夢 | ナノ
世界の為の佐野万次郎



 物心ついた時から違和感があった。
 鏡に写る自分の姿だったり、家族の姿だったり。
 やらなくても理解している勉学、思い通りに動く身体。
 手際よくこなせる家事も、大人も敵わない磨かれた武道の技も。

「――じゃあ、俺は今日からマイキーな! マイケルのマイキー!」

 新しく家族となった妹に向けてそう宣言すると同時に、生まれた時からあった頭の霞が晴れる。
 俺の名前は佐野万次郎。マイケルのマイキー。……無敵の、マイキー。
 隣で俺はエドな! と宣言する幼馴染を見る。場地圭介。
 呆れた顔で俺たちを見る妹。佐野エマ。
 微笑ましげな顔で見守る兄と祖父。佐野真一郎、佐野万作。

「東京、リベンジャーズ……?」
「リベ……? マイキーは難しい英語知ってんのな!」

 にかりと笑う幼馴染。彼の死を、俺は“知っている”。エマの死も、真一郎の死も。頭から血を流し床に倒れ込む姿。笑いながら自分にナイフを向ける姿。バットで頭を殴られ倒れ込む姿。
 三人の死が目の前でチカチカとフラッシュバックしてーー

「ぅおぇ……」
「わー! 爺ちゃん、万次郎が吐いた!!」

 霞む意識の中、生きているみんなの姿を見ていた。


 §


 ひんやりとした手が頬を撫でる感触に、薄らと目を開いた。靄のかかった視界の中で、黒髪の青年がこちらを心配そうに覗き込んでいる。

「起きたか、万次郎。うどん食えるか?おかゆ作った方がいいか?」
「……しん、いちろ?」

 掠れた声で無意識に名前を呼べば、彼は眉間にぐっとしわを寄せた。「リンゴ、すりおろすか?」聞かれ、小さく首を振る。頭の下でカラコロと氷の音が響いた。頭が割れるように痛い。うめき声が漏れる口元に、ストローが当てられる。それを口にくわえこくりと飲むと、大きな手が額にそっと触れた。

「いきなり吐いてぶっ倒れたんだぞ、お前。……まだ眠れそうか?」
「ん……しんいちろー……」

 額から離れていく指を掴み引き留める。ぱちぱちと瞬きした後、彼はふっと笑ってぽんぽんと布団越しに胸に手を置く。

「いきなり家族が増えてびっくりしたよな」

 やわらかく叩くそのリズムが心地よくて、とろりと瞼が落ちる。

「早く良くなれよ、万次郎。圭介も春千夜も千壽も……エマも心配してる」

 眠りに落ちる瞬間耳に入ったその言葉に、倒れる直前の事を思い出した。 俺の名前は佐野万次郎。

 ――無敵の、マイキー。


 §


 庭先に出したビニールプールの中、このひと月の間ですっかり仲良くなったエマと千壽がきゃあきゃあと声を出して遊んでいる。その周りでは場地と春千夜が水鉄砲を打ち合いわぁわぁと走り回っていた。
 縁側に腰掛けその様子を眺めながら、俺は首を傾げた。

 エマと初めて出会ったあの日、俺はこの世界がフィクションであると自覚した。
 いや、フィクションとしてこの世界を観測していた人々の断片的な記憶を手に入れた、というのが正しいのかもしれない。『東京卍リベンジャーズ』と題された漫画をめくる手は、若い子どもや壮年の男、派手なネイルに彩られた女の手であったりと明らかに同一人物では無い複数の物だった。この記憶を誰が一体、何の目的で俺に授けたのか。このひと月の間ずっと考えていたが何も浮かばなかった。紙面上には主人公である花垣武道のタイムリープ能力以外、ファンタジー要素が無いからだ。
 佐野万次郎が梵天を設立した世界線、ボウリング場での主人公との再会の場面で紙面の記憶は終わっている。果たしてそれまでに起こる悲劇が本当に未来に起きる出来事なのか、それともすべて俺の脳が作り上げた妄想にすぎないのか。来年高校へと進学する真一郎はまだ暴走族を作ってはいない。だが中学3年生の夏以来、武臣と共に不良連中とつるむ姿をよく見るようになった。黒龍はもうすぐ創設されるのだろうか。

