列車の中はやはり客がいっぱいで、空席は一つもない。ふらふらと周りを見渡しながら歩いていると、少し前を歩いていた信乃に手を掴まれた。

「ん…どうしたの、信乃?」
「なまえがふらふらしてるから。お前見てると見てるこっちがひやひやすんだよ。」
「そ、そう?」

わたしの問いかけに信乃はぶんぶんと首を縦に振った。わたしって、危なっかしいのかな…頭の片隅でそんなことを考えながらも、とりあえず今は信乃の小さな手に引かれながら歩くことにする。

「信乃、なまえ、こっちですよ。」
「おう!」
「はーい。」

わたし達よりも先に歩いていた荘介が、わたし達一行が乗る一等車両へと繋がる扉を開けた。"一等車両"という響きはなんだか高級感があって少しわくわくする…高級感というより、実際高い席なのだけれども。

「はい、ここです。」

わたし達が座る席がある部屋の扉を荘介が開ける。部屋の扉が開いた瞬間、わたしの身体をひんやりとした風が包んだ。どこか、懐かしい香り。
そんな香りが漂っている部屋の中には、赤毛の一人の男性が座っていた。

「すみません、目的地まで相席よろしいですか?」
「ああ、かまわないよ。」

綺麗な赤毛だなあ、と思いながらぼうっと彼を見つめていると、そんなわたしに男性がにっこりと微笑む。そんな彼に御辞儀をして席に付いた。
なんだかこの綺麗な赤毛には、見覚えがある気が…する。

「帝都に着くのは夕方ですから、眠っていてもかまいませんよ。」
「んー」
「夕方かぁ…」
「まあ、なまえなら心配しなくても眠れば一瞬で着きますよ。」
「う…」

確かに、昨日はよく眠れなかったので、列車の中ではぐっすり眠れそうな気もする。わたしのことをわかりきっていてからかっている荘介に、なにも言い返せず、なんだか悔しい。

「ふうん…三人とも、教会の人間か?兄弟?」
「はい…の、ようなものです。」

彼はわたし達の首にかかっている十字がを見て言う。そんな彼の視線に、反射的に信乃と荘介の服の裾を掴んでしまった…やっぱり知らない人、怖い。

「教会のヤツにしてはずいぶんいい身分だな。ここは一等車両だ。それともいつもこうなのか?」
「いいえ?俺一人ならともかく、今日は連れがいるので…帝都までは長旅ですしね。」
「ねえ。」

ふと、信乃が窓の外を指さした。先程までは快晴だった空は暗くなり、雨が大きな音を立てて降っている。赤毛の男性の話によると、どうやら嵐が近付いているらしい。

「さっきまで晴れてたの…ぶしっ!」
「信乃?」
「くしゃみ…大丈夫?信乃…ぐしゅっ!」
「なまえ…」

くしゃみをした信乃を背をさすろうとしたわたしだったけれど、わたしもくしゃみが出てしまい、信乃と荘介は口を押さえるわたしを見て苦笑いをこぼした。

「雨のせいか冷えますね。二人とも、少し待っていてください。今、ラウンジに行ってあたたかい飲み物をもらってきます。」
「んー」
「うぅ…ごめんなさい。」
「いい子にしてるんですよ?」

荘介は自分の上着を脱いで、わたしと信乃の背にかけてくれた。わたし達二人の背にかかって、少し小さいくらいの荘介の上着。荘介って大きいんだなあ、と改めて感じる。

「ずいぶんと過保護な兄だな。それとも、君達がそうさせるのか?」
「…?」

男性の言葉にわたしが首を傾げていると、隣で信乃が小さなぽそり、となにかを呟いた。

「雪の匂いがする。」

そんな信乃の言葉を聞き、男性は動揺した様子で立ち上がった。なにか心当たりがあるのだろうか。そして信乃の呟きとともに、いっそう強くなった懐かしい香り"雪の匂い"。

「この雨も案外、雪になっちゃったりして。」
「そうだね。なんだか妙に寒いし…」
「そ…そんなハズないだろう?寒いとはいえ、今はそんな季節じゃないだろうが!!」
「まあ、フツーならねー」

じっと、窓の外を見つめる信乃。そんな信乃に釣られて、わたしも窓の外に目を移した。相変わらず強い雨…こんな雨が雪に変わったらどうなるんだろう。

「見てみたいよねぇ、真夏に降る雪。なぁ?」

信乃が誰かに尋ねるように言う。すると、窓の外で降っていた冷たい雨が少しずつ、白い結晶へと変わっていった。

「わあ…!雪!」
「へへっ、ラッキー」

真夏の空できらきらと輝く結晶は、触れたらすぐに溶けてしまいそうな、そんな儚いものにも見えた。真夏に雪を降らせる、こんな芸当ができるのは"彼女"くらいだ。
季節は違うけれど、今日は久しぶりに会えるのかもしれない。

