なまえはよく夢を見る。何度も何度も同じ夢を。それは気が遠くなるほどに長かった。それから…何度も同じ人物に出会った。覚えているのはたったこれだけ。いつものように今宵も同じ夢を見て起きたなまえの頬には、いつの間にか涙が伝っていた。何度も拭っても枯れることのない涙は、まるでなまえの奥底に眠っているなにかが泣き叫んでいるかのようで。なまえは少し呆れたように苦笑を浮かべる。こうなるとすぐには眠れそうにないと感じて、なまえは縁側へと腰を下ろした。昼間は子供達の声が響き渡るこの寺子屋も、こんな真夜中では虫の声しか聞こえてくることはない。まだ寒さが残る初春の夜に囁く虫の声に耳をすませながらそっと瞳を閉じていると、虫の声に紛れてこちらに向かってくる小さな足音が聞こえてくることに気がついた。

「眠れませんか?」

やがて足音はなまえの傍らで止まり、代わりに穏やかな声がなまえに届いた。大好きなその声を聞いたなまえは閉じていた目をすぐさま開くと、無意識に緩む頬を隠しきれないまま顔を上げる。

「松陽さんこそ。なかなか戻らないと思ったら、またお仕事ですね…?」
「あはは、なまえにはバレバレでしたか。」

見透かすように答えたなまえに対し、松陽は少し困ったように苦笑を浮かべる。しかしこのやり取りは二人にとってはもう慣れっこのようで、なまえは松陽の手を引いて隣に座らせると、少々得意げに言ってみせた。

「ふふっ…もちろん。わたしはあなたの妻ですから。」
「そうですね。あなたは私の可愛らしい妻です。」

なまえの言葉に答えるようにこれまた恥ずかしいことをさらりと口にした松陽だが、等の本人はけろりとした顔で妻の頭を撫で、なまえはというと先程こぼしたばかりの得意げな言葉はどこへやら。これでもかというほどに顔を真っ赤に染めて、俯いてしまった。

「…これだから天然は。」

小さな声で恨めしそうに呟かれた一言を聞いていたのか、いないのか。松陽はなまえの頭を撫でていた手を頬へと滑らせると、そのまま口を開いた。

「それより、また夢ですか?」

なまえが一言も事情を話していないにも関わらず、松陽はなまえがなぜこうしているのかをぴたりと当ててしまった。先程とは全く正反対の状況に思わずなまえは苦笑を浮かべ、頬に当てられた手のひらに自らの手を重ねながら頷く。

「…はい。夢を見て泣いてしまうなんて、なんだか子供みたいです。せめて見ている夢の内容を覚えていれば、少しはすっきりするのでしょうけど…」
「そうですね。けれど、夢の内容を知ってすっきりするとは限りませんよ。」

溜め息混じりにこぼされたなまえの返答に対し、松陽はまるでなにかを見透かしているかのような。真っ直ぐな瞳でなまえを見つめながらそう口にした。それを聞いて初めは呆気にとられたようにぽかんと口を開けたまま固まるなまえだったが、すぐにくすくすと笑いをこぼす。

「でもやっぱり…知らない事には始まらないじゃありませんか。それに、わたしが見ている夢がどんなに悲しいものだとしても……わたしはきちんと受け止めたいんです。」

自らの想いを迷いなく口にするなまえの瞳は、春の日だまりのように優しく輝いていた。それは松陽が何度も。気が遠くなるほど昔から何度も目にして、いつまで経っても決して変わらないものだった。

「どんな事も目を背けずに、自分なりの答えで受け止める。それを教えてくれたのは他でもない…あなたです。」

なまえの瞳に映っているのは他でもない、松陽一人きり。そしてなまえはただ松陽の手のひらを繋ぎ留めるように握りながら笑っていた。

***

「…どうしてこの人は、何度出会っても変わらないのでしょうね。」

ようやく眠りについた妻のあどけない寝顔にそっと触れながら、松陽は遠い記憶の底からなにかを引っ張り出すかのように言葉を吐いた。今目の前にいるこの、彼女と出会ったのは、松陽が天導衆から抜け出した時のことだった。追っ手に追われ、最初の教え子を失い、疲弊して倒れていたところを助けられたのだ。しかし、松陽がなまえと出会ったのはこれが最初ではない。二人が初めて出会ったのはそれはもう…気が遠くなるほどの昔。

「あなたは何度出会っても、どんな私にもその春の日だまりのような瞳で見つめて、笑いかけてくれました。」

これは偶然か。単なる奇跡か。はたまた地球が生み出した化け物へのたった一本の蜘蛛の糸か。なまえは化け物…虚が吉田松陽となる以前から、何度も何度もどの時代にも虚の前へ現れた。どんな時にも必然のように二人は出会い、なまえは老いることなく死なない体を持った虚に、ただ一人だけ笑いかけた。そして彼女は決まって…他の誰でもない虚の手で殺された。それでも彼女はしばらくすると、惹かれるように彼の前へと現れる。

「あなたも私と同じ。地球のアルタナが気まぐれのように生み出した突然変異。」

虚と彼女は近いものを地球のアルタナによって与えられた。虚は永遠に続く時間。そして彼女は何度でも生まれ変わることで繋がれる…巡る時間。しかし彼と彼女が決定的に異なるのは、死ぬことができるのかできないのか。

「今までの私は恐ろしかったのでしょう。ただ一人、無条件で優しさを与えるあなたが。永遠に生き続ける己とは違い、人のように命を終え、生まれ変わるとしても全てを初めからやり直す事ができるあなたが憎かった。」

結局噛み合うことのない二人にも関わらず、何故か二人は何度でもこの地球で出会うのだ。

「そしてあなたを手にかける度に、優越感と今まで感じる事のなかった小さな後悔を感じるようになった。"私"のような人格が生まれたきっかけの中に、あなたという"小さな後悔"があった事も含まれているのかもしれません。」

松陽は紛れもなく愛おしいものを確かめるように、なまえの細い指に自分の指を絡ませた。数え切れないほど目の前の女を殺してきたその手は、今は目の前の女を愛でる手となっている。それはとても皮肉なものだが、それでも松陽は満足げに笑みを浮かべた。

「…あなたはどんな事でも目を背けないと言ってくれました。だから私も、あなたが忘れていたとしても…今まで私があなたにした事を忘れたりなどしません。」

松陽の中に、今まで出会った彼女が言ったたくさんの言葉がよみがえる。それはすぐには言い出せないほど様々で、けれど一つだけわかっているのは…彼女はいつ出会っても優しく、奪うことしかできなかった自分には摘み取ることしかできなかった小さな花だったということ。しかし、それはもう昔の話。

「私も戦います。奪うことしかできなかった自分自身と。そしてたとえ限られた時間であっても……今だけはあなたを守り、傍にいます。」

今は誰にも知られることのない…けれどいつか必ず必要となる決意を固めて。松陽は未だ眠り続ける小さな花に口づけを落とした。

彼女が春を澱ませたのなら

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