 何やってんだ!」

「焦る気持ちは分かるが、これが治療だから安心するといい」

「あ……?」


メラメラと燃え上がる真っ赤な炎は、ヒルダの身体に纏ったまま。
熱は感じるが、確かにヒルダ自身燃えているわけではないようだ。
汗がぽたりと床に落ちた。


「これはどうやら精神的な部分に反応するようだ」

「精神……?」

「うむ。夢だからな。ヒルダ殿は何か悩みがあったりは聞いていないのかね」

「い、いや……何も……」

「そうか……。悩みや迷い、そういった隙に入り込むのがこの炎だ」

「…………」


男鹿は唇を噛んだ。
そんなに長い時を共に過ごしたわけではない。
だが、もう他人ではいられないくらいの時は過ごした。
気づけなかった自分が情けないのか、ヒルダが気持ちを隠すことが巧いのか。


「ダブ!」


ドンドンと戸が叩かれる。
開けろと訴えているベル坊の声は震えていた。
何かを感じ取ったのかもしれない。
男鹿はちらりとフォルカスに視線を向けた。
僅かに頷く。
男鹿はドアを叩き続けるベル坊を部屋に入れた。


「ダ……ウ……!?」


ヒルダが炎に包まれている姿に、ベル坊は目をいっぱいに見開いた。
駆け寄ろうとする小さな体を抱き上げ、男鹿は大丈夫だと低く囁く。


「これは焔王様の炎ですよ、ベルゼ様」

「あ……? これ、あのガキの……?」

「うむ。何せ炎自体は高貴なものだ。魔王ほどの力でなければ、逆に吸収されかねん」

「へぇ……。今頃、あのガキ英雄扱いなんじゃねーの」

「うむ」


鼻高々になっている様子が容易に想像できる。
まさかあのガキが特効薬になるとは。
何となくモヤモヤしたものの、おかげでヒルダは助かるのだ。
ゲームのひとつでもくれてやろう。
男鹿はそっと息を吐いた。


「……治るには治るが」

「あ?」

「もし、炎がヒルダ殿の精神を焼いてしまっていたら……ヒルダ殿ではない誰かになってしまうかもしれない」

「……は!? おい、何言って……!」

「サラマンダーの炎を覚えているかね。あれは記憶を焼き、ヒルダ殿はすべてを忘れてしまった。それとは違うが、おおよそそんな感じだと思っていい」


記憶はあっても、忠誠を誓う気持ちが焼かれるかもしれない。
フォルカスは静かにそう口にした。
記憶を失っていた頃のヒルダは幸せそうだった。
ただ、それはヒルダであってヒルダではないとも言える。
今この炎が焼いているのはヒルダの心。
ベル坊が誰かを知りながら、ベル坊を想う気持ちは無くなってしまう。
どちらが幸せだろうかと一瞬頭を過り、男鹿は慌てて首を横に振った。


「む、どうやら焔王坊っちゃまの炎がすべてを喰らったようだ」


ヒルダの身体を包んでいた炎が小さくなっていく。


「ダブダ!」

「あ、ベル坊!」


ベル坊がベッドに飛び上がり、ヒルダの顔に触れた。
まだ熱いかもしれないのに。
男鹿はすぐさまベル坊をヒルダから引き剥がした。
ベル坊はじっと動かない。


「ベル坊?」


恐る恐る、男鹿はヒルダの頬に触れた。
まだ少し熱いが、火傷をするほどではない。
体温が少々高いくらいの熱だ。
安堵で力が抜け、崩れるようにベッドに頭を乗せる。
取りあえずは良かった、と。


「うっ……」

「ヒルダ……!?」


がばりと顔をあげる。
だが、小さく呻いたヒルダの瞼は閉じられたまま。
まだ悪夢を見ているのだろうか。


「ヒルダ、ベル坊が待ってんぞ」

「ダ……!」


ぎゅっと、ベル坊はヒルダにしがみつく。
目に溜まっている涙を、溢すことはなかった。
ふぅ、とフォルカスがため息をつく。


「……ま、多分大丈夫だろう」

「大丈夫って、本当かよ?」

「多分」

「多分じゃ困るんだっつーの。医者ならハッキリさせろ」

「それにはヒルダ殿が目覚めんことにはな……」


よいしょとフォルカスは鞄を持ち上げた。
首を傾げる男鹿の横を通り、ドアを開ける。


「じゃ」

「……は!? じゃ、って……え? 帰んの?」

「患者はまだいるのだ。ラミアに任せっぱなしにするわけにいかないからな」

「ヒルダは!?」

「うん。だから大丈夫だって。多分」

「たぶ……!」


だから、そんな適当では困る。
だがフォルカスは、大丈夫大丈夫と繰り返して部屋を出ていってしまった。
しん、と静寂に包まれる。
多分と言っていたが、一応は偉い医師なのだ。
完治していない患者を適当な理由で放っておいたりはしないだろう。
だからきっと。ヒルダは大丈夫なはずだ。


「大丈夫……だよな……?」


男鹿の呟くような問いに答える者はいなかった。



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長くなりすぎた……!
前中後編にわけます!

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