顔かたちうつくしけれども
いとおそろしきものにて、
夜なゝゝ出て男の精血を吸、
つゐにはとり殺すとなむ。


***

白い頬を薔薇色に染めて、貪るように己の首筋に顔を埋める女は、正に男を誘惑するために生まれたのだと言っていいほどに美しいと、一目連はぼんやりと霞む思考の中思った。こうしている間にも女のやわらかく魅惑的な体遠慮なく一目連の体に押し付けられ、細い指先は何度も首筋をなぞる。再び強く首筋に吸い付いたかと思うと、彼女はおもむろに顔を上げた。こちらを虚ろに見下ろす宝石のような紫色の瞳は、彼女が一目連と同じく人ではないということを静かに告げている。息を吐く唇の端からは吸い損ねた鮮血が伝い、彼女の乱れた着物の胸元を汚していた。鮮血と同じ紅色の着物は先日新調したばかりなのだと言っていたのは他でもない目の前の彼女で、一目連は後から聞かなくてはならないだろう嘆きを予想して思わず苦笑を浮かべる。
しかし今目の前の彼女はそんなことを気にも止めず、再び一目連にしがみつく。吐息だけがこぼれていた口からはやがて嗚咽が混じっていき、首筋には新しくあたたかい涙が伝う感触を感じる。

「ごめんなさい…ごめんなさい。」

嗚咽に混じって聞こえて来たのは、彼女の口から無心に紡がれる謝罪の言葉だった。そんな謝罪とは裏腹に、彼女の唇は相変わらず一目連の首筋を伝い、やがてちくりと甘い痛みが走る。
開いていた窓から、ようやく顔を出した満月の月明かりが一目連と縋りつく彼女を照らした。絨毯に点々と染みを作っている鮮血。輝く月と同じ色をした帯は月明かりに反射し、一目連は誘われるように彼女の背中に腕を回す。その腕に彼女はぴくりと肩を揺らしたが、それでも首筋に埋めた顔は上げることはなかった。静かな夜に響くのは二人の熱い息遣いと、彼女…飛縁魔が血を啜る音だけ。謝罪の言葉を繰り返しながらも貪るように血を啜る彼女には、もう長い付き合いである一目連も慣れたものだった。
''飛縁魔''とは、女の色香に惑わされた挙句に自らの身を滅ぼしたり、家を失ったりすることの愚かさを諭す言葉とされる。そして飛縁魔はその美しい姿に魅入った男の心を迷わせて滅ぼし、家を失わせ、ついには命をも失わせる妖怪だ。彼女は他の三藁と同じく、地獄少女…閻魔あいに拾われるまで、数え切れないほどの男を殺して来た。男の血を求めるのは彼女の妖怪としての本能のようなもので、たとえ彼女の理性が血を啜ることを拒んでも、彼女の体はただひたすらに男の血を求める。飛縁魔があいの地獄流しを手伝うようになってから、人間の男の代わりに彼女に血を与えるのが、一目連の新たな仕事になっていた。
しかし、体が血を求めても彼女の理性は数え切れないほどの男を殺して来た己を悔い、こうして一目連の血を啜ることさえも拒絶している。それでも、満月の夜は衝動を押さえ込むことができずにこうして無我夢中に一目連の血を啜るのだ…咽び泣き、謝罪の言葉を繰り返しながら。

「ごめん、なさい…ごめんなさい。ゆるして、一目連。」

彼女はいつもこうして許しを請う。胸元を血で濡らし、紫色の魔的な瞳にいっぱいの涙を溜めながら。それを真っ直ぐに見つめながら、一目連は決まって口にするのだ。

「…許さないよ、絶対に。」

にっこりと、恐ろしささえ感じるほど美しく笑いながら一目連はそう告げた。一目連の言葉に、彼女の瞳から再び涙が流れる。そんな彼女を見つめながら一目連は思うのだ。彼女は苹果によく似ている。苹果の花言葉は、その部位によって意味を変える。苹果そのものの花言葉の中には''後悔''という言葉がある。そして、その甘い果実の言葉は''誘惑''。
哀れで美しい彼女を救えるのは、今はもう一目連しかいない。だからこそ一目連は彼女を決して許しはしないのだ。彼女の方から誘惑してきたのだから、もう離れさせたりなどしない。離れるくらいならばいっそ己の血を捧げて、彼女の一部になりたい。彼女の色香に惑わされながら消えるのなら何も怖くないと考えてしまう己は…もう狂っている。
縋りつく彼女の涙を舐め取りながら、一目連は揺らぐ世界から瞳を閉ざした。

***

彼女が何より恐ろしいのは、今はこの世でただ一人、彼女に血を与える美しい男を自らの手で殺してしまいそうになることだった。
限界まで血を吸われて眠る男…一目連を見つめながら、飛縁魔はただ縋るように彼の左胸に耳を当てる。規則正しく響く心音は、彼が今も確かに生きている証拠だった。まあ、彼の正体は幾千もの人の血を啜ってきた刀の付喪神なわけで、そう簡単に死ぬ筈はないのだが。それでも、彼女は彼が消えることが何より恐ろしいのだ。

「一目連…」

眠る彼の存在を確かめるように、彼の胸から顔を上げた彼女は顔の頬へその白い手のひらを滑らせる。そして辿るように彼の首筋についた数え切れない噛み跡をなぞった。それはどれも、他の誰でもない彼女が一目連に刻んだもの。彼女は、男の血を吸わなくてはならない己が大嫌いだった。一目連の血も、最初は拒んでいた。しかし心が血を拒否しても、彼女の体は狂おしいほどに男の血を求めるのだ。そして、同じように幾千もの人の血を啜ってきた一目連にいつの間にか己を重ねてしまった彼女は、一目連を愛してしまった。
一目連の血は日に日に熱く、甘くなっていく。吸う度に、彼女は一目連の傍を離れなれなくなっていた。しかし、彼女はいつ自分が理性を忘れて彼を吸い殺すのかが不安でたまらないのだ。

「ごめんなさい…」

何度目かもわからない謝罪が、彼女の口からこぼれ落ちる。彼はこの言葉を聞くと決まって''許さない''と答えて、彼女を縛り付ける。そして彼女も、彼の言葉のままに彼に縋ることしかできない。
そうして彼女は、これからも狂いそうになる感情を必死で抑えながら愛おしい男の血を啜るのだ。

足りない夜に願ったこと

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