色を消すように
伸ばした手。
一度目は届かなかった。
起こりうるかもしれない事が一気に脳内を巡り、煮えたぎる血を送る心臓に、凍てついた刃が突き刺さった。
後悔という言葉では言い表せない感情が渦巻いて、けれどどうしようもなくて。
ただ時が流れる空間に放り投げられたように、見送る事しかできなかった。
「――銀時」
ハッとした。
顔を上げると、お登勢が神妙な顔をしながらソファに座る銀時を見下ろしている。
「少し衰弱しているが、健康に問題はないそうだよ」
「……そうか……」
「ただ……精神をやられてる可能性があるそうだ。それは、目を覚ましてからでないと分からないみたいだけどね」
「…………」
お登勢は疲労感漂う溜め息をついた。
顔色が悪い。化粧をしていないというのもあるだろうが、あの陰りはほとんど寝ていないせいだろう。
「銀時、そばにいってやんな」
「……ああ……そうだな……バーさん、あんたも休んだ方がいいぜ。ますます老けて見えっから」
「余計なお世話だよ」
ハッと笑って、銀時は立ち上がる。
「大丈夫さ……あの娘が簡単にやられるわけない。あんたが一番わかってる事だろ、銀時。あの娘は強い。きっと大丈夫」
「……そうだな」
お登勢の言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。
本当の娘のように思っているのだから当然だ。心配しないわけがない。不安にならないはずなどない。
ちゃんと休めよ、と銀時はお登勢にもう一度言うと、和室の襖をそっと開けた。
部屋の真ん中に敷かれた布団。
そこで眠っている妙の横で、新八と神楽がただじっと妙を見つめていた。
小刻みに震えている肩。
銀時は新八の隣に腰をおろした。
「……銀さん……」
消え入りそうな声で、新八が銀時の名を呟く。
「何だ」
「どうして……姉上がこんな目に合わなきゃいけないんでしょうか……」
「俺がお妙を好きになっちまったからだ」
空気が張りつめた。
神楽が不安げに銀時と新八を見る。
「恨むなら、恨んでもいい。俺の女として連れて行かれてこうなったんだからな」
「……何で銀さんを恨むんですか……筋違いでしょう……」
「いんだよ、解ろうとしなくて。ため込むな。お前の怒りくらい、受け止めてやらァ」
「……何でそんな事言うんですか……!余計、何も言えなくなるじゃないですか……!」
「新八……」
神楽の目から大粒の涙が零れ落ちた。
すでに膝も手の甲も涙で濡れている新八は、ぐずぐずと鼻をすする。
手が届かなかった。護れなかった。
それは、新八と神楽の心には重すぎる。
それだけ、妙という存在は二人の中で大きい。
「どうしたの、二人とも……そんなに涙を流して……」
悲しい事があったの?
凛とした声に、三人はハッと妙の顔を見た。
開かれた目が、優しく弧を描く。
「あ、姉上!!」
「アネゴぉ……!!」
わあ、と新八と神楽が泣き出し妙に抱きつく。
銀時は呆然とその光景を眺めた。
あらあら、どうしたの。微笑む妙は、いつもの妙。
包み込むような笑顔、大事なものを支える強さ。
泣きじゃくる二人をなだめる姿はいつも通りだった。
いつも、通り。
銀時は拳を握った。
「新八、神楽……。悪いが、お妙と二人にしてくれねェか」
「え」
「頼む」
銀時は頭を下げた。
二人とも妙の側を片時も離れたくはないだろうが、それでも。
ぐしぐし、新八は涙を拭い立ち上がる。
「姉上。僕、お登勢さんたちとお粥作ってきます。美味しいの作りますから、待っててください。行こう、神楽ちゃん」
「あ、新八……!銀ちゃん、アネゴに何かあったらすぐ呼んでヨ」
「ああ、悪いな」
和室を出る新八と神楽に、妙はそっと声をかけた。
「ありがとう。新ちゃん、神楽ちゃん。あとでたくさんお話しましょうね」
妙が戻ってきてから、二人は初めて笑った。
「…………」
「…………」
しん、と静まり返る部屋。
銀時は妙を見つめその頬に手を伸ばす。
確かな温もり。
「具合はどうだ?」
「悪くはないですよ」
微笑む妙の頬を撫でる。
慈しむように、ゆっくりと。
妙は銀時の手に自身のを重ねすり寄った。
「ごめんなさい……銀さん……あなたの荷物になりたくなかったのに……」
「何バカ言ってんだ。今さら、そんな事気にする間柄じゃねーだろ」
「……だって、あの人……また来るわ……。迎えに行くって言ってたもの……」
どこか遠くを見るような妙の瞳。
お妙、と銀時は低く囁く。
長い睫が震えた。
妙の手首にくっきりと残る赤は、人の指の痕。
行き場のない怒りがこみ上げ歯噛みした。
――テメーは何も護れはしねェよ。
高杉の言葉が重くのしかかった。
せっかく妙を取り戻したというのに。
妙はまだ自分を縛る鎖から解放されてはいない。
迎えに行く?何をバカな。
こいつはお前のもんじゃねーだろうが……!
