百舌の速贄

ガタガタ、と音が聞こえた。
歯を磨いていた銀時は一瞬眉を寄せたが、直ぐにああそうかと思い出し、口を濯いで吐き出す。
タオルで拭きながらひょいと顔を覗かせると、思っていた人物が玄関にいて、しかし奇妙な格好になっていた。
そばに近づき、

「お帰りぐらい言ってやろうと思ったのに」

思わずため息がこぼれる。

「おい、お妙」

玄関の戸も閉めずにその場にうずくまっている妙に声をかけたが、どうやら眠ってしまっているらしい。
漂う酒のかおり、赤く染まった顔。相当飲んできたようだ。
銀時はもう一度ため息を吐くと、戸と鍵を閉め妙をそっと抱きかかえる。
いつもと違う化粧の仕方のせいか、寝顔が幼く見えた。

「……まだ十八だもんな……これが当然か」

もともと顔立ちは大人っぽく、整っていて美人だ。幼いのではなく、普段の化粧が大人目過ぎるのだろう。普段の、キャバ嬢としての化粧が。
今日は仕事は休みで、同僚たちと飲み会だと聞いている。
だからか、年相応の化粧は本来の美しさを際立たせておりよく似合っていた。

「う……ん……新、ちゃん……たまご……」

とんでもない寝言に、思わず悪寒が走った。
夢の中でもダークマターを生み出しているのだろうか。妙の夢に登場しているのだろう新八につい手を合わせたくなる。

「んー……だめよ神楽ちゃん……それは……食べられな……こっちの……たまご、やき……」
「どんな夢だよまったく……」

無理やり食べさせられているのかもしれないと、神楽が必死にダークマター回避しようとする姿が浮かんだ。
銀時と妙の話のほとんどは新八と神楽のことで、それは当然と言えば当然だが、お互いの話をする事はそんなになかったかもしれないと思い当たったことが不思議だった。
妙自身の話は、むしろ新八から聞いているし、神楽もアネゴがどうだと話しているせいで、本人から聞いたわけでもないのに知っていたりする。それは、妙もきっと同じだろう。新八が銀時の愚痴を妙に話している姿が容易に想像できて、自嘲ともとれる笑みを浮かべた。
気にしたことなどなかったが、考えてみると不思議な関係に思える。
妙の部屋にたどり着いた銀時は、ハッとして思わず動きを止めた。
断りもなく妙の部屋に入れば殺されるのでは。そんな考えが過ぎったのだ。
だが起きる気配はないし、すでに寝ている新八を起こしにいくわけにもいかない。

「ん?そういや神楽は……」

妙の部屋で寝ると言っていたような。
恐る恐る、襖を開ける。
妙の布団の横に神楽の寝顔が見えて、ゴクリと息を呑む。

「か、神楽ちゃーん……」

小声で呼んでみたが、ぐっすり眠っているようで反応はない。
銀時はそっと妙の部屋に足を踏み入れた。
神楽が用意してくれたのだろう布団に横たわらせ、ひと仕事終えたかのように額の汗を拭う。
だが実際はまだ終えてはいない。
苦しそうな表情を浮かべ、身じろぎしている妙を見下ろし目頭を押さえる。
帯がきついのだろう。
下手をすれば妙だけでなく、神楽にも殺される。おまけに騒ぎを聞いて駆けつけた新八にも。
しかし、放っておくわけにもいかない。
銀時は帯に手を伸ばすと、指先に神経を集中させた。
器用な方で良かったとこの時ほど思ったことはないだろう。
妙が違和感で目を覚ましてしまう前に。衣ずれの音で神楽が起きてしまう前に。銀時は手早く帯を解いていった。

「よし……」

妙の表情が緩んだことを確認し、ホッと息をつく。
酔った妙自身が帯を解いたか、神楽が寝ぼけながら解いたことにしても誤魔化せるだろう。
帯をそっと枕元に置きながら、早々に立ち去ろうと腰をあげる。

「ん〜……ぎんさ……」

寝返りを打った妙が銀時の腰に抱きついた。

「え、ちょ……」
「男なら黙って食えや!!」

妙が身体を捻ったことで銀時は勢いよく押し倒された。
背中を強打したが、痛いと思う間もなく妙に馬乗りにされ首の後ろに腕が回される。
ぐっと上半身を締められ、下半身もしっかりと足で押さえつけられ身動きができない。

「た、縦四方固めだとォ……ゲフッ……!」

絵ヅラが大変まずい、と銀時は慌てて神楽を見る。起きる気配はないが、あの目がいつ開かれるかと思うと気が気でない。
何とか逃れようともがくが、もがけばもがくほど。そして、動いた分だけ妙の着物もずれていくのだ。
帯など放っておけばよかったと思ってもどうにもならない。
いつになく密着しているせいか、女特有の柔らかさを感じ汗が伝った。
酒のかおりが混じった吐息が耳元をくすぐり、何かが込み上げるような奇妙な気分になる。

