支えになれる嬉しさ
「ピカ!!」
ピカチュウが声を張り上げた。
宙に舞い、地面へ落ちる様はまるでスローモーションのように見えて。
「トゲピー!!」
カスミの悲痛な叫びが響く。
トゲピーとの距離はカスミよりも地面の方が近い。
「でんこうせっか!」
サトシの指示でピカチュウは勢いよく走り出し、ギリギリのところでトゲピーを受けとめた。
****
「う〜ん……」
「タケシ……どうだ?」
両手を胸の前で祈るように握るカスミの代わりにサトシが問う。
タケシは眉間に皺を寄せ、すっとカスミに目を向けた。
「外傷はそれほどではないが、精神的にショックが大きいようだな……」
「そ、そんな……!」
「ポケモンセンターはこの辺にはないし……。今はここで安静にさせよう」
「うん……」
カスミは殻に閉じこもってしまったトゲピーの側に座った。
そっと撫でるように触れても、何の反応もない。
じわりと、エメラルドが水の膜を張り揺れる。
小さな肩も震えていて、サトシは何か声をかけようと手を伸ばすが、タケシがそれを制した。
「今は下手に声をかけない方がいい。カスミを傷つけるかもしれないからな」
「……オレがカスミを傷つけるって?」
サトシがムッと眉を寄せると、タケシは困ったように苦笑した。
「そうじゃない。きっと今カスミは自分を責めているだろう? お前のせいじゃないと言ったところで、慰めにもならないんだ」
「そうかもしれない……けど、だったら尚更……」
「そうだな。でも、今はそっとしておいてやれ」
ポンと肩を叩かれ、サトシは黙ってしまった。
こんな時こそ、仲間である自分たちがどうにかしなければいけないのに。
けれどタケシの言うように、どんな言葉も彼女を傷つけてしまうだけのような気もする。
とても、歯痒い。
「ピカ……」
「ピカチュウ……」
耳をしゅんと下げ、じっとトゲピーを見つめるピカチュウの頭をサトシは優しく撫でた。
ピカチュウもまた、自分を責めているのだろう。
「お前は悪くないよ……。ちゃんと、受けとめたじゃないか」
「ピカピ……」
「大丈夫。トゲピーは……大丈夫だから」
ピカチュウに、そして自分に言い聞かせる。
胸がズキズキ痛むけれど、トゲピーが一番辛い思いをしているのだ。
自分だけは弱気にはなってはいけない。
ピカチュウとカスミのためにも。
「ピカチュウ、お前はトゲピーとカスミのそばにいてやってくれ」
サトシの態度に元気づけられたのか、ピカチュウは力強く頷いた。
すぐさまトゲピーの元に走り、何か語りかけるように寄り添う。
サトシはそれをぼんやりと眺めていた。
オレにできることって、本当に何もないんだな。
思って、フルフルと頭を振る。
自分にできることも、きっとあるはずだ。
気合いを入れ直し、野営の準備をしているタケシの手伝いをすることにした。
「大丈夫か?」
「何がだよ。心配しなきゃいけないのはオレじゃなくて、あっちだろ」
両手で鍋を持ち肩をすくめるタケシを横目に、サトシはてきぱきと薪を並べていく。
今できることは、これくらいしかない。
サトシは、普段タケシに任せっぱなしだった事も進んでやった。
精一杯に。
すると、不意にくいと服の裾を引かれた。
「クパァ?」
「コダック……」
じっと見上げてくるつぶらな(?)瞳に思わずたじろぐ。
また勝手に出てきたのかと苦笑すれば、コダックは愛くるしく小首を傾げた。
カスミではなくサトシの所に来たのは、彼なりに心配しているという事だろうか。
サトシはふと微笑むようにコダックの頭を撫でた。
「今日はカスミのやつ、お前に構ってやれないんだ。淋しいかもしれないけど、わかってやってくれな」
わかったのか、わかっていないのか。
コダックは両手を高くあげ、そして頭を押さえ首を傾けた。
どんな時でも彼らしい様子は見ていて安心する。
サトシはよしと頬を叩き、作業を再開した。
****
頭上で鳴いていたヤミカラスが通り過ぎ、しんと静寂が訪れた。
カスミは膝に埋めていた顔をあげ、トゲピーに目を向ける。
しかし、殻に閉じこもったままで何ひとつ変化はない。
自然とため息がもれた。
「ピカチュピ、ピカピーカ」
ピカチュウがカスミの腕にそっと触れる。
カスミはほんの少し、表情を緩めた。
ずっとトゲピーに寄り添い話しかけ、カスミまで元気づけようと気をつかっている。
