私にとって神に等しく、世界を支配する悪魔とも言える白蘭様が言った言葉で、忘れられないほど印象に残っている言葉がある。それは白蘭様が自身の唯一の親族である妹の存在を初めて私に明かした時、口にした言葉だった。

「あの子はね、僕の''天使''なんだ。いつだって僕の傍で癒しの声を届けてくれる…神に仕える''天使''。」

白蘭様が他人をこんな風に称するのはとても珍しいことだった。だからこそ意外に思い、印象に残っていたのかもしれない。
これから語るのはそんな誰よりも美しく、誰よりも儚い…''天使''の秘密。私だけが知っている、彼女の願い。

***

初めて彼女の姿を見たのは、誰よりも残酷な悪魔…白蘭様の手を取り、彼が所有するイタリアの屋敷に訪れた時だった。一通り屋敷を案内された後、用意された部屋から見えたたくさんの白い蘭に導かれるように立ち入った場所が、屋敷の裏手にある美しい庭だった。今考えると、訪れたばかりであの白蘭様の屋敷を無遠慮に歩き回るなど命知らずだと思うが、あの頃はやっと自分に差し出された神の手に浮かれていたのかもしれない。
様々な種類の白い花だけが咲き乱れる庭の奥からは、まるで天上から響いているかのような…うっとりするほど美しい声が聞こえてきていた。しかしそれはどこか悲しげで、泣いているようにも聞こえる。僅かな声を辿り、花の道を進んだ先。白い花に囲まれた東屋に、その声の持ち主はいた。

いつかの日か翼を切り捨てて
私は逃げ出したい
誰も知らない世界へ
そこには神も天使もいない
静かな場所
降り注ぐ羽根を希望の種に変えて
真っ白な花を咲かせて
遠いあなたに送るの
そしていつの日か
もう一度あなたの傍に


絹糸のような白い髪。組まれた指は細く、その身体は触れたら壊れてしまうかのよう。伏せられた目蓋の下で揺れる紫色の瞳は、迷うように揺れていた。どこからか吹いた穏やかな風によって舞い上がった髪は、まるで天使の羽のようだった。その姿を一目見て、私は理解した。この美しい女が白蘭様が言っていた寵愛の妹君…なまえ様なのだと。事実を知らなくとも一目でわかるほどに、白蘭様と彼女の姿はよく似ていた。
彼女が歌っている間、私はその美しい姿に見惚れてらしくもなくぼんやりとしていた。そんな私に、歌を終えてそっと瞳を開いた彼女も気がついたようだ。

「…珍しい。こんな所にお客様なんて。」

私の姿を見た彼女はぼんやりと見惚れていた私に向き直ると、そのままにっこりと微笑んだ。笑った顔はやはり白蘭様にそっくりで、私は息を呑みながらも、彼にするように頭を下げて挨拶をする。

「突然訪れてしまい、申し訳ございません。初めまして…なまえ様。」
「ふふっ、私を知ってるのなら…あなたが兄さんの言っていた桔梗さんね。」

彼女は驚くわけでもなく、まるで最初からわかっていたかのように私の名前を言い当てた。この口ぶりからすると、どうやら白蘭様から既に聞いていたようだ。再び深々と頭を下げて傅くと、焦ったように東屋から私の隣に降りてきた彼女が頭を上げさせる。

「そんなことしないで。」
「しかし…」
「お願い、桔梗さん。」

彼女の声と共に顔を上げると、彼女はどこか困ったように笑っていた。そんな顔と先程の悲しげにも聞こえる歌がどこかで繋がったような気がして、私は彼女の言葉のままに折っていた足を伸ばした…白蘭様と彼女が似ているというのは、どこか違っていたのかもしれない。白蘭様の近寄り難い雰囲気とは異なり、なにもかもを包むような彼女の優しい雰囲気に包まれながら、ふとそんなことを思った。

***

「あなたが初めて。兄さん以外で私の歌を聞いた人。」

彼女に手を引かれて、私は言われるがまま東屋に座っていた。そんな私の姿を傍らで見ている彼女はどこか楽しげに笑っており、置かれた籠の中にある白い花を一輪ずつ掬い取っては、器用に花冠を作っている。彼女の言葉と共にもう一度、今でも耳に残っている美しい歌声を思い返した。

「まるで天使のような…美しい歌声でしたね。白蘭様があなたを''天使''と称した理由がわかった気がしましたよ。」
「兄さんたら、またそんなことを言っているのね。」

私が白蘭様と同じように彼女のことを''天使''と称すると、彼女は途端に浮かべていた笑みをどこか苦しげなものへと変えた。先程私が傅いた時と同じ反応だった。

「おや、褒め言葉のつもりだったのですが…その呼び方はお嫌いですか?」
「…私は天使なんかじゃない。それに、兄さんも。神様なんて優しいものじゃないの。」

相変わらず苦笑を浮かべている彼女はもう少しで輪を描く花冠を遠い空に掲げながら、白蘭様とは正反対の言葉を口にした。それはまるで遠くの青い空に焦がれているかのようで。私は再び彼女の姿を、取り憑かれたように見つめるしかない。そんな私を知ってか知らずか。美しい顔で私を見上げた彼女は、まるで口封じをするかのように私の唇にその折れてしまいそうな指先を乗せた。

「兄さんには内緒よ。」

純白の庭園を穏やかな風が通り抜ける。風は彼女の絹糸のような髪を揺らし、いつの間にか私を繭のように包み込んでいた。どうやら兄も妹も…一度捕らえた者は逃さない主義らしい。なぜこんな面倒なことはよく似ているのだと苦笑をこぼしそうになったが、美しい彼女に免じて口を閉ざした。代わりに彼女の真っ白い手を取って、誓うようにその白い手の甲へと口付ける。視線だけで彼女の様子をうかがうと、どうやら彼女は満足したのか、微笑んでいるようだった。

「…この歌はね、私の願い。偽りの名前なんていらない。私はただ……傍にいたいだけ。」

まるで祈るように囁かれた言葉は、天にさえ届くことなく消えた。誰よりも神に近い存在である彼女が、本当は誰よりも神から遠ざかりたいと知ったら白蘭様はどう思うのだろう…けれど、彼女だって残酷だ。あの神という名の悪魔の傍にいるためなら、どれだけたくさんの人が死のうと関係ない。天使という名の美しい彼女がしていることは、そういうことだ。そして彼女は、その事実を誰より理解している。
いつの間にか出来上がっていた白い花の冠は、彼女の手の中で静かに揺れていた。私はそんな花冠を彼女の手から掬い取ると、そのまま彼女の頭へと乗せる。絹糸のような髪の上に乗せられた花冠は、やはり天使の輪のようだった。

「ハハン、やはりあなたもあの方の妹だ。誰より残酷な人。けれど私は…そんなあなただからこそ、とても美しいと思いますよ。」

まるで皮肉のような私の言葉に対し、彼女は怒るわけでもなく、ただ微笑んでいた。そしてそんな彼女は今にも消えてしまいそうに儚く、美しかった。

そして僕等は羽根を剥ぐ
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