「バジ、てめぇ!」

 ずぶ濡れになりながら場地を追いかける春千夜を無言で眺める。紙面の記憶の中に彼らの兄の明司武臣は最後の方わずかに出ていたが、明司春千夜と明司千壽という人物は登場しなかった。しかし、春千夜をよくよく眺めると東京卍會伍番隊副隊長及び梵天でNo.2を務めていた三途春千夜の面影がある……気がする。特徴的な口元の傷跡は無く、髪も短く、苗字も違う。おまけに三途春千夜と佐野万次郎が幼馴染という描写は一切無かった。
 例えば今後、明司家の父が三途姓の女性と再婚して三途春千夜が生まれたのなら。何らかの事故で春千夜の口端に傷が出来たなら。記憶の中の悲劇が実際に起こり得るという証明になるかもしれない。

 昼飯ができたと呼ぶ爺ちゃんの声に、遊んでいた4人が道具を置いて駆けてくる。
 濡れたまま縁側に上がろうとするバジに傍にあったタオルを投げつける。バジはタオルを受け取ると、ニカリと笑った。

「おーありがとな! まんじろ……マイキー!」

 俺の名前を言い直した場地に、エマと体を拭きあっていた千壽が顔を上げ春千夜を見上げた。

「なーなー、ジブンもエマとマイキーみたいな特別な名前が欲しい!」
「何言ってんだよ、千壽」
「欲しいったら欲しいの! 春ニィ一緒に考えてよ! ジブンとお揃いのカッコイイ名前!」

 無茶を振られた春千夜が助けを求めるように俺とバジを見る。その視線にニヤリと笑みを返して、俺はバジの肩に腕を回した。

「バジにはエドってカッケぇ名前があるもんなぁ?」
「バジも!? ずるいずっるーい!」

 むうと頬を膨らませじたばたと暴れていた千壽が、不意に一点を見つめ口を閉じる。振り返ってそちらを見ると、居間に置いたテレビの中で、去年の特撮ヒーローの再放送が流れていた。怪人相手にヒーロー達が名乗りを上げるそのシーンに、千壽がキラキラと目を輝かせる。

「先祖から受け継いだ……源氏名……!」

 千壽の言葉にハッと息をのむ。なるほど、これが。ならばやはり、春千夜は。そして将来の悲劇は――。

 昼間にあったそんな出来事を話していると、真一郎は夕飯を口に運びながら相槌を打った。

「それで? 結局源氏名は何になったんだ?」
「春千夜は三途春千夜で、千壽の名前は考え中」
「さ、三途? 何でまた……意味わかってんのか?」
「“カッケェ”からだってさ」

 へぇ、とやや引きつった顔で頷いた真一郎の背後のテレビで、夕刻のニュースが流れ始める。

『先週韓国にて発生したシー・プリンス号座礁事故による流出原油量は8万tを超える見込みです。日本海沿岸にもその影響は――』
「万次郎? どうかしたか?」
『5年前の湾岸戦争では75万tないし110万tの原油が流出したとされており、周辺の沿岸部には今なお原油が残存しています。ここ10年間、同種の事故による自然環境への汚染が――』

 怪訝そうな表情を浮かべる爺ちゃんと真一郎に首を振る。

「……ううん、何でもない」
『昨年にはトルコやアラビア半島で石油タンカーによる事故が発生しており、その際の漁業被害は――』
「千壽は苗字も名前も変えたいらしくて、」
「え、それってお揃いって言うのか?」

 やけに耳に残るテレビの音声を振り払い、俺は団欒の時を続けた。






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