全てのパラレルワールドの記憶を持ち、数え切れないほどの世界を征服してきた男…白蘭は10年前の沢田綱吉率いるボンゴレファミリーによって倒され、あまりに呆気ない最後を迎えた。マーレリングによって白蘭とミルフィオーレファミリーが引き起こした厄災はアルコバレーノによって修正され、全ての世界は救われた。しかしそんな独裁者白蘭を倒したボンゴレファミリーはというと、10年前の沢田綱吉らが過去へと帰り、平和を噛みしめている間もなく後処理に追われていた。白蘭が引き起こしたマーレリングの厄災がアルコバレーノの力で修正されたといっても、全てが何事もなかったようになるわけではない。例え亡くなっていた人物が戻って来たとしても、ミルフィオーレファミリーがそこに存在していたという事実は、覆ることはないのだ。そしてその事実を最も深くボンゴレファミリーに知らしめたのが、とある人物の存在だった。

***


「10代目、本当にお傍にいなくても平気なんですか?」
「大丈夫だって。このやり取り、この間もしたよな?」
「ははっ、獄寺はツナのことが心配で心配で仕方ないんだよな。」
「てめえは黙ってろ野球馬鹿。」

白いタイルがひたすらに続く通路の中で、ツナと二人の部下…獄寺と山本の声が騒々しく響きわたる。最初から最後まで何度耳にしたかわからないやり取りを二人に挟まれながら聞いていた綱吉は大層呆れるように溜め息をこぼしながらも慣れたように通路を進んだ。現在ツナ達がいるのは、イタリアのミルフィオーレ基地。つまり以前ミルフィオーレの拠点だった場所だ。ボスであった白蘭がいなくなったためにミルフィオーレファミリーは解体され、以前は拠点であった本部にも最早ミルフィオーレの隊服を着た人物は一人もいない。その代わりに、ミルフィオーレファミリーが起こしたことの後処理に追われているボンゴレファミリーの姿だけがあった。綱吉と獄寺と山本も、もちろん後処理のために連日この場所を訪れているのだが…綱吉はそれだけが目的ではなかった。

「じゃあオレは行くから、後の事は頼むよ。」
「任せとけって、ツナ。」

綱吉の言葉にやる気十分な様子で頷いた山本に対し、獄寺は未だ返答を渋るように唸っている。そして今まで抑えていた言葉を吐き出すように口を開いた。

「10代目は大丈夫だと言いますが…心配するに決まってます!だってあの女は…」

獄寺が言いかけたその時。真っ白い通路を伝い、微かな声が聞こえてきた。その声を聞いた三人ははっとして通路の先。行き止まりの場所にはめ込まれた金色の扉を見つめる。微かな声はいずれ言葉を紡ぎ、天から降り注ぐかのような歌になる。歌によって言葉を遮られた獄寺は柄もなく迷うように瞳を揺らすと、絞り出すように言葉を吐き出す。

「…あの女は、白蘭の実の妹なんですから。」

***

ボンゴレファミリーのミルフィオーレファミリー本部立ち入り調査の結果、見つかったのが白蘭の実の妹だというなまえだった。白蘭のことをミルフィオーレファミリーのボスになる前から知っている入江正一も、その存在を長らく知らなかったという。今はボンゴレファミリーの監視下にある真六弔花の生き残り、桔梗の話によれば、なまえの存在を知っていたのは白蘭と真六弔花の六名のみだったという。そして桔梗はまるで焦がれるように言った。"あの方は神と呼ばれる悪魔に仕える天使"と。その言葉がさす意味がなんなのか。綱吉を含めるボンゴレファミリー一同は揃って首を傾げたのだが、綱吉は"天使"と呼ばれる彼女に会って初めて、その意味を理解した。

「こんにちは。」

相変わらず渋る獄寺を山本に連れ出してもらい一人きりになった綱吉は、先日訪れた時と同じように金色の扉にノックをして、扉越しに声をかけた。先程まで聞こえていた歌はもう終わってしまったようで、人一人いない静寂な通路には綱吉の声だけが響きわたる。暫くしてなにかを引きずるような音がしたかと思うと、扉越しにどうぞ、とこの静寂でなければこぼれてしまいそうな、あまりに小さな声が返された。その声に答えるように綱吉が扉を開くと、開かれていた窓から抜けた風が綱吉の頬をなでる。

「今日も来てくれたのね、綱吉さん。」

頬をなでた風とともに小さな声が再び綱吉の耳へと届いた。声の主は窓際に置かれた天蓋付きの寝台の上で兄と同じ紫色の瞳を細めながら綱吉を見つめている。開いたままの窓からは再び風が舞い込み、寝台の上で起き上がっている女…なまえの白い絹糸のような髪を揺らしていた。

