春うらら

夏の始まり秋の頃冬のとある日の完結編。


埃っぽい国語準備室の換気のため、窓を開け外をぼんやりと眺めていた。
今日は朝から穏やかな天気。
暖かな日差しに気を緩めていると、時より吹く冷たい風に身を震わせる。寒い、と思わず腕をさすり、けれど暖かな日差しでまた気を緩ませた。
のんびりしている暇はないのだが、どうにもやる気が起きない。
窓を閉め、椅子に座り、砂糖とミルクたっぷりの少し冷めたコーヒーを一口含む。
ふと、机に置いていた名簿を何となく開いた。

「卒業……か……」

銀八は呟いた。
この時期特有の感情。毎年あることなのに、名残惜しくなる気持ちは変わることがない。
名簿に書かれた名前ひとりひとりとの思い出が蘇る。
三年Z組。バカばかりの、どうしようないクラスだった。問題ばかり起こし、いつもいつも誰かに頭を下げるはめになるような、そんな日々。それでも、可愛い奴らであった。
誰かのために一生懸命になれるような、そんな奴らばかりの楽しい一年間。

「アイツら、ちゃんとやっていけんのかねェ……。神楽なんて、いつまでもアルアル言ってられねーしよォ。新八は心配いらねーな。アイツはダメガネのまま変わらずにダメガネでやっていけるからな」

銀八は笑った。
心配などしたところで、教師と生徒の関係など卒業すれば何もなかったかのように他人になってしまうというのに。
それなのに、どうしてか。コイツらとは切っても切れない縁を感じてしまうのが不思議だった。
何をバカな、と自嘲した銀八の目にある名前が留まった。
志村新八の下にある、志村妙の名。

「…………」

妙とは教師と生徒の関係以上の事は何もない。二年前の告白など、忘れてしまったかのように。
妙が三年生になって担任が自分だと知ったとき、正直狼狽えた。これから毎日のように顔を合わせることになる。どう接するべきかわからなくなったのだ。
けれど、妙は変わらなかった。先生と生徒。妙が銀八の領域に踏みこむことは一切ない。拍子抜けしてしまうほどに。
だが、それは解っていたことだ。
志村妙がどんな人間なのかを知っているから。
だから銀八が妙のことを気にする必要などなく、妙の想いに気を遣う必要もない。彼女自身もそんなこと望んでいないのだ。それなのに。

「いやいや……違うって。そんなわけないじゃん」

妙は言っていた。
卒業したらまた告白する。だからその時、銀八に恋人がいなければ考えて欲しい、と。
その時が刻々と近づいていることへの、この何とも言えない漠然とした焦燥感。
焦燥感など馬鹿な話で、答えなど決まっている。
卒業しても、教師と生徒であった事実はなくならない。元教え子に手を出すなどあり得ない。
例えば、その教え子が結婚してもおかしくない年頃になっていて、偶然、本当にたまたま街中で再会してお茶などして、それがきっかけで。なんてことは、あり得るかもしれない。
ひとりの男として、女として。
だが、銀八の中ではやはりないことだ。そんなことにはならない。
もし妙に告白されても、きちんと、丁寧に、断る。それでいいはず。そう何度も思っていたはずなのだ。

「…………そ、そもそも、アイツがまだ俺のこと好きかわかんねーし?あの年頃の子には色々あるからね。しつこくアタックしてくる近藤に根負けしてるかもしれねーし……土方みたいな顔だけならまあまあな奴にときめくこともあるかもしれねーし?」

三年間という月日は、少女の心を変えるのに充分だろう。けれど、妙に限っては。
銀八は天井を見上げた。

「何で気にしちまうかねェ……」

ため息混じりに呟く銀八の瞳は淋しげに揺れていた。
スッと目を閉じ、次に開いた時にはいつもの死んだ魚のような目だった。
立ち上がった銀八は、国語準備室をあとにする。
今日は色々な考えが巡って駄目だと、やることは明日に回しさっさと帰って寝てしまうことにした。適当に体調不良を理由にしようかと、大きなあくびをしながら廊下を進む。やはり冷えると肩をすくめた。
寒さから無意識のうちに早足になり、長い廊下の端まで来ると話し声が聞こえてきた。
誰かいるのかと目を向ける。
階段の踊場。見上げた先に、二つの影。ひとりは女子生徒で、見覚えのあるポニーテールが揺れていて。銀八は思わず動きを止めた。
志村妙。と、誰だろうか。
自由登校にもかかわらず、進路が決まる決まらない関係なしにZ組の生徒は登校している。
妙もそのひとりだが、とっくに下校したはずだ。
もう一人は神楽か、九兵衛か。と思ったが、男の声が聞こえ新八かと覗き込もうと身体をそらせた。
突然、ガッと誰かが妙の肩を掴み、勢いに押されたように妙は一歩後ろにさがった。
銀八は反射的に階段を駆け上る。

