そろそろ離してほしいと思うのだけれど、きっとそんなことを言ったらきっとこの人は拗ねてしまう。
 ぎゅうっときつく抱きしめられたままでは苦しくて眠ることも叶わない。
 当の本人はお先に夢の中で、意識がなくなれば緩むと信じていた両腕には、今もなお力が健在だった。
 緊張感があるのか、ないのか。
 少しの身じろぎでは目を覚ましてくれない。
「トラってばー……」
 薄いカーテンの向こうには月がある。空を包む灰色の膜の隙間から、太陽から反射した光が淡く差し込んで、廃墟同然の部屋を照らしていた。
 下にはけして柔らかくないベッド。上に被さるはトラ。それも脇の下で腕を回されて、しっかり拘束されてしまっている。
 固いの痛いの重いのって、とてもじゃないが有難くない三拍子だ。
 いっそ自由な腕を使って、無理やりほどいてしまおうか。それには体制がキツイ。
 ならばもう、叩くしかない。
「起―きーてー」
 寅之助だって疲れているのだから、あまり本気で叩くのはかわいそうだ。ということで癖っ毛をぺちぺちする程度で止めておいた。
「……んっだよ……」
「起きた……?」
 と思ったのに。
「トっ!」
 急速に近づいた唇が合わさる。重なる。あっという間もなく深くなる。
 ただでさえ肺が圧迫されている状況で、追い打ちをかけるように酸素が奪われていった。
 甘噛みされては吸い付かれ、舌が侵入して、口内をぐるりと移動していく。その力強さに抱きしめている腕と同じものがあって、まるで口の中から束縛されている気分だ。
 舌が絡み取られ、トラの好きなように扱われる。
苦しくて熱い。受け止めるだけで精一杯な撫子の口の端から唾液が伝い落ちた。
 鼻で呼吸をしなければ窒息死まで一直線。人生の終焉はすぐそこだ。
 そんな撫子の生命の危機にも気づかず、恋人はもう片方の呼吸器官を貪っている。
「苦し……わ、トラ、やっ……」
 想いは届かない。無慈悲に塞がれた口からはヒューヒューと悲鳴じみた音が通るばかり。
 夜の静寂の中、ちょっとした音が響いて聞こえる。酸素不足と耳から入る音たちによって、頭がおかしくなりそうだ。
 意識が朦朧とし出したところで、やっと唇が離れた。不足した酸素を求めて思いきり吸う、吐く、吸って吐いて、また吸って。噎せた。
「ケホッケホッ」
 咳をしていることが生きている実感なんて、なんだか嫌だ。
 被さっていたほうの寅之助はといえば、何事もなかったように再び寝息をたてていた。まさか寝惚けてやった、なんてことだろうか。
 心臓のドキドキが早い。圧迫されているせいか、走った後のように呼吸が苦しかったせいか、もしくは――
(最低だわ。トラのせいで余計に眠れなくなったじゃない)


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