心優しい彼もまた、その心を痛めているだろうに。
「ありがとう、ピカチュウ……。あたしは大丈夫よ」
にこりと笑ってみせると、少し安心したのかピカチュウはこくんと頷いた。
再びトゲピーを抱えるように座り、何かを語りかける。
それはまるで、
「歌……?」
リズムがあるわけではないが、旋律のようにも聞こえる。
ポケモンたちにしかわからない何かだろうか。
その心地いい音がトゲピーに届くよう、カスミはそっと祈った。
「カスミ」
突然、だが相手を気遣うような声音がカスミを呼んだ。
振り向けば、やはり気遣っているような距離感。
近すぎず、離れすぎず。
ちょうどいい距離を保つ彼はさすがだ。
「タケシ……」
「飯、できたぞ。今日はサトシも色々手伝ってくれたんだ。少しは食べろよ?」
「サトシが……。うん、大丈夫。食べられる」
「そうか……。何、お腹がすけばトゲピーも顔を出すさ」
カスミが頷くと、一体いつ出てきたのか。コダックがトテトテと走ってくるのが見えた。
「本当、しょーがないんだから。ピカチュウも、ご飯食べましょ?」
ピカチュウとトゲピーを抱きかかえ、カスミは暖かな火の元へ歩んだ。
****
「星が綺麗ね〜……」
「ピーカ〜……」
カスミとピカチュウがじっと見上げる空を、サトシも追うように見上げた。
空気が澄んでいるおかげで、天の川も見える。
一見元気になったようなカスミとピカチュウだが、本当は無理をしているのだろう。
トゲピーはぴくりとも動かないままだ。
明日の朝早く出発し、一番近いポケモンセンターに向かう予定だが、それまでに少しでも回復してほしいと思うのも当然。
心の中では焦っているに違いなかった。
「…………」
「サトシ……?」
「ピカピ……」
ドカリとカスミの隣に座った。
そっとしとけとタケシに言われたが、そばに居たかった。
かける言葉も見つからないが、そばに居たいのだ。
「……少し休め。トゲピーならオレがみててやるから……」
「……ありがと、サトシ。でも、サトシも疲れてるでしょ? タケシの手伝いなんて慣れないことするから」
「うっ……タケシめ、余計なことを……」
「ふふ、ありがとう」
「うん……。まあ、後片付けは全部タケシに任せちゃったけど……」
忙しなく動いている姿が視界に入る。
ごめんと心の中でタケシに謝りながら、サトシはカスミが抱いているトゲピーにそっと触れた。
いつも無邪気に笑っている姿がやけに懐かしく感じる。
「あんなに星が綺麗に見えるんだ。流れ星になってもいいのにな。そしたら、トゲピーを元気にしてくれって願うのに」
「サトシ……。珍しくロマンチックな事言うわね」
「……別にいいだろ」
「うん……。お星さまに願ってトゲピーが元気になるなら、いくらだって願うわ……」
「ピカ……」
けれど、星は流れないし願いも叶えてはくれない。
願ったところで、気休めにしかならないのだ。
「本当に叶うなら、みんな不幸にはならないもんな……」
辛いも悲しいも、嬉しいも楽しいも。
廻っているのが当然だ。
バトルに勝ち負けがあるように。
「トゲピー自身が乗り越えなきゃいけないものなんだろうな……」
「ピィカ……?」
「そう、ね……」
「で、それを支えてやるのがカスミとピカチュウだ」
サトシが微笑むと、カスミは大きく目を見開き、ピカチュウは不思議そうにサトシを見上げた。
これは、タケシの手伝いをしている時に思ったことだった。
自分にできることは何なのか。
目の前のものを精一杯やったのは、カスミとピカチュウのためだ。
心を痛める二人にしてやれること、それは直接的でも間接的でも、支えてやることなんだろう。
「オレがカスミとピカチュウをしっかり支えてやるから、二人はトゲピーを支えてやればいい」
「サトシ……」
「ピカピ……」
ほろり、カスミの目から大粒の涙が流れ落ちた。
「え、あ、えっと……泣いてる女の子はどう支えていいか、わかんない、んだけど……その……」
「いいの、ありがとう……サトシ。……トゲピー聞いた……? サトシが支えてくれるって。だからあたしは頑張れるから、トゲピーも、頑張ろう……?」
「ピカチュ!」
ほんの少しだけ、トゲピーが身体を揺らしたように見えた。
今、支えになれたのだろうか?
