人が立ち入ることのない森の奥深くにある美しい湖。そこは人魚と呼ばれる存在である私の住む場所でもあった。佇んでいるといつものように足音が聞こえてくる。

「なまえ!」

静まり返っている森の中に響く少年の声。それが誰かは声を聞いた瞬間に分かってしまった。

「信乃!」

森の中から姿を現した少年、信乃。普通の人間なら入って来る事の出来ない森の奥。信乃はそんな森の奥に入る事が出来る、森に愛されている少年でもある。

「また遊びに来てくれたの?」
「毎日あっついしな。ついでに水浴びでもしようと思って。」
「嬉しいな。信乃が来てくれて。」

隣に座った信乃の頭を撫でると、彼は照れくさそうにそっぽを向く。そんな横顔に何だか言葉に出来ないような感情を感じた。
私が人間とこんな風に親しくなったのは初めての事だった。人間の間で人魚は不吉の象徴とされている為、森のヌシ様に人間に近づいてはならないと堅く言われていたからだ。森の仲間達と過ごすのも楽しいけれど、信乃とこうやって過ごす時間は私の中でとても特別な時間だ。
水浴びをする無邪気な信乃を見ると、自然と笑みがこぼれる。

「あー冷たくて気持ちい…ってなまえ、なんで笑ってんだよ。」
「信乃が来てくれると楽しくていいなと思って。」
「なら、これからもずっと来る。」

そっぽを向きながらそう言った信乃。これからも来てくれると言ってくれた事が嬉しくて、緩んでいた頬が更に緩んだ。

「つーか人魚って、毎日そんなに暇なの?ヌシ様とかもいるじゃん。」
「そうだけど…信乃はやっぱり特別だから。」

思っていた事が口に出てしまい、恥ずかしさが襲う。思わず手で顔を覆った。頬が熱い。

「おい、どうした?」
「う、ううん、なんでもない!」

顔を覗き込んでくる信乃にもっと顔が熱くなる。少しでも熱が冷めるように、私も水の中に飛び込んだ。

どくどくどく。体を丸めると、聞こえてくる自分の心臓の音。彼の事を考えると胸がぎゅうっと、まるで締め付けられるような切ない気持ちになる。その気持ちは言うまでもなく"恋"という感情。
けれど鱗がついた魚の足、腰に着いている鰭は、全て人間とは全く違うもの。人間と人魚。決して交わることのない二つの生物。私がどう足掻いてもこの気持ちは実る事は無いのだ。それどころか、人魚である限り水から出る事も出来ない。彼の傍にさえいられない。水から出て来ない私に、信乃が大丈夫かと声をかけてきた。水面から私の様子を見ている信乃の綺麗な二つの瞳。

「もう大丈夫だよ、信乃。」

私の声を聞いた信乃の瞳が優しく細められる。そのきらきらとした瞳はまるで、夜空に浮かぶ星のように見えた。もし人間になったら、彼の側にいる事くらいは出来るのだろうか。そんな事を考えてしまう私。
心の隅で小さく三回。願い事を唱えた。
けして届く事はないけれど。

人狼なりや様へ提出

星へ届くにはまだ遠い

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