夢 | ナノ
世界の為の佐野万次郎







――2018年1月20日 ベーリング海 洋上


 今から3年前。シベリアとアラスカに挟まれたどの国の領域でもない絶海に、一つの監獄が建てられた。
 深海に基礎を打ち込み、海中を一から埋め立て、コンクリートを流し込み。国際連合の負担した総工費は億とも、兆とも言われている。監獄一つにそんな金額を、と反対する国は、政治家は誰一人としていなかった。それがある男のために設計された特別な監獄ならば。
 「All for better than good future(全てはより良い未来の為に)」をスローガンに掲げ、前人未到の世界征服に有史以降初めて王手をかけた傑物。
 覇権主義に異を唱え、自身の狂信者達を率い世界を巻き込む大革命を起こした狂人。
 狂信者による死後の神格化、その思想の外部流出を防ぐため国連決議にて全会一致で絶海の洋上での無期懲役刑を言い渡された未曽有の大罪人――佐野万次郎。

 バラバラと爆音を奏でながら飛行する中で、武道は拳を握りしめた。
 自身の体感では昨日1日の出来事。12年前の過去に遡った武道は、未来で10日かけて叩き込まれた情報を半日かけ稀咲とイザナへ伝えきり、万次郎に接触しないようすぐに直人を呼び出し未来へと戻った。
 帰って来た未来は、ガラリと形を変えていた。地球連邦を樹立していた佐野万次郎は捕まり、天竺はレジスタンスから国際NPO法人に変わった。革命の影響で世界では未だ動乱が続いているものの、ディストピアと化していた前回より事態は好転している。
 そして、武道が未来に戻ると同時に世界線を移動した直人の証言。武道が過去に行った後の未来、アジトに踏み込んで来た万次郎の発言。その真意を聞けばきっと、

「……マイキー君」

 荒波の中浮かぶ絶海の監獄を見とめ、武道は目を伏せ祈った。願わくば、次のリープが最後となるように。



 看守である老婆の後ろを、先導されるまま着いていく。最新技術の粋を集め作られた建物は、外の嵐と反し耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。老婆が足を引きずる音と、イザナ率いる天竺の面々の足音。それだけが響いていた廊下に、やがてパチパチと何かを打つ音が微かに混じる。
 廊下が開け、最初に目に飛び込んできたのは広い部屋のど真ん中に設置された六畳ほどの大きさの檻。
 その中でこちらに背を向けて座る、オレンジ色の囚人服に身を包んだ小柄な青年。武道の喉が緊張で鳴った。

「そろそろ、来ると思っていた――…」

 パチン、と指に挟んだ駒を将棋盤に叩きつけてその人物はゆっくりと腰を上げ振り返った。背中まで伸びた長髪がふわりと宙に広がる。

「……イザナ」
「――万次郎。質問に全て答えてもらう」

 イザナの言葉に穏やかな笑みを浮かべて、彼は牢の周りに数えるのも馬鹿々々しいほど大量に設置された監視カメラをぐるりと見まわした。

「今宵は――酷い嵐だ。電波が途切れてしまうかもね」

 その言葉を聞き無言で一礼し退出していく老婆。彼の視線を辿りじっと監視カメラを見ていると、やがて緑色に灯っていたランプが赤に変わる。

「此処には権力だけを持つご老人たちの使いがよく来るんでね。接続はよく途切れるんだ」
「お前、」
「文句はあっちに言ってくんない?自国民の統率も碌に出来ないご老人方にサ」

 皮肉げに笑った佐野万次郎はペタペタと素足のまま鉄格子の直前まで歩み寄ると、そこで胡坐をかき頬杖をついた。

「何もないところだけど、まぁ、ゆっくりして行けよ」

 罪を償う身だというのにまるで一城の主のような態度で彼は、尊大にそう言い放った。

 ゆっくりして行けと言われても、はいそうですかと寛げるわけがない。持ってきた記録用のカメラを複数設置し、資料を取り出して。バタバタと慌ただしい檻の向こうを無言で見つめていた万次郎は、やがて暇そうに駒を弄り将棋盤を取り出すと檻の近くに置いた。