そう思うと、心が少し温かかった。
「いやいや、いい話で〜」
突如この場にない声がしたかと思えば、がさりと茂みからみっつの影が現れた。
手を擦り合わせ、ニコニコと取り繕うような態度でこちらに近づいてきたのは、
「ロケット団!?」
本日二回目の彼らだった。
サトシの脳内で先ほどの光景がフラッシュバックする。
それはカスミもピカチュウも同じなのか、ふるりと怒りで肩が揺れていた。
サトシはそんな二人を庇うように一歩前に出る。
「何しに来たんだお前たち!」
「いやねぇ、トゲピーちゃんの具合はどうかな〜? って気になりましてね〜ハイ」
「ふざけるな! お前らのせいでトゲピーはこうなったんだぞ!」
「な、何よー! だいたい、アンタがトゲピーから目を離すのがいけないんじゃない! いつもいつも、あたしたちの邪魔してメカを爆発させてくれちゃって! それにトゲピーが勝手に巻き込まれたんじゃない! 人のせいにするんじゃないわよ!」
まくし立てるようなムサシの言葉に、カスミは震えながらモンスターボールを握った。
さっき見せた涙とは違う、怒りに満ちた涙が頬を伝う。
ピカチュウも毛を逆立て、身体の周りに電気を走らせた。
カスミがモンスターボールを投げようと手を振り上げると、それを止めるように立ちはだかった一匹のポケモン。
「クァ!」
「こ、コダック!?」
「ピカ!?」
いつものとぼけた雰囲気とは違うコダックが、ロケット団を睨みつけていた。
青白い光を放っている。
「まさか……ねんりき?」
痛めつけたわけでもないのに。
全員が呆けてしまった中、いち早く我にかえったコジロウが慌てて弁解を始めた。
「まてまて! 話を聞いてくれ! 俺たちこれを届けにきたんだ!」
「はっ、そうニャ! トゲピーのためにわざわざ取ってきたんだニャ!」
ずいとニャースがサトシに差し出したのは見慣れない花。
罠か何かだろうかと慎重に受け取ると、ふわりといい香りが鼻先を掠めていった。
サトシは訝しげにロケット団を見上げる。
すると、にへらと笑い返され、気が抜けたように息を吐き出してしまった。
「それ、いい香りだろ? 心を落ち着かせリラックス状態にしてくれるらしい」
「ストレス解消、悩みも解決。すんごく貴重な花なんだニャ」
「それでトゲピーを癒してあげることね」
嘘を言っているようには見えない。
彼らなりの気遣いなのだろうか。
そんな貴重な花なら、いい儲け話になるだろうに。
サトシがお礼を言おうと口を開けた瞬間。
「クパァ!!」
「あ……」
コダックのねんりきによって、お馴染みの台詞を吐きながら夜空へと消えていってしまった。
「あいつら……星になったな……。これでトゲピーが良くなったら、願い叶ったことになるのかな?」
「変な冗談やめてよ。あんなお星さまに願うくらいなら、気休めでもあの夜空に瞬く星に願うわ」
「ん〜……でも、試す価値はありそうだぜ。本当にいい香りだし」
トゲピーのそばにそっと花を置いた。
ピカチュウがその香りを嗅ぎ、嬉しそうに目を細める。
トゲピーを癒す効果は期待できるかもしれない。
「クパァ?」
「あ、ダメよコダック。その花はトゲピーのだから」
「……クパァ?」
「……ありがとね、コダック」
褒められたことが嬉しいのか、コダックはカスミに擦り寄った。
やはりカスミの事を心配していたらしい。
サトシはその様子にふと微笑んだ。
明日になったら、トゲピーが元気な姿を見せてくれるような、そんな気がした。
****
「ピピピー!!」
ピカチュウの嬉しそうな声が聞こえ、サトシはパチリと目を開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。
夜は明け、朝日が木々の間をすり抜けキラキラ光っていた。
「ピカチュウ……? ん……あ、おい! カスミ!」
サトシは肩に寄りかかって眠っていたカスミを強く揺すった。
寝ぼけ眼を擦るカスミに、ほらと指差す。
「あ……トゲピー!?」
ピカチュウと手を繋ぎ、嬉しそうに踊っているトゲピーがいた。
何も変わらない、無邪気で純粋無垢な笑顔が朝日に照らされている。
カスミは跳ね起きて、トゲピーをギュッと抱きしめた。
「トゲピー! ごめんね、ごめんね……! よかった……よかった……!」
「ピカピーカァ……」
ぽろぽろと涙が地に落ちていく。
トゲピーはもう大丈夫そうだと、サトシはホッと胸を撫で下ろした。
昨日の事など何も知らないような雰囲気に思わず拍子抜けしてしまうほどだ。
「トゲピー良くなったみたいだな」
「タケシ……」
「サトシとカスミとピカチュウの心が、トゲピーに届いたんだろう。きっとまた、一回り成長したと思うぞ。トゲピーも、お前たちも」
「うん……。だったらいいな」
サトシは昨夜と同じように澄んでいる空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。
よし、とカスミたちの元に駆け寄る。
「よかったな、トゲピー」
「チョゲチョゲ!」
頭を撫でれば、とても嬉しそうに笑う。
「よかったな。カスミ、ピカチュウ」
「ピカチュ!」
「うん! サトシ、ピカチュウ、本当にありがとう!」
涙を浮かべながら笑うカスミの表情は、今までに見たこともないようなもので。
仲間として、支えてやることができたのだと実感した。
それは妙にこそばゆく、ちょっぴり恥ずかしいものだったけれど。
「さ、早く出発しようぜ!」
とてもとても嬉しいもので、幸せなことだと思った。
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サトカスピカトゲと表記しましたが、あまりカップリング意識のない話ですねこれは。
無印を思い浮かべながら書いたので、こんな感じに。
こんな長いだけの話を最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!