「なあ莉芳、"人魚"を世話する気はないかね?」

にこにこと笑みを浮かべながらさらりと意味のわからないこと…意味深なことを言ったフェネガン枢機卿に、いつも通りぼうっとしながら彼の話を聞き流していた里見も、思わずは?と顔をしかめた。今まで各家で煙たがられてきた"獣憑き"の少年少女達を引き取り、"秘密兵器"にしてきた教会がまた新たな"秘密兵器"を引き取ったのはつい最近のこと。最初はそんな話を他人事のように聞き流していた里見だったが、その"秘密兵器"を四家の屋敷に迎え入れるという話をフェネガン枢機卿から聞かされ、他人事ではなくなってしまった。屋敷に迎え入れる、それだけ聞けばそんな気をつかうことはないような気がするが、相手はただのヒトではない"秘密兵器"。つまりフェネガン枢機卿の言葉の意味は、その"秘密兵器"を里見が引き取って世話しろ、ということだ。教会の仕事のおかげでただでさえ慌ただしい中にも関わらず、そんな"オネガイ"をしてくる面倒なフェネガン枢機卿に、里見は頭が痛くなった。フェネガン枢機卿に面倒事を押し付けられて頭を悩ませているのは幼い頃からのことだが、彼は全く人の話を聞かないため、反論しても全く意味がない。

「じゃあ莉芳、"彼女"のことよろしく頼んだよ。」

今回も里見に有無を言わせぬまま、例の"秘密兵器"を押し付けて去って行ったフェネガン枢機卿。今回彼が置いていった"彼女"の秘密を里見が知るのは、里見がいつものようにたくさんの書類が溢れかえる仕事部屋に戻った時だった。仕事部屋の扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた長い艶やかな髪。真っ赤な着物の裾から覗く青白い肌。部屋に戻った里見の気配を感じてゆっくりと振り返った"秘密兵器"は、まるでどこかの絵画から飛び出してきたかのような、恐ろしい程の美しさを持った一人の"少女"だった。

***

"秘密兵器"の美しい少女に驚かされてから、早半年。最初はこの恐ろしい程の美しさを持つ少女、なまえに少しばかり恐怖を抱いたこともあったが、現在ではそんなことは全くなくなっていた。

「おかえり、莉芳。」

今日も夜遅く教会の仕事から帰って来た里見を迎えたのは、眠たそうに目を擦っているなまえ。寝巻きの袖から覗く手足は相変わらず青白く、よく見ると普通の人間にはない七色に光る"鱗"が生えている。なぜ彼女が人間離れした恐ろしい程の美しさを持ち、青白い肌に七色の鱗を光らせているのか。それは彼女が"秘密兵器"…正確に言えば"人魚の肉を食べた人間の子孫"だからである。八百比丘尼伝説は里見も耳にしたことがあったが、まさかこんな伝説じみた人間が存在したとは思っていなかった。しかしそんな一見伝説じみた人間離れしている少女だが、実際に関わってみるとなまえはただの"世間知らずな寂しがりやの少女"であった。今もおかえり、と言ったなまえに対して返事をした里見の声を聞いて、先程までの眠気まなこはどこへやら。嬉しそうに頬を緩めている。

「まだ起きていたのか?全くおまえは、毎日毎日飽きないな。」
「…だって、莉芳がいないと眠れないの。」

里見のつんとした態度にも慣れたように、首を傾げながら笑う彼女。彼女の日課はどんなに遅くなっても、里見の帰りを待つこと。彼女の笑みに弱い里見は、枕を抱えながらソファーに座っている彼女の頭を撫でた。里見の手の感触に、彼女は浮かべていた笑みを更に深める。

「今日は何のお仕事をしたの?」
「いつもと変わらず教会の爺共の相手だ。」
「あのひと達、ねちっこくって話も長いから…毎日毎日大変でしょう?」

クローゼットの扉の奥で着替えながらなまえと会話をしていた里見は、面倒な仕事の話を聞いてまるで他人事のようにくすくすと笑う彼女を恨めしそうに振り返った。

「おまえは一日中屋敷に籠りきりだろう?」
「う…だ、だって…」

里見の言葉に、今度はなまえが彼を恨めしそうに見つめる。

「今までもずっとこんな感じだったもの。」

何でもないようにさらりとそう言ってみせた彼女に、里見は思わず動かしていた手を止めた。教会に引き取られて、自分と同じように教会の"秘密兵器"となった彼女。しかしそうなる前は生まれてからずっと屋敷に閉じ込められていたらしい。彼女を閉じ込める大きな襖に、まるで生贄のように並べられた人形達。小さな身体を取り囲むたくさんの書物。大きな襖が開かれるのは食事の時だけ。里見はその話をフェネガン枢機卿から聞いていたのだが、改めて彼女自身の口からその事実を発せられると何も言うことができなかった…里見自身も、幼い頃は"獣憑き"と言われて閉じ込められて育ったからだ。

「でもね、今はあの頃みたいに寂しくはないの。要やあやねがいるし、何より莉芳がこうして傍にいてくれるから。」

なまえは胸の前で青白い手をぎゅっと握りしめながら言った。まるで伝説そのもののような、恐ろしい美貌を持った"人魚"の彼女。しかし里見の前で笑う彼女は、本当に"世間知らずの寂しがりや"で、少しでも力の加減を間違えたらすぐに泡になって消えてしまうような、とてつもなく弱い少女なのだ。教会の"秘密兵器"の四家の者達にはそれぞれ神に愛された彼らを守るように獣が憑いている。しかしなまえには証である"鱗"はあっても、傍にいてくれる者はいない…だからこそ里見は彼には似合わない態度で彼女を甘やかしてしまうのだ。

「で、なまえ。おまえは一人では眠れないんだろう?」

話をしている間にすっかり着替えを終えた里見は、なまえの頭をもう一度撫でながら言った。里見の言葉に、枕をぎゅっと抱きしめて寂しげな表情を浮かべていたなまえはぱあっと表情を輝かせながら頷く。座っていた足をぐっと伸ばした彼女は、鱗が輝く青白い腕を上げて里見の首に回した。そして彼の耳元で無邪気に囁く。

「だいすき、莉芳。」

孤独な人魚の囁きはまるで呪文のように彼の中に溶けていく。なまえの無邪気な囁きを聞いた里見は少しばかり困ったように目を閉じて、すぐ隣にいる彼女をそっと抱きしめた。

はだかの魔力

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