「よーお。」

そんなことを考えながらわくわくしていたのに、突然部屋に入って来たのは酒瓶を持って酔っ払っている中年の男性。部屋に充満する酒の臭いに、思わず手で鼻を塞いだ。

「なんだ、席なら空いてるじゃねーか。
あの車掌、大嘘コキやがって。ホラ、クソガキ、そこどきな!」

無理矢理席に座ってくる男。なぜ、こんな人が一等車両に乗ってきているのだろうか。

「それにしても、客を座らせねえってどーゆー了見だっての。なあ嬢ちゃん?」
「……」

運悪く、男の目の前に座っているわたし。にやにやと顔を歪めながら話かけてくる男は、気持ち悪いの一言しか出てこない。

「…いや?車掌の言い分は合っている。
ここは一等客車で、君の席はない。
まして一般客の立ち入りも禁じられているはずだが?」

赤毛の男性の言葉に、男は立ち上がって男性を怒鳴りつける。
その時、ちょうど飲み物を取りに行っていた荘介が戻って来て、部屋の扉が開く。赤毛の男性は酔っ払いの男をその長い足で蹴り飛ばし、信乃は瓶に詰めていた目玉の子を男に投げつけた。

「なにしやがる!!このボンクラクソ…が…っ!?」

最後は、荘介が男を部屋の外に投げ飛ばし、目玉の子に熱いお湯をかけた。そのお湯で大きくなった目玉の子がその重みで男を潰す。

「ハイ、そこでじっとしてて。」

扉を閉めて、なにごともなかったかのように持っていたトレーを備え付けのテーブルに置いた荘介。そんな荘介に、信乃はグッジョブと親指を立てた。そんな光景を見て、波打っていた気持ちが一気に落ち着く。

「荘介、おかえりなさい…!」
「はい、もう大丈夫ですよ。」

頭を撫でてくれる荘介の温かい手。とても、落ち着く。

「信乃、ミルクティーでよかったですか?」
「おう!」
「はい、なまえは紅茶です。」
「ありがとう…!」

荘介からそれぞれお茶の入ったカップを受け取り、温かいお茶を堪能するわたし達。そんなわたし達に対し、男性は扉の向こうを見て固まっている。

「め、目玉…目玉が…っ!?」

そんなことをしている間に、いつの間にか真夏の雪は雨に戻っていた。

***

降り続いていた雨も止み、わたし達の帝都へと旅は順調に進んでいた。ぼうっと窓の外を見つめていたわたしの隣で信乃はいつの間にか眠りについており、車内は先程の騒動も、なにもなかったことのように静まり返っている。

「なまえも眠かったら眠ってもいいんですよ?」

今まで黙って本を読んでいた荘介が、ぼうっとしているわたしを見て言う。確かにいつもはわたしもすぐに昼寝をしてしまうけれど、なんだか今日は不思議とあまり眠くならない。

「ん…なんだか、今はあんまり眠くないから大丈夫。」
「そうですか。それならいいんですけど…珍しいですね。」
「う、うん…わたしも思う。」

特に昨晩は浜路のこともあってよく眠れなかったのに眠くならない、なんて。けれどその理由は、相変わらず車内に漂っているひんやりとした空気と、雪の匂いが関わっているのかも、しれない。
一方、目の前に座っている赤毛の男性は、そんな普通の会話を交わしたわたしと荘介をなんとも言えない目で見つめてくる…そこまで変な会話はしていないと思うんだけれど、も。

「ああ、だいぶ縮みましたね。」

荘介はわたし達の側に転がっている目玉の子を見て、席を立った。確かに大きさはさっきの半分くらいになったかもしれない。

「信乃に見つかると今度こそ捨てられますよ?」
「捨てる…って言う選択肢以外はないの、かな。」
「じゃあなまえが持ち歩きます?」
「え…」

目玉の子を絞りながらそんな提案をした荘介。まさかそう言われるとは思っていなくて、答えに困ってしまった。
小さいサイズの時はポケットに入れてても問題はないけれど、万が一服が濡れでもしたら…

「……自然に帰してあげることに、する。」
「まあ、それがいいでしょうね。」

荘介は、先程信乃が食べていたさきいかの袋の中に小さくなった目玉の子を放り込んだ。目玉の子が入った袋を見て、赤毛の男性はうわっ、とか細い声を出しながら窓に張り付く…なんだかこの人、見かけによらずオーバーリアクションな人だなあ。そんなことを考えながら彼を見ていると、ふと近くからなにかの音、が聞こえた。シャラン、鈴の音のようなその音は一見可愛らしくも感じる。
その音、は徐々にこちらに近づいて来ていた。

