明日になっても


「……なぁ、オレの心臓どっかに飛んでってね?」

「お前、何言ってんの?」


ハァ? とムカつく顔で首を傾げられ、思わずその顔を殴った。
こっちは真面目に聞いているというのに。


「……何、あいつらにケガさせられたから言ってんの?」

「……いや、その原因になった事の方っつーか……」

「その原因? あ、もしかしてさっきそこに居た金髪美人の……? ん? え、まさか男鹿……!」

「何だよ古市。キモイ顔して」


古市は顔をひきつらせた。
まさかまさかと冷や汗を流しながら。
そんな友人の様子を訝しげに見つめる男鹿は、頬にできた痣に触れた。
今までケンカをしていた他校の不良に殴られたものだ。
いつもなら避けられたそれを、まともに受けてしまった理由。
それは、古市が口にした金髪美人の女だ。


「………………」


絡まれていたところを助けた事になるのだろう。
だが、彼女は何も言わず逃げるように去っていってしまった。
怖がられるのはいつもの事だが、彼女の目に一切の恐怖などなかったように思える。
恐怖どころか、あの不良たち相手に立ち向かっていきそうなほど強い瞳だった。


「日本語話せないとかか……?」

「あの制服、ここらで有名なお嬢様学校のだったし、まったく話せないってのはないと思うけど……」

「そうなのか? その学校ってどこにあるんだ?」

「……気になるのか? あの子の事」

「あ? あぁ……まあ……何となく……」

「……へぇ…………」


古市は複雑そうに眉をひそめた。
彼が何を思っているのか、鈍感な男鹿は知る由もない。


「ここらの学校なら、また会えるかもな……」


ぽつりと呟いた言葉。
会ってどうするかなど分からないが、会いたいと思った。
彼女を見た時に起きた、心臓が脈打つ感覚。
その正体が知りたい。


「一応英語の勉強しとくか……?」


古市に頼むのは何となく癪だ。
そこで浮かんだのは、ひとつ年上の幼なじみだった。


****


「は、ハロー……」


その時は思っていたより早く訪れた。
目の前には、会いたいと思っていた女子。
たまたま、街を歩いていたら出会したのだ。


「……貴様、あの時ケンカしていた男だな?」

「あれ、日本語……」

「普通に話せる」

「あ……そう……。邦枝に教えてもらった意味ねぇな……」


流暢に話すどころか、ずいぶんと古風な話し方だ。
だが、彼女に合っているようにも思える。


「何の用だ?」

「え……えっと……用っつーか……」


会って確かめたかったこと。
それは、心臓が音をたてたあの感覚が何だったのか知るため。
男鹿はじっと彼女の目を見つめた。


「何なのだ貴様は」


鬱陶しそうに顔を歪める彼女。
何か話題はないかと頭を働かせるが、何も浮かばない。
こういう時に限って古市がいないのは何故か。


「私は忙しい。用がないならもう行くぞ」

「あ! いや、待て!」

「…………何だ」

「えっと……そうだ! お前、あの時逃げたよな!? 礼くらい言ってもいいんじゃねーの?」


何とか引き留めようと必死だった。
なぜこれほどまでに。
自分に首を傾げたくなる。


「あの時は急いでいただけだ。坊っちゃまのミルクを買いに行かねばならんかったからな」

「……坊っちゃま?」

「アブー……」


突然、赤ん坊の声が聞こえてきた。
妙に近い。
そう思ったのと同時に、彼女の肩からひょこりと顔が現れた。


「ウ?」

「坊っちゃま。起きられたのですね」

「アイ!」

「……え?」


今まで感じた事のない焦燥感が男鹿の胸を乱した。
男鹿を睨み付けていた彼女の表情は一転、背中の赤ん坊に満面の笑みを向けている。
その背の赤ん坊は何なのか。
まさか、と衝撃が胸を打った。


「ダブ……」

「まあ坊っちゃま! それは大変ですわ! おい、そこのドブ男」

「ドブ……それオレのことか……?」

「私はもう行くぞ。用があるならちゃんと言葉を整理してからにしろ」


何て高慢な女だ。
理不尽な事は姉の美咲で慣れてはいるが、もしかしたらそれ以上なのではないだろうか。
だいたい、まだ二度顔を合わせただけで、話をしたのも今だけだ。
ほぼ初対面に近いというのに、そんな相手に何故ドブ男などと言われなければならないのか。
もちろん腹が立った。
だが、それ以上に。