「起き上がっても大丈夫なのか?横になっていた方が…」
「私は大丈夫。あなたとは、きちんと同じ目線で話がしたいから。」

寝台の傍らに置かれた椅子へと腰掛けながら気遣いの言葉をかけた綱吉に対し、なまえは首を横に振りながら答えた。恐らく先程の引きずるような音は、彼女が起き上がった時の音のようだ。

「それよりも、あなたの友達に伝えておいて。綱吉さんを一人じめしてしまって、ごめんなさいって。」

首を傾げながらおどけるようにそう言ったなまえに、綱吉は思わず苦笑をこぼす。こうして笑った時の顔は、特に兄である白蘭にそっくりだった。純白の髪も紫色の瞳も、白蘭とは反対側にある目の下の刺青も。この兄妹はよく似ている…ただ一つだけ大きく異なるのは、彼女がまとうあまりにもやわらかい空気だった。周りを見下し弄び、まるで傍観するように相手の様子をうかがっていた白蘭からは、どこか一線を引くような。近寄りがたく恐ろしい雰囲気があったが、彼女にはそれがない。むしろ傍にいて心地よく、周りを包み込むかのような雰囲気があった。桔梗の言っていた"悪魔に仕える天使"という言葉は、この雰囲気のことをさしていたのだと綱吉は思った。

「こちらこそ。扉の前で騒いでしまって、歌の邪魔になっただろ?」
「聞こえていたの…?少し恥ずかしいな。」

綱吉の言葉に今度はなまえが苦笑を浮かべる番ばった。照れているのか、白い肌がほんのり桃色に染まっている。こういった表情も彼女と兄が違っているものだった。そしてそんな兄と妹の異なる部分を見つければ見つけるほど、綱吉はなぜ彼女が独裁者であった兄…白蘭の傍に居続けたのか疑問に思った。そんな綱吉の考えを無意識に察したのか、なまえは綱吉の顔を覗き込みながらくすくすと笑いをこぼす。

「また、似てないって思ったでしょう?私と兄さん。」

見透かすように問いかけたなまえに対し、図星である綱吉は言葉を詰まらせる。なまえはというとその反応に全く動じていないようで、むしろ慣れたように言葉を返した。

「…私も思う。兄さんと私は似ていないって。似ているのは外側だけ。面白いことが大好きで、ちょっと飽きっぽい性格は似ていたのかもしれないけれど……もうわからない。」

自分と兄のことを話しているにも関わらず、なまえはどこか他人事のようにそう言った。髪の隙間から見えたなまえの瞳は僅かに光っているようにも見えたが、綱吉はなにも言わずなまえを見つめた。

「でもね…兄さんは私に全てをくれた人なの。」

なまえはそう言うと寝台の傍らにあるチェストに手を伸ばし並んでいる本のうちの一つを手に取った。それはそこにあったもののうち一番ボロボロに擦り切れており、何度も開かれたということが一目でわかる。なまえはおもむろにページを開くと、その見開きを綱吉へと見せた。

「…これ。」
「兄さん何でもできちゃうから。幼い時からよく撮ってくれたの、写真。」

擦り切れた本だと思っていたものはどうやらアルバムだったようだ。なまえが開いた見開きにはまだ幼い白蘭となまえが二人で寄り添いながら写っている。しかし綱吉は幼いなまえの姿を見て眉を寄せていた。なまえはというと、そんな幼い自分を白い指先でなぞりながら思い返すように口を開く。

「私は生まれつき体が弱くてね。薬や点滴なしじゃ、すぐに体調が悪くなっちゃって。それでも風邪ひいたり熱を出してばっかりだったから、いつも顔色悪かったり、熱冷ましを貼っていたり…でも。兄さんはそんな私の傍にずっといてくれた。」

写真に写るなまえの姿は、なまえの言った通りどれも病弱そうだった。そしてどの写真もなまえの傍らには必ず兄の姿があり、二人はよく似た顔で微笑んでいる。

「何年経っても私の体は弱いままで…重い病気にかかってしまった私は、ただ病院のベッドで死を待つ事しかできなくなった…そんな時だったかな。」
「……白蘭が、治るはずのなかった病気をマーレリングの力で治した。」

先程と入れ替わるように今度は綱吉がなまえが言おうとしていたことを先取りした。綱吉の言葉になまえは驚くことはせず、無言で頷きながら目を伏せる。兄に比べて伏し目がちで長い睫毛に覆われた瞳は、やはり潤んでいるようだった。