「そんな顔しないで……銀さん……」
「……すまねェ……お妙……俺の、せいで……!」
「銀さん……」
「俺はお前を護れなかった……!」
どれだけ後悔しようと、起こった事は変わらない。
「私を見くびらないでくださいな、銀さん」
「お、妙……」
「私は私の意思であなたを好きになったの。銀さんだから、愛したんです。私は後悔なんてしない。銀さんは私を……護って、くれたじゃない……」
妙はにこりと笑った。
一番つらいはずの妙が、一番笑顔を見せている。
自分が情けなくなった。
「お妙……俺は……あいつ、は……」
あいつは、わざとお前を逃がしたんだよ。
銀時は言葉を呑んだ。
最初に伸ばした手は届かなかった。
次に伸ばした手。
ボロボロになって辿り着いて、取り戻すと伸ばした手は、届いた。
しっかり掴んで、その身体を抱き寄せた。
けれどそれは。
含み笑いを浮かべる高杉の顔を見て気がついた。
銀時たちが妙を取り戻すのは予定のうちだと。
追い込んで追い込んで、わざと逃がして、さらなる絶望を与える気なのだと。
そんな事はさせねェ。
「お妙……」
銀時は妙に顔を寄せた。
頬を包んでいた手を滑らせ、形のいい唇に触れる。
その端に、傷。
切ったものではない。
「噛まれたのか」
びくり、妙の身体が震えた。
銀時から視線を外そうと、目が動く。
「俺を見ろ、お妙」
再び絡み合う視線。
「俺がお前を護る。アイツの事を見る必要はねーんだ。俺の事だけ見てろ」
口調は柔らかく。
妙の瞳は大きく揺れ、潤んでいった。
静かに、零れ落ちる。
「私は……いつだって……銀さんのこと見てるわ……」
銀時は妙の頭を抱くと、唇を重ねた。
優しく触れ、心を解きほぐすように深く口づける。
けれど、目に見えない鎖が絡みついて妙を捕らえて放さない。
アイツが来るかもしれない。
そんな恐怖に、妙は怯えている。
迎えに行く。
その言葉が、どれだけ妙を苦しめているのか。
どれだけ、今強がっているのか。
「お妙……目、閉じるな……」
「……ん、ぎん、さ……」
「アイツはここにはいねぇ。いるのは俺だけだ。だから、不安がるこたァねーんだよ。高杉の事は、必ず俺がぶっ飛ばす……な?」
「ふふ……私は銀さんを信じてますよ。どんな時も」
妙はしっかりと銀時の瞳を見つめ、微笑んだ。
あなたがいれば、怖いものなんてないわ。
そう言って、妙は銀時の頬を包む。
柔らかく温かな手。
銀時はそっと妙の手首を撫でた。
痛々しく残っている赤い痕を消そうとするように。
end
赤い鎖の続編でした!
匿名様のご希望により書かせて頂きました……!三人ほどいらっしゃいまして、嬉しいやら何やらです。
ただ、続編っていっても……どこ書くよ?って一番悩みました。
銀さん助けに来て、死闘して、取り戻して〜なんてやってたら長編になるよ(笑)
という事で、お妙さんを助け出した直後の銀妙にしてみました。
もともとがシリアスな話なのであまりスッキリしない終わり方になりましたが、お妙さんの心はちゃんとここに在ります。
お粗末様でした!