禁城の最上階の奥、そのまた奥の光の閉ざされた部屋には"黒い悪魔"が住んでいる。
そんな、まるで御伽噺のような噂は数十年前から禁城の中で囁かれていたものだった。"黒い悪魔"は地に付くほど長い黒髪を引きずり、血のような真っ赤な目を光らせ…そしてその悪魔は、身体の一部に少しでも触れた人間を一瞬で殺してしまうという。そんな噂のため、禁城の最上階の奥の部屋に近付く者はほとんどいない。
人が歩く足音さえしない最上階の静寂に包まれた廊下を、長い長い黒髪の少女はぺたぺたと一人歩いていた。彼女はある大きな扉の前で立ち止まると、長い袖の服から白い手を出して扉を開け、中へと入る。少女の部屋には大きな窓があり、その窓はまるで誰かを待っているかのように全開にされていた。

「まだ、かな。」

少女、なまえは少し口元を緩めながら大きな窓の前に座る。その時、ふわりと風が吹いて部屋の中にどこからか桃色の花弁が入ってきた。なまえはそれを目を輝かせながら追うが、花弁が伸ばしかけていたなまえの手に触れた瞬間、その桃色はみるみるうちに茶色へと変色して力なく地に落ちた。なまえはそれを見て悲しそうに目を伏せる。

「…ごめんね。」

なまえの小さな声に合わせてばたばたと羽ばたいたのは真っ黒なルフ。そのルフは茶色く変色した花弁もどこかへと連れて行ってしまった。
その手で触れたものの白いルフを全て消してしまう、つまり…殺してしまう。なまえこそ、禁城で囁かれている"黒い悪魔"だった。

***

窓から外を見つめてずっと彼を探していたわたしは、彼の最大の特徴である黒くて長いしっぽを見つけて思わずあ…!と声をあげた。わたしが身を乗り出して見つめていることに気がついたのか、彼、ジュダルはわたしを見てまるで呆れたような顔をしたけれど、浮遊魔法を駆使してわたしの所まで来てくれた。

「おかえりなさい、ジュダル。」
「お〜あ、そうそう。これ土産。」
「わ…!ありがとう。」

下からいとも簡単に最上階のわたしの部屋に来たジュダルは、これまた真っ赤な袋をわたしに渡すと、疲れた、とこぼしながらわたしのベッドに転がった。わたしもベッドに腰かける。けれど、ジュダルが勢いよく転がったせいで周りに置いてあったものが色々倒れてしまった……まあ、いつものことなので気にしな、い。わたしはとりあえずジュダルから貰った袋を傍に置いて、転がっているジュダルに尋ねた。

「今日は城下に行ってたんでしょう?楽しくないの?」
「全然。だってただ歩いて、偶に食べ物食ってるだけだけだぜ?強いヤツと戦うわけでもねーし。神官だからってなんでこんなことしなきゃいけねんだよ。マジで怠いー」
「ふふっ、ご苦労様。」

今日は珍しく神官、としてお仕事をしてきたジュダル。それがなんだか新鮮で思わずくすくすと笑っていると、ジュダルは不機嫌そうにむすっとした表情になった。

「笑ってんじゃねぇよ。つか偶にはなまえが行けよ。引きこもりだけどお前一応神官なんだし。」
「わ、わたしが城下になんて無理だよ。お城の人達にも怖がられてるのに。それにわたし、一瞬でも生きてるものに触れたら…」

言葉の続きを言わないわたしの代わりにジュダルは殺すって?、と薄笑いを浮かべながら言った。そんな彼とは正反対にわたしはぎゅっと自分の手を握りながら俯く。わたしの頭に浮かぶのは、さっき部屋に入ってきた桃色の花弁…けれど、それはわたしの手に触れて枯れてしまった。わたしが命を奪ってしまうのは草花だけではなくって、人間も、だ。わたしのこの体質は生まれた時からのものだったようだけれど、幼い頃のことは記憶が曖昧で、わたしにもよくわからない。

「なまえ、」
「わ…」

唐突にわたしの名前を呼んだジュダルは、転がっていたベッドから起き上がってわたしの腕を引いた。わたしが驚いている間に、わたし達の額がくっつく。わたしとおんなじ色の真っ赤なジュダル瞳にわたしが映っていた。くっついている額からは微かにジュダルの体温が伝わってきて、ジュダルが生きている、ということがわかる。

「…不思議、だよね。ジュダルだけはわたしに触れても大丈夫なんだもん。」
「お前、そう言ってるわりには手、震えてるけどな。」
「あ…」

わたしはジュダルに手を掴まれて、初めて自分の手が震えていることに気がついた。
わたしの体質は、なぜかジュダルだけには効果がない。それはジュダルが堕天していることが関係しているのかな、なんて考えもするけれど、難しいことはわからなくってもいい。人の体温にさえ触れることが許されないわたしが知るのは、ジュダルの体温だけなのだ…わたしにはジュダルだけしかいない。だからこそ、もしもわたしがジュダルまで殺してしまったらどうしよう、っていつもいつも不安になる。

「俺はなまえの体質、面白いと思うけど。お前はそう思わねぇの?」
「そ、そんなこと思わないよ…!ジュダルの考えがちょっと変なの。」

わたしの言葉に、ジュダルははあ?とでも言いたげに眉をしかめた。そんな彼にわたしは再びくすくすと笑みをこぼす…わたしは、口では変、なんて言ったけれど、本当はジュダルがそんな風に考えてくれてよかった、と思っている。だってジュダルがいなくなってしまったら、わたしは冷たくて無機質なものに囲まれた世界で、一人ぼっちで生きていかなきゃいけないんだもの。わたしはそれが怖くて怖くてたまらない。

「ねえ、ジュダル。」
「ん?」
「…なんでもない。」
「はあ?なんだそれ。」

わたしをひとりにしないでね、そんなことが口から出てきそうになって、わたしは思わず口を結んだ。その代わりにぎゅっとジュダルに抱きつく。どくどくと聞こえてくる心臓の音は、わたしに安心感を与えた…たとえジュダル以外の生きているものに触れることができなくっても、彼がいてくれるならいいの。なにもいらないの。ふと、背に回ったジュダルの腕にわたしはゆっくりと目を閉じた。

乾いたくちびるで攫うえいえん

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