「何してんだテメーは」

自分でも驚くほど怒気を帯びた声が出て、少しだけ焦って冷や汗が浮かんだ。

「銀八……先生……」

妙が銀八の白衣を握った。その手は微かに震えている。
銀八は眉根を寄せ、眼前を睨みつけた。

「未練がましいのは嫌われますよ、センセー」

睨んだ相手は、銀八の登場には驚いたようだが大して表情を変えることはなかった。
ただ真っ直ぐに妙を見つめている。
コイツ……、と銀八が舌打ちすると、ようやくそいつは目を合わせた。

「……どうしたんですか、坂田先生。そんな怖い顔して」
「何開き直ってんだロリコン野郎」
「ロリコンではありません。女子生徒が好きなわけではなく、志村が好きですから」
「だから、何開き直ってんだよ。せっかく見逃してやったってのに」

妙に迫っていたあの体育教師。あれ以来、何もしてこないと妙は言っていた。
銀八の目にもこれといった怪しい行動は映らなかった。
なのになぜ、今また。

「志村はもう卒業です」
「まだ卒業してねーだろーが。もうテメーはクビだクビ」
「構いません。教師であることが邪魔をしているのなら、すぐにやめます。卒業してしまっては一緒にいられませんし。ここまで待ったんですから、もういいじゃありませんか」
「近藤よりヤベーのがいたよ」

銀八は妙を庇うようにそっと自分の後ろに隠す。
妙に好意を寄せたということ以外は、わりと真面目な好青年だったというのに。これが本性なのか、背徳感でおかしくなったのか。
何にせよ、この男を妙に近づけさせるわけにはいかない。

「お前、他の生徒にも同じことしてんじゃねーだろうな……」
「失礼なこと言わないでくださいよ。いつだったか、生徒に告白されましたけど、俺が好きなのは志村です。浮気なんてあり得ません」
「志村も断っただろ」
「これから好きになってくれればいいので。それより坂田先生こそ何なんですか?毎回邪魔して……あなたも志村のことを?」
「俺は生徒に手を出すような愚かしいことはしねーよ」

ぎゅ。白衣が軽く引っ張られた。
見れば、妙は皺になってしまうほど強く白衣握りしめていた。
だが、その目は。あの夏に見た武士のような凛と美しい眼差しだった。

「……私は銀八先生が好きです」
「え?」
「お、おい志村……」
「私は銀八先生が好き!!だから、あなたを好きになる予定はありません!」

はっきりとそう告げた妙の口から吐息がこぼれる。

「……ふ、フフフ……坂田先生……偉そうなこと言って、結局俺と同類じゃないですか」
「一緒にすんな」
「そうです!銀八先生はあなたなんかと同じじゃないわ!銀八先生は私のこと……そんな風に見てないもの!」

妙の目にうっすらと涙が浮かんだ。
表情の変化はないものの、銀八は今までにないほど困惑していた。
そんな風に見ていない。その通りだ。その通りなのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
坂田銀八は志村妙をそんな風に見ていない。自分で言うのは良くて、妙が言うのは嫌。そんな感覚だった。

「教師を好きになるなら俺にすればいいじゃないか、志村」
「教師だから好きになったんじゃないわ!坂田銀八って人を好きになったんだもの!」
「志村」

銀八は妙を制した。
どう考えても、まともに言葉が通じる相手ではない。なぜこんな事になってしまったのか。何が原因で、何がいけなかったのだろう。
入学前の志村姉弟を助けたから?助けなければ、妙は銀八を好きになることはなかったかもしれない。
けれど、この体育教師は銀八の存在など関係なく妙に惚れていたはずだ。
もし、そうだったら。
考えて、止めた。
そんなことを考えても意味がない。

「取りあえず、コイツどーにかしねーと……」
「坂田先生……そろそろ返してくださいよ」
「返せって?まさか志村をか?日本語は正しく使えよ、大人」
「いつも甘いものばかり食べているあなたの方がもっと大人になるべきでは?」
「マジで話が噛み合わねーな。おい志村、ちょっと別の先生呼んでこい。あ、まともな先生な。間違っても黒い毛玉とか痔とか渋い巻き舌とか呼んでくんなよ」
「誰のこと言ってるんですか」
「わかんだろ」

