この瞬間、このために

よう、と聞き慣れた声がした。
庭を掃いていた妙は手を止め、顔を上げる。
あら銀さん。そう口にしようとして、飲み込んだ。
にへら、といつもみたいにだらしなく笑う銀時の白い着流しは真っ赤で、白い髪も真っ赤で。
肩の傷を塞いでいる手も腕も傷だらけだった。
妙は箒をギュッと握ると、縁側を指差す。
そこで待ってて、と。
おうと頷いた銀時は、イテテと呟きながら腰をおろした。
ぽたり、血が落ちる。
妙は部屋に上がると、すぐ手の届く所にある道具箱を取った。
ケガをして帰ってくる事が多い万事屋のために、すぐ対応できるようにとタオルやら着替えやらまで一式まとめておいたのが一週間前。
まさかこんなに早く出番がくるなんて。
妙はそっと息を吐いた。

「銀さん。新ちゃんと神楽ちゃんは?」
「依頼人のとこ。俺はケガしてるから、お前のとこ行けって先に帰された」
「そうなの。……あら、どうして私のとこ?普通病院じゃないの?」
「知らねーよ。アイツらに聞け」

とても傷が深い。
というわけではないけれど。
医者でもない妙では応急処置程度しかできない。
ここまで歩いてこれる元気があるなら、病院に向かえばいいのに。
妙は心の中でぼやきながら、銀時の血を拭った。
あ、そうだわ。
妙は思い出したようにテーブルに手を伸ばす。
ぺこ、とペットボトルが音を鳴らした。

「はい、銀さん。お水」
「ああ、うん……」
「私の飲みかけですけど、別に構いませんよね?」
「構わねーけど……ずいぶん都合よく水なんて飲んでたんだな。いつもお茶ばっか飲んでるくせに」
「……?いいじゃないですか。お水は体にいいんですよ」
「そうだけど」

確かに、普段は飲まないミネラルウォーター。
蛇口を捻れば出てくる水を、わざわざ買って飲むほど金銭的に余裕はない。
だから買わない、というわけではなく。
コンビニ行って、喉が渇いたから飲み物買おうとミネラルウォーターを手に取る事だってあるだろう。
お茶だったかもしれないし、ジュースだったかもしれない。
たまたまミネラルウォーターだったというだけで。
ふーん、と気になるような態度を取る銀時に、妙は怪訝な表情を浮かべた。

「…………」
「…………」

変な空気、変な沈黙。
それを作り出しているのは銀時だ。
何だろうかと思うも、もしかしたらこのケガが関わっている事かもしれない。だとしたら、簡単に踏み込んではいけないだろう。
妙にできる事は、沈黙するか楽しい話題を出すかのどちらかで。
楽しい話題は浮かばなかったから、沈黙するしかなくて。
妙は包帯を巻き終えると、ふー、と長い息を吐いた。

「……銀さん?」
「…………」

掴まれた手首。
なに、と訊ねようとしたが、銀時の真っ直ぐな視線のせいで言葉は出てこなかった。
いつになく真面目な顔。
そんなに大変な依頼だったのだろうか。
冷や汗が伝う。

「見てわかると思うけど、ケガ……そんなに大したもんじゃねーから」
「え……?あ、そうですね……でも、あとで病院には行ってくださいね」
「うん」
「……あの、銀さん?手……」

離して、と言ったのに。
ますます強く握られた。
様子がおかしい。
もしかしたら、ケガ以上に傷ついた事でもあったのかもしれない。
見ることも、触れることもできない心の傷。
それは、私では応急処置もできない傷なのかしら。
深い深い、傷。
妙は不安で顔を歪めた。

「……んな顔、すんなよ」
「銀、さん……?」

銀時のもう片方の手が、妙の頬に触れる。
優しい手つき。
妙の瞳が揺らいだ。

「お前に泣かれるのが、一番つれぇからな」

そう言って、目尻を拭われる。
妙は、あれ?と首を傾げた。
何かがおかしい。
ちょっと待って、何を言っているの。
口にしたつもりだが、ぱくぱくと動くだけで言葉にならない。
泣きそうなのは、銀さんの方なんだけど。
妙は深呼吸をすると、言葉を発した。

「……あの……銀さん……」
「ん?」
「私、泣いてないわ」
「無理すんなって。涙のあと」

ぐしぐし、拭われる。
おかしい。やっぱり何かおかしい。
混乱する中、妙はハッと思い出した。

「……銀さん」
「うん?」
「私が泣いたの、お昼前なの」
「うん」
「その……ドラマで…………」
「…………え?」
「再放送だったんだけど……感動して……」
「…………は……ハアァァァァ!?え、ちょっと待て!え、ドラマの再放送ぅぅぅ!?俺のために泣いてたんじゃねーの!?」
「何でそうなるんですか!」