「ここか!?妖共!!このゝ大がとっとと退治してくれるわ!!」

大きな音を立てて勢いよく扉を開けたのは、法師の男。鈴、だと思った音は、どうやら錫杖の音だったみたいだ。
先程の男なり現在目の前にいる法師なり、なぜこんなに嫌なお客さんが多いのだろうか。

「四人か…人に化けるとはこれまた…んん?」

男は、涼しげに座っている赤毛の男性に目を止めた。そんな男性から突然放たれた冷風、冷たい空気で凍りつく車内。
男性の後ろからは白い影が揺れている。その白い影は法師に近づくと、細く白い手を法師に翳し、法師の身体を凍りつかせた。

「雪…?雪姫…?」

目が覚めたらしい信乃の声に白い影、雪姫は透き通る髪を揺らしながら、本来の美しい姿に変化した。雪姫のひんやりとした手がわたしと信乃の頬に触れる。

「雪ちゃん…?」

顔を上げて、改めて彼女の名前を呼ぶと、彼女は微笑みながらこくこくと頷いてみせた。雪姫に会うのはとても久しぶりだ。

「やっぱり雪姫だ。久しぶりー!」

雪姫に触れているわたしと信乃に、雪姫を連れていた本人、赤毛の男性は驚きの表情を見せる。

「…ちょ…ちょっと待った!!キミ達、どーして彼女に触れる!?と、ゆーか、キミら知り合い!?」
「うん。雪ん中森で遭難しかかってるとこ、助けもらったんだよ。それから毎年、冬が来るとよく遊ぶ。」

そんな信乃の言葉に、今度は荘介がわたし達をじっと見つめてくる。

「……へー雪の中遭難ねえ…それは初耳。」
「わ、わわたしは、遭難はしてないよ?」
「…遭難"は"?」
「う…」

ぐさぐさと突き刺さる荘介の言葉に、雪姫の後ろに隠れる。そんなわたしを見て、彼女はくすくすと笑った。
"冬の森には、綺麗な歌声を響かせる雪姫がいる"
そんな話を信乃から聞いたわたしは、わたしもその歌を聞いてみたくて、一人で森に入り、結局迷子になったところを雪姫に助けてもらったのである。

「そ、そういえば雪姫、最近姿見てなかったけど…!ヌシ様も心配してたぜ!?いやーこんなトコでビックリ!!」

わたしと信乃の傍を離れ、今度は赤毛の男性に抱きついた雪姫。どうやら雪姫は、彼のことを相当気に入っているようだ。そんな雪姫に対し、彼ははあと溜め息をつくと、わたし達を見て言った。

「あーいや、それなら話が早い。ぜひとも頼みがある。」
「頼み?」
「頼むから…彼女にわたしから離れるよう説得してくれないか!?頼む!」
「ハア?」

そんな赤毛の男性の言葉に、今度は信乃が顔を歪ませて溜め息をついた。

「彼女が取り憑いてから、友人も恋人も気味悪がって皆離れていくし、冬はもちろん、夏でもわたしの周りはこんな寒さだ!!体も寒いが心はもっと寒い!!こんな生活もうイヤだーー!!」
「あー」
「ゆ、雪ちゃん、取り憑いてるわけじゃないと思うけど…な。」

必死に叫ぶ赤毛の男性に信乃は、そりゃムリと、すっぱりと言い放った。そんな信乃に赤毛の男性は何故!?と凄い剣幕で聞き返す。

「雪姫がこの季節に人前に出ることは、まずない。よっぽどアンタを守りたいんだろ。それに…雪姫がアンタから離れたら、アンタ死ぬ。」

真っ直ぐな信乃の言葉に、赤毛の男性はぽかん、と口を開けて言葉を失った。そんな彼に信乃は続ける。

「どーせ雪ん中死にかかってるとこ助けてもらったんだろ?諦めろよ。」
「じゃ…じゃあわたしは一生このまま…!?冗談じゃない!!」

冗談じゃない、彼の一言に、信乃の目が変わる。

「自分だけがそうだと思うなよ?アンタを生かす代わりに雪姫もその代償を支払った。」

死の間際にいる者を、死から救う。それには、大きな対価が必要である。
それは人間でも、もちろん、妖怪でも然り。

「少なくとも彼女は…」

そう言いかけた信乃を、雪姫が止める。
自らの唇に白い人差し指を当ててまるで"言わないで"と"言いたげ"なその動作。
そんな雪姫に、信乃は眉間に皺を寄せながら渋々開いていた口を閉ざした。

泣かないで 私はずっと傍にいる
花が目覚めるときも
空が泣くときも
月が闇にあるときも

真っ白できらきらと輝く世界を優しく包み込んでくれる、美しい歌声。
そんな彼女の歌が、わたしはとても大好きだった。

あなたの傍に

わたしも、大切な人の傍にいたい、と願っていたから。


破れそうな沈黙を縫い続けて
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