銀八が妙に視線を向けた一瞬。ドンという鈍く激しい音。
隙をつかれた銀八は壁に押しつけられていた。喉を掴まれ、詰まった呼吸が僅かな隙間から零れる。
さすがは体育教師。素早い動きと的確な位置を取るのがうまいようだ。

「銀八先生!」

妙が悲鳴を上げた。
慌てて駆け寄ろうとする妙に銀八は、来るな、と腕を伸ばして制止する。

「……っは……ほん、と……クソヤローが生徒を導くとか……世も、末だ……な」

まあ、それは俺もだけど。心の中で付け足し、銀八は大きく身体を捻った。そのまま男の足を払いバランスを崩させる。喉元から手が離れ呼吸が戻り、銀八は息を吸い込んだ。体勢を整えようとして、しかし今度は胸ぐらを掴まれ身体は傾く。
悲鳴。反転。
階段から落ちたと理解した時には、身体は床に打ちつけられていた。
天井を仰ぐように、銀八はしばらく呆然とする。
じわじわとやってきた痛みに苦悶していると、震えた泣き声が聞こえてきた。
大きな目から零れ落ちる雫がとても美しいものに見えて、銀八はふっと笑みを浮かべる。

「先生……!銀八先生……!」
「俺ァ大丈夫だよ、志村……。ちと痛いがな……」
「ごめんなさい……!ごめんなさい先生……!」
「何でお前が謝るんだよ」

ごめんなさい、と何度も繰り返しながら妙は銀八の胸元にしがみついた。
そういえば、アイツは。顔を動かせば、気を失っているのか横で伸びていた。死んではいないと安堵し、今は志村の方かと、銀八は泣きじゃくる妙の頭を優しく撫でた。

****

笑い声と泣き声と。
寂しくて笑って、嬉しくて泣いて、次に進もうと生徒たちは高校を旅立っていく。
この先を見守ることができない教師は、その背を見送るだけ。

「先生」

呼ばれて、振り返る。
校門の方から聞こえてくる賑やかな声が遠くなった気がした。
暖かな日差しと柔らかな風がこの空間を包んだような錯覚に、銀八は笑う。

「よォ、志村。みんなのとこに行かなくていいのか」
「あとでも会えるもの。でも、先生にはいつでも会えるわけじゃないから」
「そうだな。……志村、改めて卒業おめでとう」
「ふふ、ありがとうございます」

この三年間、志村妙という人間を見てきた。
多く接してきたわけではなかったが、とても、よく理解できたと思う。

「ああ、そうだ。志村、あの元体育教師だけど」
「え?」
「結婚したんだと。相手はすげー年上の女らしい」
「へえ……人生何があるかわからないものね」
「そんなもんだよ、人生なんて」

何が起きるかわからない。考えが180度変わることだってある。

「ねえ、先生。先生は恋人はできましたか?」
「そうだったらいいんだけどな」
「ふふっ、残念ね。先生?」
「まったくだ。こんなにいい男なのになあ?」

ザァ、と春風が吹いた。
髪を揺らし、服を揺らし、口元がゆるむ。
妙は凛と背筋を伸ばした。武士のような研ぎ澄まされた雰囲気は、柔らかく色づいている。

「銀八先生。私、先生のことが好きです。大好きです。これから私のこと、女として見てください。先生と生徒ではなく、一人の男として私を見てください」

思えば、不思議な生徒だった。
出会った時からずっと、自分の決めたことを貫き通す心の強さや、常に誰かを思っている優しさに触れていた。
けれど、その本心はわからなくて、振り回されたりもして。
いつの間にか、心の中に志村妙の居場所ができていた。
それが生徒としてなのか、違うのかは深く考えることはしてこなかった。今日、この日までは。

「ったく、人生って本当にわかんねえもんだよ」

銀八は笑う。
紡いだ言葉は風に乗って舞い上がり、妙は美しくもあり、可愛らしさもある春の花のような笑顔を咲かせた。


end

夏から始まった銀八妙!
やっと完成……!だいぶ時間が……!
一途に想いながらも、相手は先生だからと線引きするような女の子なんてなかなか書けませんので楽しかった!お妙さんだからこそだなって!
銀八先生に恋人ができても、お妙さんは嫉妬したり羨んだりはしなかったと思います。だからこそできる線引きなんだろうなと。
続きを待っていてくださった方、ありがとうございます!満足いくものになってるか不安はありますが、楽しんで頂けたら幸いです。
お粗末さまでした!

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