「一局指そうか。……その間は、なんでも答えてやるよ」

 そう言って彼は同じく手持ち無沙汰にしていた武道をひたりと見据える。

「タケミっち。……相手はお前かイザナが良い」

 突然の指名にキョロキョロとあたりを見回すが、皆慌ただしく動き回っている。ひと際忙しそうなイザナがやってやれと頷いた。
 おずおずと檻の前に正座し、向こうから差し出された駒箱を受け取り蓋を開ける。記憶の片隅に追いやっていた知識を思い出し盤上に駒を置いていると、息だけで檻の向こうの彼が笑う。

「反対だよ、タケミっち。角がこっち」

 檻の向こうから伸びてきた生白い指が武道の手に触れ、軽い力でゆっくりと盤上をすべらせ誘導する。ぞわりと背筋に怖気が走り、武道は思わずその手を振り払った。ばらばらと檻の中に外に散らばる駒。しまったと万次郎を見ると、彼は気にした様子もなくぼんやりと盤上を眺めていた。

「そうか、なるほど」

 それだけ呟いて、彼は目を閉ざした。
 絹のように艶やかな長髪の隙間、ゆっくりと指が首に刻まれた刺青を撫でる。その、模様が。過去いつも彼の隣に居た青年のこめかみにあった龍だという事に今更ながら気が付いて、武道はハッと息を呑んだ。
 タイムリープを繰り返す最中(さなか)、廃墟と化した東京の街で会合した右腕の彼。あの時、彼は佐野万次郎の事を、たしか――









――2017年9月20日 日本 東京府 復興第13区画(旧渋谷区)


 目の前のソファに座る龍宮寺が、シンと静まり返った二人の反応に訝し気に首を傾げた。直人が思わずと言った体で、龍宮寺の言葉を繰り返す。

「――あの佐野万次郎が、15才の繊細な少年に過ぎない?」
「……」
「いえ、すみません龍宮寺さん。馬鹿にしているわけではないんです。ただ……僕たちには……到底、信じられなくて」

 無言で眉間のしわを一層深くさせた龍宮寺にそう言って、直人は黙した。バイク屋だった空間に、再び沈黙が落ちる。
 佐野万次郎。彼は、武道がリープする前の世界から巨悪として名を馳せていた。10万以上の人々を殺し、中東情勢を悪化させた黒幕。過去でたった少し話しただけなのに、次に未来に戻った時には超大国同士の戦争を引き起こしていた。そして今回。原因と見ていた留学を阻止したのに、彼は世界経済までもを混乱に陥れている。
 武道と直人にとって、佐野万次郎は橘日向の死の原因を作る加害者で、世界を混乱に陥れ続ける巨悪で、倒すべき最終目標で、――――自分たちのタイムリープに巻き込まれどうしようもなく未来が歪む、被害者だった。

「タケミっちがマイキーと会ったのは、8月3日の愛美愛主との抗争が最後……だったよな」

 龍宮寺の言葉に武道は頷いた。愛美愛主というチームとの抗争が終わると決まって佐野万次郎は渡米し、1年以内に失踪しテロリストに身を堕とす。だから今回武道はわざと東卍メンバーの前で万次郎に留学について尋ねる事でその芽を潰し、抗争が無事終わるのを見届け未来に戻ったのだ。

「あの頃はよかったな。ただチームをでかくするって突っ走ってよ。毎日喧嘩で毎日が祭りみてぇで――」

 飾られたバブを見つめ、龍宮寺はふっと目を細めた。

「タケミっち、今警察なんだろ? なら、12年前東卍に何があったかも……マイキーの家族に何があったかも……知ってるよな」
「はい」
「10月31日、ハロウィンの日。バジと一虎と千冬。一番隊の三人が殺されて、東卍は荒れた。日に日に殺した奴らに復讐しようって声が大きくなって、俺じゃ抑えられなかった。それをなだめて治めたのは、マイキーだった。思ったよ、オレ達の総長はやっぱりすげぇって。喧嘩じゃ負けなし、ベンキョーも出来て、思慮深い。最強の総長だって」