「おい」

「…………」


面倒そうに彼女は振り返る。


「お前……名前は?」

「ヒルデガルダだ。ヒルダでよい」


風がふいた。
靡いた金髪の髪が遠ざかるのを、ただ黙って見つめる。
胸に手を当てると、ドクンドクンとやけに心臓の音がうるさい。


「あ〜……!」


思わずしゃがみ込んで頭を抱えた。
自覚した途端、まさかの現実。


「あの赤ん坊……あいつの子どもか……?」


だとしたら、彼女の隣にいるだろう誰かがひどく憎く思えた。
よりによって、何て女にこんな気持ちを抱いてしまったのか。
考えたくないのに、気になって仕方がない。


「あ〜……邦枝にケーキでも買ってくかな……」


英語を教えてくれた幼なじみのために。
今はその事に頭を使おうと思った。


****


「あ、そう……」

「んだよ、その微妙な態度」


男鹿は顔をしかめた。
古市の態度が気になるものの、今は彼女の事の方でいっぱいいっぱいだ。


「ヒルダさんっていうのか」

「あぁ」

「で、赤ん坊連れてたと」

「あぁ……」

「それさ、そのヒルダさんの子どもなんじゃ……」

「言うな」


古市の顔に手を突き出す。
分かっているが、言葉にはしたくない。
それに、もしかしたらという可能性を見つけた。
幼なじみと同じ境遇。
つまり、


「姉弟かもしれねーだろ!」

「……お前さ…………」

「あん?」

「邦枝先輩はどうするんだ?」

「何が?」

「……いや、いい」


古市は複雑そうにため息をつく。
一体何だというのか。
問おうとして、ふと目に入った金髪。


「ヒルダ!」

「む?」


走って、その手首を掴む。


「アウ?」

「……っ!」


彼女に抱かれた赤ん坊。
その赤ん坊を慈しむような彼女の瞳。
ドクンドクンと、心臓が音をたてる。嫌な音だ。


「また貴様か。よく会うな」

「……男鹿だ」

「ならば男鹿。今度はきちんと言葉を整理してきたんだろうな?」

「おう」


ごくり、唾を飲み込んだ。
じっとこちらを見上げてくる赤ん坊と睨み合う。


「そいつ、お前の子?」

「何?」

「姉弟、だよな……!?」

「何かと思えば、聞きたい事はそれか?」


呆れたようなヒルダの顔。
だが、今の最重要確認事項だ。
姉弟であってくれと強く願った。


「ダーッ!」

「ん?」

「ぼ、坊っちゃま! そんなドブ男が気に入ったのですか!?」

「……ん?」


なぜか赤ん坊がひっついてきた。
キラキラと目を輝かせている。
ヒルダはそんな赤ん坊を見て、恨めしげに男鹿を睨んだ。


「男鹿」

「ふ、古市……! コイツ、どうにかしてくれ!」

「なつかれたんじゃないか? こんな目付きの悪い男のどこを気に入ったのか……っと。ヒルダさんですね? 初めまして、古市です」


キランと顔を斜めにかっこつける。
男鹿は、そのままヒルダの手を握りそうな古市の襟を掴んだ。
目で訴えかける。
古市の顔が青ざめると、ひっついていた赤ん坊が益々嬉しそうな声をあげた。


「坊っちゃま……。致し方ないか……。おい、男鹿といったな」

「あ?」

「今日からベルゼ坊っちゃまの遊び相手になれ」

「は?」


一体なぜ。
訳が分からないと疑問符を浮かべていると、ヒルダは大きなため息をついた。


「坊っちゃまは私の子ではないし、姉弟でもない」

「……ん? じゃあ何なんだよ」

「坊っちゃまは偉い方のご子息でな。私は坊っちゃまにお仕えしている」

「それって、メイドさんみたいな感じっスか?」

「うむ、そんな感じだ」


聞いてみれば何てことはない。
杞憂していたような事はまるでなかった。
ひとまずは安心していいようだ。


「へぇ……家が代々仕えてるんスか……。苦労されてきたんですね」

「苦労? 坊っちゃまのお世話をするのに苦労など感じた事はない。知ったような口を利くな」

「す、スミマセン……」


すでに確立しているヒルダと古市の関係。
非常にわかりやすい。
男鹿は遊んでと訴えかけてくる赤ん坊を抱き上げた。
なぜか裸の赤ん坊。
この赤ん坊に気に入られたという事は、ヒルダとの繋がりができたという事になる。
赤ん坊をダシにするのは気が引けるが、感謝の気持ちの方が大きい。


「ベルゼ坊っちゃま……ベル坊だな」

「アイ!」


小さな手を広げ、遊んで遊んでとはしゃぐ。
男鹿はフと口元を緩めた。


****


「だから、そうじゃないと言っているだろう!」

「うっせぇな、いちいち細かいんだよテメーは!」

「何だと! 坊っちゃまのミルクだぞ! 丁寧に作らんと……!」

「あーあー、わーったよ! 作り直しゃいいんだろ!」

「ダブ……」


ヒルダとベル坊と過ごす時間。
日々口喧嘩は絶えない。
だが、それを嫌なものとは思わなかった。
他校の不良たちと殴りあいの喧嘩は、それなりに楽しい。
それとは違う、ヒルダとの些細な喧嘩は心地が良かった。
ムカつくはずが、心地良いなどおかしな話だ。


「さあ、坊っちゃま。ドブ男がミルクを作り終えるまでヒルダと遊びましょう」

「ダー!」


ヒルダは、ベル坊とその他でだいぶ態度を変える。
ベル坊が全てのようだった。


「オイ……」

「何だ?」

「オレをドブ男って呼ぶのやめろ」

「ドブ男をドブ男と言って何が悪い」

「てめぇ……」

「そうだな。貴様がミルクを完璧に作ることができたら……その時はきちんと名前で呼んでやろう」

「!」


ヒルダは柔らかく微笑した。
ベル坊にではなく、男鹿に。


「……上等だ」


彼女に感じたこの鼓動。
昨日より今日、今日より明日というが、こういう事にも使えるのだろうか。
明日になっても、続いていく関係と彼女への気持ち。
とりあえずの目標は、ミルクを完璧に作る事だ。



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男鹿視点!
書きたい場面は色々あったけれど、流れしか書けなかったなぁ。
葵視点が書いてて息苦しかったので、その辺は入れられなかった……!
男鹿→ヒルの感情は明記しませんでしたが、感じとってもらえたらと思います。
お付き合いくださり、ありがとうございました!

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