「…兄さんはリングの力で私の病気を治した後、大空の調和の炎で私の体を支えて丈夫にしてくれた。でも……兄さんはもういないから。私の時間も、あと少しで終わりになる。」

なまえの口から紡がれる一言一言を、綱吉は噛みしめるように聞いていた。白蘭は倒され、マーレリングも封印された。つまりもうなまえを守るものはない。誰よりも神に近かった天使は翼を失い、地に帰る。なまえの命がもうすぐ尽きるということはもうボンゴレファミリーの中に知れ渡っていた。だからこそ白蘭に恨みのある人間も沈黙を保ち、妹という立場であったにも関わらず兄を止めることをしなかったなまえを誰も見向きはしない。なによりなまえの体を蝕む病は、今どうこうしたところでもう間に合わないというのが答えだった。それでも…ボンゴレファミリー、そして世界にとって白蘭は、倒さなければいけない敵だったのだ。それを傍にいたことでよく知っているからこそ、なまえも決して綱吉を責めたりすることはなかった。

「私は兄さんを止めることはできなかった。ミルフィオーレファミリーが解体されて、今まで傷つけられてきた人達が戻ってきたとしても。兄さんがした事が消えるわけじゃない。だから…覚えていて。兄さんがその大きな力で犯してしまった罪を。そして…そんな誰より残虐な独裁者でも、愛している人がいたって事。」

白い睫毛に縁取られた瞳からふと一筋の涙が零れ落ちた。開かれた窓から差し込む午後の光は涙を宝石のように輝かせ、涙はやがて頬を伝わって消えていく。それはなまえが初めて見せた涙だった。

「…ああ。忘れたりなんて、しない。」

綱吉は今にも溶けてしまいそうななまえの白い両手を握りしめながら、真っ直ぐな瞳で答えた。その瞳には一切の同情や哀れみなどなく、なまえはやはり、目の前の人物と兄こそ正反対の人物だと思いながら目を細める。

「やっぱり……あなたでよかった。」

穏やかに微笑んだなまえの白い髪を、再び窓から入り込んだ風が優しく揺らす。やわらかな光に包まれ、絹糸のような髪をなびかせるなまえの姿は漂う死の気配さえ眩ますほどに美しかった。

***

今まで世界を蝕んでいたミルフィオーレファミリーのアジトが一つ、また一つと解体されていき、ついに本部であったミルフィオーレファミリーのイタリア基地も、まるでそこには最初からなにもなかったかのように解体された…ただ一つ、基地の裏にひそかに築かれていた庭園を除いて。

「よかったんですか10代目。この場所は残しておいて。」
「ここまで手入れされた庭なんだ。壊すのも勿体ないだろ?」

更地の中に残った庭園にはボンゴレファミリーのボスである綱吉と、その部下であり親友である獄寺、そして山本の姿があった。獄寺の問いに対し、綱吉は庭に咲き乱れるたくさんの花を見つめながら答える。一方山本は、あまりに立派な庭園を見渡しながら関心するように口を開いた。

「それにしても立派な庭園だな。これをあの人一人で世話してたなんて。」
「ここでよく白蘭と幹部六人を招いて、食事をしたり茶会を開いたりしていたらしい。」
「…想像するだけで気味悪いですね。」

呑気は山本とは正反対に、獄寺は眉を寄せながら吐き出すように言った。獄寺の言うことは間違っていない。この場所で過ごしていたのは皆簡単に人を殺せる人間で、想像もできないほど残虐なことを繰り返してきた人間なのだから。

「…ああ。だからオレ達は知らなくていい。この場所での思い出は、あの人達だけのものだから。」

ゆっくりと瞳を閉じた綱吉の脳裏に、かつて"天使"と呼ばれた一人の女の姿がよみがえる。この場所で独裁者の兄と過ごし、兄がしてきたことの残酷さを誰よりも傍で見ていた彼女は、兄のしたことを忘れないで欲しいと言った。そして、そんな兄を愛していた者がいたことを忘れないでいて欲しいと。ふと、綱吉の頬をあの時と同じ風が優しく撫でた。風が通った後を辿るように振り返り、瞳を開けた綱吉の目に白い蘭ばかり植えられた花壇が映る。風に揺れる度に花同士がぶつかり、まるで歌うようにさわさわと音を立てていた。そんな花の姿と、今は亡き美しい女の姿が重なる。

「…忘れないから。」

その声が聞こえているのかいないのか。綱吉の視線の先にある一輪の蘭から、一滴の朝露がこぼれ落ちた。

抜け落ちた羽根の行方
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