 そこまで語って、ぐしゃりと前髪を掴み龍宮寺は息を吐きだした。

「あの時マイキーが心の拠り所にしていたのは、東京卍會じゃなくてイザナだった」
「イザナ――黒川イザナが?」

 黒川イザナ。リープする前の未来、龍宮寺をトップに据え稀咲がNo.2をしていた東京卍會で最高幹部をしていた男。彼が佐野万次郎の義兄だという事を武道たちはこのリープで初めて知った。正確にはエマの血の繋がらない兄――らしいが。

「そしたら今度は拠り所だったイザナも、万作さんも……エマも死んで、」

 後悔の感情色濃く、龍宮寺は俯く。

「最後に会ったマイキーは……オレの知ってるマイキーじゃなかった」
「それはどういう、」
「証拠は残っちゃいねぇが多分、マイキーはバジ達を殺した奴と家に火を点けた放火犯、どっちも……」

 息を呑む武道の隣で直人が素早くメモにペンを走らせる。間違いない。この未来で佐野万次郎が悪の道に進んだのは、この一連の出来事が原因だ。
 事件の詳細を聞いている途中で、暗くなる前に帰れと店を追い出される。直人が運転席に乗り込みエンジンをかける。助手席のドアを開き、乗り込もうとした武道はふと立ち止まり振り返った。

「ドラケン君、オレっ」

 こんな事、伝えてもどうにもならない事は知っている。けど、伝えずにはいられなかった。6人とも、今までの未来では生きていた。武道が過去を変えなければ死ななかった。

「オレ――タイムリープ出来るんです」
「武道君、」
「いつも……毎回、マイキー君は巨悪になる。でも」

 ぐっと拳を握りしめ武道は龍宮寺を見つめた。

「でも、何度だってやり直します。オレ……だけの力じゃ無理かもしれないですけど、色んな人の力を借りて。だから――」
「タケミっち、一つ頼まれてくれねぇか」

 武道の言葉を遮り、龍宮寺はくしゃりと笑った。

「もし――もし、未来のマイキーに会えて、その傍に俺がいなかったら。
 あんまり世話焼かせんな――…いや、ちげぇな。……もっと、周りを頼れバカって、伝えてくれ」








 将棋盤をぼんやりと眺めている。
  ――砂漠に立ち、地下へと続く扉を見つめている。
 檻の向こうに、こちらを見つめる天竺の面々。
  ――周りには、俺に忠誠を誓った治安部隊の精鋭たち。
 目の前に座った花垣が、青い瞳で俺を見ている。
  ――花垣武道は、もう過去へと渡ったのだろうか。
 衝動の正体も知らない愚かな俺は。
  ――託した作戦は、きちんと過去へ伝わるだろうか。
 何故、今なお生きているのか。
  ――次の世界の俺は、手遅れになる前に死ねるだろうか。

「そうか、なるほど」

 視界がぶれる。檻の中に座る俺と、砂漠にいる俺。どちらが今か分からなくなり目を閉じる。首に刻んだ刺青を撫で、一つ息を吐いた。自身の足で歩んできた人生と、頭に流し込まれた記憶。二つの相違点を確かめ、癒着した双方をゆっくり引きがしていく。
 俺が表に出てからも天竺は決して諦めなかった――記憶の中。
 邪魔立てする者は無く、革命は順調に――俺の過去。
 世界を征服し、革命軍は地球連邦政府へ名称を変えた――記憶の中。
 用意された檻の中で、無聊を託つ――俺の過去。
 森林は保護し、核は廃棄し、化石燃料は使用を制限する。何故ならそれが――…

 パチン、と響いた音に目を開ける。いつの間に入れ替わったのか、盤の反対側には花垣ではなくイザナが胡坐をかいて座っていた。目を伏せ散らばった駒を拾い並べるイザナの、白く長いまつ毛をぼうっと眺める。
 ふと、駒を並べる手を止めたイザナがキョロキョロと辺りを見回した後、顔を上げた。澄んだ紫色の瞳と目が合う。