「銀……さ……」

また卵焼きを食わされているのか。
妙の夢の中の自分に同情しつつも、今は現実の自分をどうにかすることを考えることに専念するべきだろう。

「……すき……」

思考は簡単に止まった。
妙の身体からフッと力が抜け、銀時の上で可愛らしい寝息をたてている。
銀時はゆっくりと上体を起こした。
すやすやと膝の上で眠る妙の顔を見つめ、

「…………いやいやいやいや。コレはアレだよ……ほら……すき焼きとか、何かそんなオチだろコレ。卵とか言ってたし?もしくは隙だらけとか言って夢の中の俺投げられただけかもしれないし?だって縦四方固めだもの。だから違うんだよ神楽ちゃん?」

よだれを垂らしている神楽に言い訳しながら、銀時はそっと妙の身体を布団の上に戻す。
ふわふわとした気持ちのまま部屋を出て後ろ手で襖を閉めた。
ギシギシと軋む廊下を進み、志村家に泊まる時に使っている客間へ向かう。
新八が用意してくれた皺のないシーツに正座すると頭を抱えた。
何を。意識。しているのか。

「ドキドキしてるとか何コレ何俺?青春真っ盛りの中学生じゃねーっつーのに。自分の年齢考えろ俺!相手はあのお妙だぞゴリラ女だぞ金にがめつい腹黒なんだって落ち着け落ち着いて俺の心臓……!」

赤くなった顔を押さえ、モヤモヤした心を払うように毛布にくるまった。

****

「おはようございます、銀さん。自分で起きてくるなんて珍しいですね」
「あー……」
「ご飯はもう少し待ってください。あとちょっとでお味噌汁できますから」
「あー……」

忙しなく動いている新八に適当に返事を返しながら、銀時はよろよろと居間へと向かった。
まったく眠れなかった。
銀時は重い頭を押さえながら唸る。
昨夜の妙の言葉、抱きつかれた時の感触が忘れられず悶々としていただなんて。
馬鹿か俺はと何度思ったか。それでも離れなかったのだ。妙の声も言葉も体温も。

「何唸ってんですか、銀さん」

ことりとお椀が目の前に置かれた。
味噌汁のいい匂いと湯気が食欲をそそり手を伸ばす。

「……新八」
「はい?」
「お、お妙は?」
「姉上?姉上なら……」
「私が何です?」

持ち上げたお椀を落としそうになった。
あれだけ酔っ払っていたのに、二日酔いもないのかケロリとした妙が銀時の顔を覗きこむ。
思わず逸らす目。追いかけてくる顔。
おかしな攻防が繰り広げられる中、ぱたぱたと駆けてきた神楽が、座ると同時にいただきますを叫んでご飯を口の中にかきこんだ。
銀時は妙の視線をかわしながら味噌汁を啜ると、諦めたのか妙はため息をこぼし、おかわりを所望する神楽の茶碗にご飯を盛り始める。
ごくんとご飯を飲み下した神楽が、

「そういえば昨日」

きゅうりの漬け物を口に運びながら喋る。

「銀ちゃんとアネゴがプロレスして」
「ブフォ!!」
「わっ!ちょ、銀さん!?」

味噌汁を思いきり噴き出した銀時。
新八がふきんを持ってくるが、そんなことより。

「か、神楽ちゃん……?おま、まさか起き……」
「アネゴの華麗な横四方固めが炸裂ネ!」
「いやあれ横じゃなくて縦!」
「え?縦?縦だか横だか上も下も右も左も違いがわかんないアル。というか銀ちゃん。何で私の夢のことわかるアルか」
「え、夢……?」
「あんまし覚えてないけど、銀ちゃんがアネゴ怒らせたのは間違いないアル」
「ああ……そう……」

ホッと安堵のため息がこぼれた。
だが手放しで喜ぶことはできない。神楽がそんな夢を見たのは、朧気に昨夜のことを見ていたからかもしれないのだから。
下手にこの事を刺激するのはよくないだろう。
銀時はわざとらしく咳払いすると、半熟の目玉焼きの黄身を潰している新八に顔を向ける。

「新八、今日は仕事でも探しにいくか?」
「は?どうしたんですか、急に……」
「いや〜……たまには自分から探しに行くことも大事かなって。人間怠けてるばかりじゃいられないからな」
「何かあったんですか?さっきから何か変ですけど」
「変!?何を言ってるのかなー新八君は!」
「というか、忘れたんですか?今日のお仕事。何の為にウチに泊まったんですか」

新八のジト目で思い出した。
今日はこの家の屋根の修理に来たことに。
妙と一緒にいるのが気まずい。だから早くここから去りたいのに。
ちらりと妙を見れば、妙は銀時を凝視していて慌てて目を逸らした。
本当に、なぜ意識しているのだろうか。ただの寝言ひとつにどうしてここまで。
銀時は雑念を払うようにご飯を一気にかきこんだ。
その横で、箸を置いた新八が腰を上げる。

