もうどれくらいこの場所にいるのだろう。
ふとそんなことを思ったわたしは閉じていた目蓋をそっと開いて、目の前に広がる真っ白な世界を見つめた。
わたしが座る場所を囲むように広がるのは、一面の百合の花畑。この場所に来てからのわたしの毎日は今までの忙しない日々が嘘のように穏やかだった。今のわたしの仕事、それは花畑に咲き誇る真っ白な百合の花を毎日一本ずつ集めて、大切な"彼"に渡すための大きな花束を作ること。
わたしがこの場所に来てからの長い時間を表すように、わたしの腕の中には腕ではもう納まりきらないほどの大きな百合の花束が出来上がっている。その花束は不格好で花屋さんで売っている花束とは比べものにならないけれど、きっと優しい彼は笑って"ありがとう"と微笑みかけてくれるのだろう。最後に彼の顔を見たのはもうずっとずっと前だけれど、少しずつ穏やかに色褪せていく記憶の中で彼の微笑みだけは瑞々しくわたしの中に残っている。
この場所はとても不思議な場所だ。時間の流れがゆったりと穏やかで、お腹も空かないし眠たくもならない。
つまりこの真っ白な世界は、中間地点。
この場所にいる人は様々で、わたしと同い年くらいの若い人もいれば、小さな子供もうんと歳をとった人もいる。けれど共通しているのは、皆"大切な誰か"を待っている人達だということだ。
わたしの待ち人はまだ来ないけれど、待ち人が姿を現した人は二人で一緒に花畑の先にある小さな駅に向かっていく。そして駅から出ている古ぼけた列車に乗り込んで、花畑を抜けていくのだ。その時に花畑を通り抜ける風はとても優しくて懐かしい香りがする。それは、わたしの中のもうずっと昔の懐かしい思い出を呼び起こすのだ。

なまえ

やわらかい声でわたしの名前を呼ぶ声を。わたしの頭を撫でてくれた優しい手のひらを。小さな弟とわたしに挟まれてちょっぴり困った顔を。一族みんなで笑い合った思い出を。
あの、最後の夜の日を。
優しい思い出の中に埋もれるあの日の満月を思い出して、わたしは大きな百合の花束にそっと顔を埋めた。それは彼そっくりの優しい香りがした。
あの日、彼はいつものように優しくわたしの名前を呼んだ。月の光に照らされる彼は静かに涙を流していた。元から男の人なのに花が似合ってしまうとても美しいひとだったけれど、わたしはそんな彼がとてもきれいだと思った。体に滲む痛みなど感じない程に。
すまない、あいしてる。そんな言葉だけを残してわたしの視界から消えてしまったとても優しい彼。あの時のわたしは少しだって彼の力になれなくて、いつもいつも背中を見てばかりで。それでも、彼はわたしを愛してくれた。だからわたしはこの場所でずっと、世界で一番大切でだいすきな彼のことを、イタチのことを待っているのだ。
真っ白な花束から顔を上げて、わたしはその場に立ち上がった。ゆらゆらと揺れる百合の花。空は桃色と青色が混ざり合って幻想的に輝いていた。そんな空の下で、わたしはいつもの仕事にかかる。一輪の綺麗な百合の花。満開に開いた花びらは瑞々しく輝いている。
ちょうどわたしが花から顔を上げた、その時。ふわりと風を巻き上げながら白い花畑の間を列車が通り抜けていった。わたしの頬をなでる風は、やっぱり優しくて懐かしい香りがする。わたしの大好きな、とても安心する香り。なんだか今日の風は妙に懐かしく感じて、わたしはこぼれそうになった涙を片手でぬぐった。けれど、涙はいっこうに収まらない。

「泣いているのか?」

声が聞こえた。とても懐かしい響きだった。声を聞くだけでその声の正体がわかってしまったわたしは、ずっとずっと待っていた大切な彼ののなまえを呼びながら、ゆっくりと振り返る。

「イタチ。」
「すまない、もう遅かったか?」

少しばかり困ったような顔をしながらそう言った彼は、わたしが恋い焦がれた美しい姿のまま、変わっていなかった。あの頃と変わらず綺麗に流れる黒髪、整った顔、優しい声。
わたしは今どんな顔をしているのだろう。顔を合わせるなりあの日の夜と同じことを言う彼は、相変わらず人のことを考えてばかりの優しい人だ。

「ううん。遅くなんて、ないよ…お疲れさま。」

わたしの言葉にイタチは特に返事をするわけでもなく、ただ、穏やかな笑みを浮かべていた。きっとその瞳の奥に映っているのはわたしもまだ知らない、イタチの大切な思い出。
おつかれさま、その言葉は本当にイタチに捧げるに相応しい言葉だったのだろうか…否、今はこれでいいのかもしれない。美しい彼を飾る言葉なんて、きっとわたしにはなかなか見つからないから。それにわたしは、言葉で伝えることができないから今まで彼への贈り物を作り続けてきたのだ。真っ白な百合の、少し不格好な花束。男の人なのに花が似合う彼に、わたしが作った特別もの。
わたしは穏やかに微笑む美しい彼に、そっと花束を差し出した。

「ずっと、待ってた。」

それはこの場所に来てから、毎日わたしの頭の中に流れていた言葉だった。いつか、やるべきことをやり遂げた彼がわたしを迎えに来てくれた時に。この真っ白な世界で、静かに目蓋を閉じていつも彼のことを考えていた。
わたしの言葉を聞いた彼は相変わらず優しい笑みでわたしに微笑みながら、わたしが差し出した花束を受け取った。思い出の中ではなくて、実際に聞いた久しぶりの"ありがとう"という言葉はなんだかくすぐったくて、わたしは少し俯く。

「ごめんね。花束、不格好で。」
「そんなの構わないさ。こんな俺のことを、待っていてくれてありがとう。」

俯くわたしの頬に、イタチの白い手が触れた。それは昔と変わらずとてもあたたかい、今も変わらずわたしが愛している人の手だった。そんな彼の手に、わたしはそっと自分の手を重ねる。
ふわり。再び花畑を通り抜けて行った列車が真っ白な花畑にやわらかい風を起こした。鼻を擽るのはとても懐かしくて大好きだった香り。
けれど、わたしはもうその香りに焦がれることはないだろう。

ノスタルジアと幻像のほとり

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