キスして


雰囲気だけで人を刺し殺せるのではないか、というくらい不機嫌オーラが凄まじかった。
下手に声をかけようものなら、直ぐ様抜刀して襲い掛かってきそうだ。
触らぬ神に祟りなし。
だが、そういう訳にもいかない。
不機嫌である事に対して、納得できないからだ。


「おい」

「……………………」

「ヒルダ」

「話しかけるなドブ男。私は今、坊っちゃまの寝顔を見守る事に忙しい」


ベッドですやすやと眠るベル坊。
この赤ん坊は、この状況が自分のせいだと気づいていないのだろう。
自分を側で見守る侍女悪魔が、物凄い剣幕をしていると知ったらどう思うか。
ヒルダもそれを分かっているからこそ、余計な事は話さず、ベル坊の寝顔を見て心を落ち着けようとしている。
それなら放っておけばいい。
だがそれでは、こちらの気が収まらないのだ。


「お前さ……そんなに嫌だったわけ?」

「……………………」


男鹿は苛立たしげに眉を寄せた。
事の発端は、ただの口喧嘩だった。
いつもの些細な喧嘩。
日常茶飯事の喧嘩。
それだけなら、何事もなかったような時を過ごせたはずだ。
が、人生何が起きるかは分からない。
最初は二人の喧嘩に戸惑っていたベル坊も次第に慣れ、またかというように欠伸をするようになった。
喧嘩の最中は一人で遊ぶことも、仲裁に入ることもあった。
今回は、喧嘩してないで構え、という事だったのだろう。
男鹿の体をよじ登り、頭を掴んで揺らし始めた。
それは赤ん坊とは思えないほど力強く、揺れる頭は勢いよくヒルダの方へと傾く事となった。
「あら、ベルちゃんったらやるじゃない」
そう笑った姉の声がやたらと違和感だった。
次いで父と母が何かを言っていたが、何と言ったのか聞く余裕などない。
ベル坊の声すら、聞こえなくなっていたのだから。


「ありゃ事故だろ。機嫌直せよ」

「……………………」


傾いた先にはヒルダ。
まるで漫画やドラマのような話だ。
吸い込まれるように、口づけを交わしてしまった。
互いにファーストキスだ。
まさかあんな形になるとは思ってもみなかったが、女からしたらカウントに入らないと言う奴もいるだろう。
ヒルダがどう思ったかは分からない。
それが男鹿には気にくわなかった。
殴ってくれればいいものを、ヒルダはただ不機嫌というだけで責めもしない。
悪態のひとつでもついてくれれば、こんなに嫌な空気にはならなかったはずだ。


「ったく……キスぐらいで機嫌損ねるなんて、侍女悪魔といっても女って事か」

「何だと?」


ユラリとヒルダは立ち上がった。
その手には傘の柄が握られている。
これは来るな、と思ったのは同時だった。
ヒルダは目にも止まらぬ疾さで抜刀し、男鹿の顔を目掛けて薙ぎ払う。
一歩後退した男鹿は直ぐ様前進し、ヒルダの手を拘束した。
剣が床に突き刺さる。


「危ねーだろ」

「殺すつもりだったのだから、危なくて当然だ」

「魔王の親を殺す気かよ。ベル坊が泣くぜ?」

「フン、私に殺される程度なら親になどなれん」


ヒルダは男鹿を冷たく睨み付けた。
侍女悪魔という立場を軽んじるような言葉が禁句なのは知っている。
彼女がどれだけ誇りに思っているか理解しているからだ。
だからわざと言った。
必ず反応すると分かっていたから。


「機嫌が悪い理由は何だ? オレとのキスが嫌だったからか?」

「……………………」

「別にオレたちはそんな関係じゃねーけど、それなりにいい雰囲気はあったと思ってたぜ? お前だって、その気はあるってな」

「……………………」

「否定はしないんだな」


好きだとか愛だとか、そんな言葉を使った事はない。
夫婦でもなければ付き合ってもいない。
告白をしたわけでも、互いの気持ちを確かめ合った事もない。
ただ、何となく寄り添ったり手を取ってみたり、そんな些細な事は度々あった。
自惚れではない。それは確かだ。


「何なんだよ。ハッキリ言わねーとこの場で押し倒す。嫌だっつっても、抵抗しても、最後までヤるからな」

「…………きさまが……」

「あ?」

「貴様のせいだろう!」

「はぁ?」


突然怒りが爆発したように、ヒルダは男鹿の胸ぐらを掴んだ。
開かれた目は僅かに潤んでいる。


「貴様が先に嫌な顔をしたではないか!」

「……あ?」

「げ、やっべ。……という顔をしただろう!」

「し、したか……?」

「まるで私とキスなんて冗談じゃないというように顔色を変えよって……!」

「別にそんな事思って……ん?」


要領を得ない。
まじまじとヒルダの顔を見つめると、ヒルダはふいと背けた。
ほんの少しだけ、頬が赤い。


「……私は……それなりに貴様といい関係が築けていたと思っていた……から……」

「から?」

「……………………」

「ふーん……。傷ついた? オレがお前を拒んだみたいで?」


ヒルダが腕を振り上げようと力を入れた。
だが、その腕は男鹿はしっかりと押さえている。
悔しそうにヒルダは顔を歪めた。


「キスしたいならそう言えばいいじゃん。オレは大歓迎だけど?」

「そんな事、誰も言っていない」

「いやいや、不機嫌になるくらいオレのこと好きなんだろ?」

「貴様とはそういうのじゃないだろう」

「オレ的には、そろそろそういう関係になってもいいと思ってるけどな」


覆い被さるように、ゆっくりとヒルダに詰め寄る。
焦りと困惑、羞恥と色々な感情が入り交じったようにヒルダの瞳が揺れた。
完全に押し倒した状態になると、男鹿はヒルダの滑らかな頬をなぞり、そっと顎を掬い上げた。


「じゃ、今度は満足するようなキスにしてやろうか?」


何かを言いかけたヒルダの口を自身ので塞いだ。
溢れる吐息さえも逃がすまいと深く口づける。
ただ彼女だけを求めるように。


「機嫌直ったか? 何ならもっとしてもいいけど?」

「い、要らん! というより私は不機嫌の理由をちゃんと言っただろう……!」

「あー……でもオレはまだ満足してないから」

「な……っ!」


この後、別の意味で彼女が不機嫌になることは分かっているけれど。
歯止めなどかけられない。
例え事故でも、一度してしまったら抑えなど無理な話だ。
本当なら、あの時すぐにでも押し倒してしまいたいくらいだったのだから。
ヤバイという顔をするのも当然なのだ。


「愛の告白もしてやろうか?」

「要らんと言っている……!」

「あぁ、オレは行動で示すタイプだからな」


歯止めなんて。
だから今まで曖昧な関係でいたというのに。
ヒルダもそれは知っていたはずだ。
だから、悪いのは男鹿でもヒルダでもベル坊でもなく、ファーストキスのせいという事で。



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ラブラブ書きたいはずが……ただの攻めと乙女に……?
お粗末さまでした!

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