「さて、と……。神楽ちゃん、定春の散歩行くよね?荷物多そうだから、買い物付き合って欲しいんだけど」
「酢昆布みっつネ」
「え、お前ら買い物行くの?なら俺も……」
「銀さんは先に屋根の修理始めてください」
「いや、俺が行くって。屋根はほら、神楽お前がやれ。定春は俺が責任もって散歩させとくからよ」
「ウチの屋根を壊す気ですか銀さん」
「おいダメガネ。それどういう意味ネ」

神楽が新八の胸ぐらを掴んだ。
すったもんだの末、結局新八と神楽が定春の散歩と買い物、銀時が先に屋根の修理に取りかかることになった。
この際仕方がない、と銀時は妙を避けるようにさっさと屋根に上がっていく。
その時、妙の「銀さん」と呼ぶ声が聞こえたが、聞こえないふりをした。
いつまでもこんな態度をしていられない。そんなこと、解っているのに。
銀時は白い雲が浮かぶ空を見上げた。
なぜ、妙はあんな寝言を呟いたのだろう。
知らなければ、聞いていなければ。
銀時が意識し過ぎているだけなのは明らかで「すき」が「好き」なのかはわからない。
それでも。

「銀さん!」
「どわっ!?」

突然屋根の上に顔を出した妙に驚き、銀時は足を滑らせた。
そのまま転がるように地面へ真っ逆さま。
ドシーンと鈍い音が響き、砂煙が舞う。
梯子を降りてきた妙が目を丸くさせながら銀時に駆け寄った。

「銀さん、大丈夫ですか?」
「……お前、急に声かけんな。驚くだろーが」
「さっきからずっと呼んでたわよ。気づかない貴方が悪いんでしょう」

打ちつけた腰を撫でながらゆっくりと起き上がる銀時の頭に何かが被せられた。

「ヘルメットです。落ちたら危ないと思って声かけてたのに。被せる前に落ちちゃうなんて」
「そりゃ悪かったな」

服についた砂を払いながら銀時は妙から視線を逸らす。

「……銀さん」
「あ?」
「私、昨日帰ってきてからの記憶がないんです」
「へえ、そう」
「私、銀さんに何かしました?」
「…………」

何かしたかと訊かれれば、寝技かけられたと答えるしかないけれども。

「朝、起きたら帯が枕元にあったんです。銀さんでしょう?」
「え!?あ、いや……」
「別に怒ったりしませんよ。横に神楽ちゃんがいたし、銀さんが私に何かやましい事するわけありませんものね」
「ああ……う、ん……」

何だ、怒らないのか。とその事に関しては安堵するが、もちろんその事で妙を避けようとしていたわけではない。
銀時はヘルメットを深く被った。
どうしたものか。
このまま妙を避け続けるわけにもいかない。

「あ、銀さん、見てください」
「え?」

妙が指を差す先。
一羽の鳥が植木の枝に止まった。
百舌だ。その枝に捕まえた虫を器用に突き刺している。
そしてまたふわりと飛び立っていった。

「はや贄か……」
「不思議ですよね。あんな風に餌を枝に突き刺して、食べるのかと思えばずっと放置していたり」
「まあ、習性だしな」
「そうね。人間の方が無意味なことするものですし、百舌から見たら私たちの方が不可思議かもしれませんね」

ふふっ、と妙は軽やかな笑い声をあげた。いつもの妙の笑顔だ。
銀時の頬も自然とゆるむ。
何となく心が軽くすっきりとした気持ちになって、妙の顔を見つめた。
小首を傾げる妙は本当にいつもの妙で。
昨夜のことは夢だったのではないかと思えるほどだ。
銀時はほんの少し顔を近づけた。

「……ぎ、銀さん……?」

戸惑う妙の顔には朱が散っていて、

「……悪ィ、一睡もできなかったからな。ちょっと眩んだ」
「そ、そうですか……。気をつけてくださいよ……」

しおらしくなってしまったのは、きっとそういう事で、その姿が可愛く見えたのも、きっとそういう事。
けれど、変わらずにいるのは。
銀時は空を見上げた。
先ほど飛び立ったのとは違う百舌が頭上を飛んでいる。
どうしてかなんて意味を求めることなんてないのかもしれない。
ただ素直に、心に従えばいい。今、妙を見たときに感じたことがすべてなのだろうから。

「このまま、こうしていたいって事なんだろうな……」

銀時が呟くと、妙は不思議そうに小さく首を傾ける。
そんな些細な仕草にも心は音を立てるようで。銀時はフッと笑った。
近づけるのに、近づこうとはしないのは、本能的なものなのだろう。

「早く屋根の修理終わらせたいって言ったんだよ」


end

どうしても他の話と似通ってしまうなー。
日常話大好きなのに妄想は貧弱だから……?
昔から言われている百舌のはや贄は見たことありませんが(見たくないけど)実は近藤さんがはや贄立てられるギャグにしようかと思って止めたというどーでもいい裏話。竹槍ルームで寝てろ的な。
ほのぼの日常にしといて良かった(笑)
お粗末さまでした!

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