「王」
「……?」

 首を傾げると、イザナは眉間にしわを寄せ檻のこちら側を指さした。

「そこに玉が転がってンだよ。お前の王を寄越せ」

 差された方を見ると、確かに玉が檻の片隅に転がっていた。こちらの盤上から王を取って出された手のひらの上に置き、玉を取るため腰を上げる。

「……イザナは、変わんないね」
「あぁ?」
「王にこだわるトコとか」

 座り直して拾った玉を盤上に置き、檻の外のイザナに先手を譲る。互いの序盤の手は知り尽くしていた。相手の駒の行方を確認する事無く自陣を手早く固めていく。当の昔に――繰り返し流し込まれる記憶の底、悲劇の海に沈んでしまった日々が蘇る。
 仲良かった頃、真一郎に施設から連れられてきたイザナとは良くこうして将棋を指していた。イザナは爺ちゃんに教わりながら、俺は真一郎の口出しを無視しながら。四人固まって縁側で将棋を指していると、決まってエマやバジが――…
 そこまで追憶して、駒を動かす手を止めた。中盤に差し掛かった盤上を見て小さく笑う。イザナの指す将棋は、祖父のものによく似ている。

「居飛車に矢倉。好きな定跡も」
「お前は変な手ばっか使いやがって」

 舌打ちを一つ落とし、イザナは駒を動かす。

「マイキー、お前にとって荒唐無稽で信じられない話かもしれないが。まずそれを前提にお前の考えを教えろ」
「ふぅん。……いいよ、答えてあげる」
「花垣には、タイムリープ能力がある」

 将棋盤に伸ばした手が一瞬止まる。気付かれぬよう息を吐きだし、駒を滑らせた。

「……へぇ。それで?」
「万次郎。繰り返すタイムリープの中でお前はどの未来でも決まってテロリズムに傾倒し、前回のリープでは順当に世界征服を成し遂げた」
「……」
「その未来でお前は、こう言っていたらしい。『衝動の正体も知らない佐野万次郎は生きる価値が無い』と。……万次郎。衝動とは一体なんだ? それがお前が堕ちる原因か?」

 叩き込まれたばかりの記憶を探っても、その言葉を口にした記憶はない。なら、花垣が過去へ飛んだ後アジトに踏み込んだ後の出来事。

「……イザナはさ、なんで俺を殺さなかったの?」

 情報も作戦も託した。イザナと稀咲なら気付いたはずだ、情報の出処が俺で、俺自身を殺すための作戦だと。佐野万次郎を留学直後に殺せば被害は最小限。花垣武道の望む未来が訪れ、物語はハッピーエンドのはずだったのに。イザナは簡単なそれを選び取らず、わざわざ作戦に手を加えてまで俺を生かし捕らえている。
 俺の質問にイザナは口を閉じたまま駒を動かす。攻め入る駒を捌きながら、俺は先程の質問にどう答えたものかと首をひねった。

「――…真一郎が死んだあの日からずっとずっと、黒い衝動が渦巻いている。自分では制御できない。……抑えていたのは真一郎で、龍宮寺で、エマだった」

 生きているだけで罪が重なっていく。俺はそういうイキモノだ。そういうイキモノだったと、世界を一つ壊しつくしてやっと自覚した。

「……許せないんだ。俺の大事なモンを奪う世界が」
「だから、こんな事を仕出かすと?」
「ウン、そーかも」

 へらりと笑って、イザナの王の横に飛車を置く。王手、と呟き腰を上げた。

「タケミっち」

 檻を握り、名前を呼ぶ。彼はびくりと体を震わせた。俯くつむじを眺めながら、俺はそっと首筋に刻んだ龍を撫でた。エマと龍宮寺が死んだ原因も、その犯人も、その背後にある組織も。全て調べは付いている。黒龍の時のように、知らずの内に花垣に二人を救わせればいい。

「今から言う言葉を昔の俺に伝えてほしい。そうすれば、過去の俺がどうにか、」
「マイキー君」

 花垣は顔を上げ、俺をじっと見つめた。青い瞳が、強い意志を持ってキラキラと輝く。

「俺が過去のリープで会った、現代のドラケン君からの伝言です。『もっと周りを頼れバカ』……だ、そうです」
「……なら、頼んでもいーかな、タケミっち。12年前に死んだ、俺の大切なエマとケンチンを――救ってほしい」

 それだけでいい。後はこの記憶を受け取った過去の俺が――正しい未来を選び取る。









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