変だ変だと思っていたら。
なぜそんな勘違いをしたのだろう。
泣いてる暇などなかったというのに。
銀時は掴んでいた妙の手をようやく離した。

「俺がケガしてここに来る事……知ってたんじゃねーの……?」
「知りませんよ。知るわけないじゃない」
「だって、すぐ道具用意したし、水まであったし!準備して待ってたんじゃ……!」
「それは、ケガをして帰ってくる事が多いから、すぐ手当てできるよう一式まとめておいたんです。一週間前に。ミネラルウォーターは本当にたまたまよ。美容効果だってあるし……」
「たまたまァ!?」
「そうですよ!だいたい、私が銀さんがケガしてここに来る事なんてわかるわけないじゃない!依頼の事だって何も聞いてないんだから!」

銀時はうっと唸った。
だって、新八と神楽がお前のとこ行けって言うからてっきり。
目を泳がせる銀時。 
どうやら、新八と神楽が妙に銀時のケガを伝えたのだと勘違いしていたらしい。
妙は呆れたように眉尻を下げた。

「全部俺の勘違い……何それ、俺めちゃくちゃ恥ずかしいヤツじゃん……!穴掘って埋まりたい……!」

銀時は真っ赤になった顔を手で覆った。
恥ずかしい、恥ずかしい、と。

「……ぷっ、ふふ……っ、やだ銀さん……!ふふ、フフフフフ……!」
「笑うなコノヤロー!!本当恥ずかしいんだからな!とんでもなく恥ずかしいんだぞバカヤロー!!」
「だって……!フフフっ!」

妙は声をあげて笑った。
こんなに可笑しいのは久しぶりかもしれない。
銀時の顔は茹で蛸のように真っ赤で、そんな彼を見るのは初めてだ。
一層笑いが濃くなる。
フン、と拗ねたように顔を背ける銀時が可愛くて、妙はそっと銀時の頬に触れた。
先ほど銀時がしてくれたように。

「笑い話でよかったわ。あなたが無事でいてくれたから、こうして笑えるのよ」
「全然よくねーよ……とんでもねー赤っ恥だよ」
「そうね……。でも、不安になったのは本当よ。だから、銀さんが無事で……すごく安心しました」
「…………」

ちゃんと病院行ってくださいね?
微笑むと、銀時はうんと小さく頷いた。

「ちくしょー……やっぱりめちゃくちゃ恥ずかしい……!」
「まだ言いますか」
「だってよー……そんな偶然ねーだろ……」
「偶然なんだから、仕方ないわ。あ、でも……この道具箱用意してたのはこんな時のためですし、必然と言えばそうよね」
「なるべくしてなったってか」
「そうね。ドラマの再放送を観たのも、感動して泣いたのも、ミネラルウォーターを買ったのも。もしかしたら、ね」

今この瞬間、このために。
彼がそっと寄り添ってくる事など、滅多にないのだから。
妙は銀時に気づかれないよう、こっそり笑った。


「銀さーん!」
「銀ちゃん!」

バタバタと廊下を走る音に、銀時は顔をしかめた。
そもそも、紛らわしい言い方をした新八と神楽のせいだと。
襖を勢いよく開けた二人に向かって、銀時は盛大に叫んだ。
お妙のとこに行けと言うから。お前らのせいで、とんでもない恥をかいたと。

「え?銀さんが姉上に今回の依頼の事話したんじゃないんですか?」
「銀ちゃん言ってたヨ。こんなケガしたら、またお妙にどやされるって。私たちてっきりアネゴに話したんだと思ってたアル。だから早くアネゴのとこ行って無事だって報告させようとしたネ」

二人は二人で、勘違いをしていたらしく。
銀時は唖然とした。
何かあったのかと顔を見合わせる新八と神楽。
結局のところ、やっぱり。

「なるべくしてなったのね」

チクショー!と頭を抱える銀時がおかしくて、再び妙の中に笑いが込み上げた。
思わず噴き出すと、新八と神楽が興味津々な目で妙を見つめてくる。
やめろ、話すな。
銀時の叫びもむなしく。
二人の盛大な笑い声が屋敷中にひろがった。


end


銀さんがすげぇ真面目な顔してたから笑える。
四周年企画のアンケートで、ちょっとだけお妙さんに甘える銀さんが好き、と仰った方がいらして。
ちょっとってのがね。私の中で弾けまして、それイイ!とこの話書き出したんですけど、全然違う方向に行ってしまったっていう(笑)
甘えてないし!だが楽しかった!赤面銀さん書くのが!
お粗末さまでした!

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