夢 | ナノ
世界の為の佐野万次郎



 2003年10月、大安吉日の夕方。家族三人でテレビを見ながら団欒をしている最中、家の電話が鳴り響いた。爺ちゃんがやれやれと立ち上がり、リビングの子機から電話に出る。

「もしもし、佐野ですが。……え?」

 爺ちゃんが目を見開き、聞き返す。話が進むにつれて曇っていくその表情に、エマと二人顔を見合わせた。
 会話を終え、沈痛な面持ちで受話器を置いた爺ちゃんが俺たちの方を見て口を開く。

「今、真一郎の店の客から――…」


 §


 バイクに跨りエンジンキーを回す二人組に、俺は軽く頭を下げた。

「ありがと。ワカくん、ベンケイくん」
「気にすんな。……真ちゃんの行方はこっちで探る。進展があったら連絡するワ」
「ウン、お願い」

 唸るような排気音を立て去っていく二台のバイクを見送り、俺は振り返ってシンと静まり返ったバイク屋を無言で見つめる。
 大安吉日のあの日。家にかかって来た電話の主は、真一郎と納車の約束をしていた顧客だった。約束の時間になっても納車に来ず、店に行ったらもぬけの殻。店主はどうしたのか、自分のバイクは。電話の開口一番が心配の言葉だったのは、ひとえに真一郎の人徳の賜物だろう。
 あの後、俺と爺ちゃんは慌ててこの店に向かい、整備スペースに置かれたピカピカに磨かれたバイクを見つけた。帳簿と照らし合わせ客にも間違いが無いか確認を取り、近くの整備工場で検査を通して客へと引き渡し。そして取引のある業者に片っ端から電話をかけまわり、2日前から真一郎の姿を見た人がいないという事実を知った。

 今日で、真一郎が消えて5日が経つ。警察へ行方不明届けを出したが、まだ真一郎は見つかっていない。手がかりはない。ただ忽然と、真一郎の姿だけが消えていた。俺たち家族は手詰まりの末、初代黒龍幹部達を頼った。……それで見つかる、確証は無い。
 薄暗いバイク屋の中に入り、接客用に置かれたソファに仰向けに倒れ込みじっと天井を見上げる。悩んだ末、携帯を取り出しある番号へ電話をかける。しばらくのコールの後、電話がつながる。
 相手の声は無い。けれど、微かな吐息と衣擦れの音から、確かに電話口の彼が耳を傾けている事を感じた。

「イザナ? 突然電話してごめん」
「……」
「――…真一郎の事、最近見てない? もう、5日も連絡がつかなくて」
「知るか。お前らとは兄弟でも何でもねぇ。もうかけて来んな」

 一方的に切られた電話の音を聞きながら、首から下げたお守りを握りしめた。
 ぐるぐると、胸の奥を焦燥のような物が渦を巻いている。嫌な予感がした。どうしようもない不安が胸を支配しているのに、今の俺にそれを吐き出す場所はなかった。


 §


 真一郎が見つかったとワカくんから連絡があったのは、失踪から一週間が経った昼の事だった。
 バブの後ろにエマを乗せて、伝えられた病院へ向かう。
 武蔵神社の近くを通り過ぎた時、ぐっと腰に回った手に力が込もる。

「待って、マイキー。神社に寄ろう?」
「はぁ? なに言って、」
「お願い」

 その言葉に、はぁとため息を吐いてバブをUターンさせる。
 たどり着いた神社の長い石階段を無言で上るエマの背中を追う。
 黙したまま手を合わせるエマに倣い、隣で神へ祈る。
 思い起こすのは、真一郎が見つかったと知らせた時のワカくんの言葉。覚悟をしておいた方がいいと、彼は言った。何の覚悟なのか、何のための覚悟なのかは言ってくれなかった。
 手を合わせ、神へ祈る。どうか、真一郎が無事でありますようにと。

「……行こ、マイキー」
「ああ」

 真一郎よりも高い体温、柔らかで小さな手。前を行くエマの手を握り返しながら、小さく息を吐きだす。ぐるぐると、焦燥が胸を渦巻いていた。


 §


 たどり着いた病院。最上階の個室の扉前に立つベンケイくんとワカくんに声をかける。

「来たか、万次郎」
「真一郎は……」
「オレ達が見つけた時には、もうああだった」

 苦々しい表情でベンケイくんが病室の中を指す。先に部屋を覗いたエマが、息をのむ。ぎゅうと力の込められた小さな手を握り返しながら、エマに続き室内に足を踏み入れた。
 広い個室の、大きなベットの上に、真一郎は居た。
 手足を拘束され、ぼんやりと虚ろに宙を見つめて。

「長期間のリンチに加えて、違法なクスリを限界まで入れられてる。胃洗浄に強制利尿……出来る限り手は打ったが――…」

 ワカくんの説明を聞きながら、真一郎に近付き手を握る。一週間。探し続けた大きな手は、冷え切っていた。

「……どうして、真一郎」

 いくら力をこめても、俺の手が握り返される事は無かった。


 §


 気を利かせたワカくん達が去っていった病室。時計の音だけが響く病室でエマと二人、上下する真一郎の胸をただ見つめていた。

「あ、ねぇシンニィ。ウチね、マイキーと練習して林檎、繋げて剥けるようになったんだよ。見ててね」

 ぱっと顔を上げたエマが、見舞い品の中から林檎を見つけ手に取る。ナースステーションから借りて来た果物ナイフを右手に持ち、何度も練習した通りの手慣れた仕草でシュルシュルと剥いていく。
 一本につながったまま紙皿に落ちていく皮。それを眺めていると、ピクリと真一郎の指が視界の端で動いた。

「う、あ……」

 虚ろに宙をさ迷っていた真一郎の目が、ふとそちらを向く。
 エマの手に握られたナイフに、俺に似た黒い瞳が見開かれて。

「……真一郎?」

 瞬間、病室に慟哭が響く。
 ギシギシとベットが軋む音、喉が張り裂けるような真一郎の叫び。
 呆然とその様を見た後、我に返りベットに飛び乗って縛り付けられたまま手足を滅茶苦茶に動かす真一郎の体を抑えつける。

「エマ、ナースコール!」

 ナイフを取り落し、蒼褪めた顔で震えていたエマが慌てて看護師を呼ぶ。
 駆け付けた医者と看護師によって抑えつけられ、鎮静剤を打たれる真一郎の姿を呆然と眺める。
 面会時間が終わるまで薬によって身じろぎもせず眠る真一郎の顔を、二人揃ってずっと見ていた。


 日が傾いた空の下エマと二人、会話も無く病院を後にする。敷地を出ようとした時、ふとエマが振り返った。

「――…シンニィ?」

 病院の方を見てぽつりとそう呟くエマの視線を辿り、背後の病院を見る。
 黄昏色に染まった空を背景に、病院の屋上に人影が立っていた。柵の外、ふらりと体を揺らす影。咄嗟にエマを引き寄せ、そちらを見ないよう抱きしめる。

 こんなにも離れているというのに、表情が。いつも俺の話を聞いてくれる穏やかな笑みを浮かべた姿が瞼の裏に焼き付いて、そして――…

「……なんで、」

 ドンと、鈍い音が響いた。





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